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第48話

朝から、ライノアとアルフォルトは執務室に篭っていた。 外出の予定も来客の予定も無いため、今日はカツラだけで仮面は外していた。 そのため、眉間に皺を寄せて実に不機嫌な表情を浮かべるアルフォルトが机に齧り付いている。 書類仕事が極端に嫌いなアルフォルトは、何かに付けてサボろうとするので、ライノアが監視をしていた所──執務室のドアが四回ノックされた。 アルフォルトの側近は三回ドアをノックする。それ以外の場合は護衛のメイドだ。 物々しくならないように、基本的には姿を見せない、気配を極力消している彼女らだが、態々来るという事は火急の知らせが大半だ。 ライノアは「逃げたら覚えておいて下さいね」とアルフォルトに釘を刺し、ドアを開ける。 ドアの向こうには、普段はレンと離宮の管理を、それからメリアンヌの補佐を担当しているメイドが立っていた。 栗色の髪を、肩のあたりから前下りに切り揃えた背の高いメイドは、名前をシェーンと言う。 「ライノア様、お忙しい中すみません」 機敏な動きでお辞儀をするシェーンは、切れ長な目を伏せた。 「どうしましたか?」 「本日からこちらに来る予定だったメイドが殺されました。早朝、遺体が見つかったそうです」 朝から物騒な報告に、ライノアは眉間に皺を寄せた。 「野盗や追い剥ぎの仕業では無さそうですね」 「ええ、おそらく紹介状が目的かと。そして先程、城門からが入城したと知らせが来ました。仕事が早い方ですね」 シェーンは皮肉に笑った。ライノアと同じく、無表情が基本のシェーンには珍しい、とライノアは少しだけ目を見開いた。 「今日来るはずだったメイドはアルフォルト様を影からお支えする事を楽しみにしていたそうで──でも、この程度で殺されてしまうなら、力不足だったのは否めません」 言葉はきついが、シェーンが言う通り紹介状を奪われ、挙句殺されてしまうなら、アルフォルトのメイドは務まらない。 今でこそ数は減ったが、未だにアルフォルトの命を狙う輩は後を絶たない。それ故に、離宮で働くメイドは全員、戦闘に特化している。 普段はアルフォルトが快適に過ごせるように離宮の維持や食事作り、洗濯や掃除といった通常業務をこなすが、有事の際は命懸けで戦えるようにと、マルドゥーク家が育てた精鋭達だ。 ライノアやメリアンヌが眠っている夜の間は、彼女達がアルフォルトを守っている。 その筆頭を務めるのがシェーンだ。 「城の人事には極力手続きを引き伸ばして欲しいと伝えてあるので、あと一時間はかかるかと」 「承知しました。衛兵を派遣して捕らえますか?」 ライノアの提案に、シェーンは首を振った。 「アルフォルト様に危害が加わらぬように致しますので、我々で処理します──力不足だったとは言え、同胞を殺されて、腹が立ちましたので」 ぼそり、とシェーンは呟いた。 淡々として見えるが、彼女も感情が無いわけではない。 「──話は聞かせて貰ったよ」 ドアの隙間から、アルフォルトが顔を出した。 「ア、アルフォルト様、ご機嫌よう」 綺麗な動作でシェーンはお辞儀したが、頬に赤味が差した。 「······盗み聞きとは関心しませんね」 ライノアがため息を吐くと、アルフォルトは頬を膨らませた。 「書類が終わった事を報告しようと思ったら、話してるのが聞こえたから聞いてただけですー」 アルフォルトは、決して無能ではない。仮にも一国の王子だ。元々頭の回転が早く、幼少の頃より英才教育を施されて、王位に付けば優秀な王になれる素質は充分にある。 やれば出来るのに、純粋に書類仕事が嫌いで、嫌いな物は先延ばしにする癖があるだけだ。 「言い方を変えただけじゃないですか。子供みたいな言い訳ですね」 「······お前、最近僕に敬意が足りないな?」 やいのやいの言い合っていると、足の甲に鈍痛が走った。 思わず足元をみると、シェーンが爪先でライノアの足を踏んでいる。アルフォルトに悟られぬよう、頭を全く動かさずにノールックでライノアの足を甚振る体幹の良さに、思わず関心するが如何せん痛い。 「?どうしたのライノア」 「──アルフォルト様、今のお話ですが」 急に黙り込んだライノアが口を開く前に、シェーンが割り込んだ。アルフォルトに見えないように睨まれ、ライノアは肩を竦めた。 離宮で働くメイドや護衛は、全員が漏れなくアルフォルトフリークだ。 孤児院出身の者もいれば、貴族の息女まで様々だが、皆アルフォルトに救われた経緯がある。 シェーンもその一人で、ライノアが離宮でアルフォルトと言い合いをしよう物なら、どこからとも無く殺気を飛ばしてくる。 彼女は普段はクールで優秀だが、アルフォルトの顔が好きすぎて、五秒以上直視すると興奮して鼻血を流す残念な性質を持ち合わせていた。顔が整っているだけに、非常に残念な性質だ。 「アルフォルト様に危害が及ばぬよう配慮致します。窮屈な思いをさせてしまいますが、終わるまでライノア様と安全な所でお待ち頂いても宜しいでしょうか?」 伏し目がちに話すシェーンの手を、アルフォルトは両手で包み込んだ。 「僕にも手伝わせて」 「いけません」 ライノアがすかさず止めるが、アルフォルトは首を振った。 「僕だって、殺された子の為に何かしたい」 「ダメです。貴方を危険に晒したら本末転倒です」 ライノアがアルフォルトの肩に手を添えるが、首を振って話を聞こうとはしない。 こうなったアルフォルトは頑固だ。意地でも是とは言わない。 「ねぇ、僕にも何かさせて」 アルフォルトはシェーンの手を握ったまま、下から覗き込むように首を傾げた。 「あっ」 シェーンの顔がみるみる赤くなる。 「ねぇ、駄目とは言わせないよ?僕だって悔しいんだ」 物憂げな表情は、慈愛に満ちた天使のようで、ライノアは額を抑えた。 アルフォルトは、シェーンが自分の顔を好きな事をわかった上でやっている。 自分の顔の良さを最大限利用した小賢しさに、ライノアは敗北を認めた。 ああなってしまったら、シェーンはアルフォルトに逆らえない。 そろそろか、とライノアはアルフォルトを引っ張り自分の方へと引き寄せた。彼女と距離を取った瞬間、シェーンの鼻から鮮血が迸る。 「大丈夫!?」 「······王子の御前で申し訳ございません」 シェーンは血が零れないよう手で顔を覆い、アルフォルトの視線から外れようと身体を逸らす。アルフォルトはすかさず自分の胸ポケットからシルクのハンカチを取り出した。 そのままシェーンの鼻へとハンカチをあてる。 「だっ駄目です、アルフォルト様!!汚れてしまいます!!」 慌てて引き離そうとするシェーンに構わず、アルフォルトはシェーンの頬に手を添えた。 「君の血くらい、気にしないよ。それよりも君の身体の方が大事だ。ハンカチも僕の手もいくらでも汚せばいい」 優しく微笑んだアルフォルトに、ライノアは深くため息を吐いた。 この王子は、天然のタラシだ。 恋愛がなんたるかもよくわかっていないのに、人を誑かすのがやたらと上手い。それを無意識にやるのだから、ライノアは気が気でない。 シェーンを始めとしたメイド達は、決してアルフォルトに恋愛感情を持っている訳では無いが、それとこれとは話が別だ。綺麗なものに優しくされたら、誰だって血圧は上がるし動悸息切れ目眩もするだろう。鼻血だって流れる。 それだけ、アルフォルトの美貌というものは厄介なのだ。もしアルフォルトが王子ではなく姫だったら、アルフォルトを欲して国の一つや二つ軽く傾くだろう。 いや、王子であっても変わらない。現に何度も誘拐されかけている。それを防ぐ為の仮面だ。やはり、外では外せないな、とライノアは改めて思った。 ライノアはそろそろ頃合か、とメリアンヌを呼ぶ。 音もなくメリアンヌが現れ、アルフォルトの過剰摂取で限界を迎えたシェーンが倒れる前に、苦笑いしながらその身体をそっと支えた。 「──という訳で、レン!僕の身代わり宜しく!!」 離宮の侵入者対策装置のメンテナンスをしていたレンは、お仕着せに着替えたアルフォルトに呼び出されて、訳もわかからぬまま王子の服に着替えさせられていた。 着替えを手伝ってくれたメイドに詳細を聞いたレンは「お任せをー」と間延びした声で張り切っていた。 「僕はそうだな、王子の従僕(フットマン)としてレンを守るから、安心して」 胸に手を当てて、任せろ!とばかりに微笑むアルフォルトの頭を、ライノアは軽く(はた)いた。ついでにレンも叩かれる。 「だから!貴方は何でそう危険な事にすぐ首を突っ込むんですか!!」 頭を大袈裟に抑えたアルフォルトは、とばっちりを喰らったレンと「暴力反対ー」とライノアを睨む。 「本当に、ライノアの言う通りよ」 メリアンヌは頭を抑えるアルフォルトとレンのおでこに、軽くデコピンをした。 「メリアンヌまで······」 ことごとくとばっちりを喰らうレンは「自分まだ何もしてないのに」と小さくボヤいた。 アルフォルトは頬を膨らませると、少し気まずげに視線を逸らす。 「······だって、僕のせいで死んだなら何かしてあたい。そうしないと、僕は、自分を許せない」 「そんなの」 「『アルフォルトのせいじゃない』って言うんだろ?でも、僕を殺すために殺されたなら、やっぱり原因は僕だ」 拳を握る手は震えていて、先程までの明るさはやはり空元気なのだと、ライノアは胸が締め付けられた。 覚えのある感情に、ライノアは何も言えなくなる。 やはり、誰よりも優しいアルフォルトに、王子は向いていないのかもしれない。 ライノアはため息をつくと、アルフォルトの頭を撫でた。 そのまま手を引いて、姿見の前の椅子に座らせる。 カツラを外して、顕になった黒い髪に櫛を入れる。 紫の瞳は少し赤くなっていて、泣きたいのを我慢するそれを覆い隠すように、前髪を被せた。 厚いレンズの眼鏡をかければ、表情が殆ど見えない、地味で華奢な少年に早変わりだ。 どうしても品の良さは隠せないが、王子の従僕ならそれで充分だ。 「いいですか、我々の側を離れないように。勝手な事はしない事。少しでも危ないと判断したら、情報を聞き出す前にそのメイドを殺します」 言っている事は限りなく物騒だが、異論は無いのだろう。アルフォルトは神妙な面持ちで頷いた。 「メリアンヌ、メイドと護衛の配置ですが」 「もう準備できてるわ」 ライノアを遮るように、メリアンヌは腰に手を当てて微笑んだ。「皆やる気満々よ」 意識を部屋中にむければ、確かに誰の気配も感じない。 全員気配を消しているが、執務室にも、離宮のいたる所にも、彼女達は潜んでいる。 もし敵が一瞬でもおかしな動きをしたら、すぐ息の根を止められるよう配置されている。 アルフォルトは椅子から立ち上がると、誰にでもなく言った。 「さぁ、新しいメイドを迎えに行こうか」

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