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第47話

「──お茶は如何ですか?」 マーヤはにっこり微笑んでティーカップを差し出した。一呼吸置いて、第一王子はゆっくりとした動作で顔を上げる。 「はい、貰いますー」 間延びした喋り方で、王子がティーカップに手を伸ばす。無機質で不気味に見える仮面の隙間からは微かに目が見えるくらいで、その表情は窺えない。 伸ばされた手をやんわりと遮ったのは、黒髪の従僕(フットマン)だった。 目元を覆う重めの前髪に分厚いレンズの眼鏡。従僕とは思えない野暮ったい雰囲気。 変わり者の第一王子の使用人らしい野暮ったさだと、マーヤは思った。 「駄目ですよ。お茶を零すといけないのでそちらのテーブルに移動しましょう」 従僕に促され、王子はのろのろと立ち上がる。執務机からソファセットへと移動する緩慢な動きにマーヤはイライラするが、顔には出さずに見守った。 「お茶は僕が運びます······あっ」 従僕の手が滑り、お茶の注がれたティーカップが落ちる。カシャン、と陶器が壊れる音と共に、床にお茶が零れた。 王子がノロマなら、その従僕も鈍臭い。 せっかく入れたお茶を台無しにされ、マーヤは無性に腹が立った。 「お茶が······」 従僕が項垂れていると、騒ぎを聞きつけて、背の高い黒髪の従者が執務室へと入って来た。 「何事ですか?」 壊れたティーカップと従僕を見て、従者はため息を吐いた。 「勝手な事はしないように。怪我をするといけませんので座っていて下さい。──メリアンヌ!新しいお茶の用意を」 手際よく指示を出す従者は淡々としていた。 「──貴女はここの後片付けをして下さい」 「はい、かしこまりました」 蒼い瞳に冷たく射抜かれ、自分が怒られた訳でもないのに居心地が悪い。 掃除道具を取りに執務室を出る直前、従僕が何かに気づき声を上げた。 「あ、ズボン汚れてる」 先程落とした紅茶が飛んだのだろう。閉まるドアの隙間からマーヤが視線を向けると、従僕のズボンの裾が濡れていた。 「何考えてるんですか!?」 執務室に蒼い目の従者の怒号が響く。 (使えないやつ) ドアを閉め、人目が無くなると、マーヤは張り付けたような笑顔から無表情になる。 せっかくのお茶を台無しにされ、挙句上質なお仕着せまで汚して、さすがの使用人だ。 本来王族の使用人はプロフェッショナルで揃えるものだが、第一王子の使用人は統率も取れていなければ洗練されてもいない。ライノアと名乗った従者がいなければ仕事も回らないのではないだろうか。 (それにしても、使用人の数が極端に少ない) 王子付きのメイドとして今日からこの離宮に派遣されて来たはいいが、今の所王子の使用人は従者のライノアと、メリアンヌと呼ばれている女装の大男、それから野暮ったい小柄な従僕の三人しか見ていない。 離宮の外に衛兵は見かけるが、室内には人の気配も無く、とても王子の住まう所とは思えない警備の甘さだった。 ──それに。 (男が苦手だと聞いていたのに、使用人は男しかいない) 聞いていた話だと、王子は小柄だからだろうか。どうも男性が苦手との事で、使用人は基本的に女性だと聞いていた。 しかし、蓋を開けてみれば、女装している侍女はいるがマーヤ以外皆男だった。 てっきり男が苦手というのは方便で、どうせ見目の良い若いメイドでも沢山囲って居るのだろう、と思っていた。 (まぁ、私は自分に与えられた仕事をするだけですけど) せっかく高い賃金を貰えるのだ。職場環境に目を瞑れば、悪くない仕事だ。 (とりあえずちゃんとお掃除しないと) ため息を付いてドアを開けると、先程の野暮ったい従僕がいた。 「あ」 従僕は部屋に入って来たマーヤに驚いた声を上げた。 それだけならまだいいが、ソファに座る従僕は先程濡れたズボンを脱いだのか、真っ白な脚が顕になっている。 その華奢な身体を、従者が覆い被さるように囲いこんでいた。 床には脱ぎ捨てられたズボン。 従僕の細い足首を掴み、膝頭が胸に着きそうな程持ち上げられたそれは昼下がりとは思えない淫らな光景で、マーヤは目を逸らした。 「······す、すみませんっ」 慌ててドアを閉めた。 まさか従僕と従者がいるとは思わず心臓が早鐘を打つ。 (──あれって、つまりそういう事よね) さきほどの粗相のお仕置きでもしていたのだろうか。 王子の部屋で何してるんだ、と思わなくもないがマーヤが口を挟むことでは無い。 (仕事が出来なくても、従者に気に入られてるから辞めさせられないのね) 手に持った掃除道具に視線を落とした。 壊れたティーカップに零したお茶。早く片付けなくては危ない。 中々終わらない仕事にうんざりしながら、マーヤは執務室に戻った。 ♢♢♢ 執務室を片付け終えたマーヤは、廊下で従僕と鉢合わせた。着替えたのだろう。今度はちゃんとズボンを履いていた。 「あ」 会釈をすると、気まずそうに視線を逸らす。 「······さっきのは、その、火傷してないか確かめられてただけだから」 聞いてもいないのに弁明する従僕に「そうですか」と軽く受け流す。 驚きはしたが正直どうでもよかった。 仕事の邪魔さえしなければ、鈍臭かろうが従者と交合(まぐわ)っていようがマーヤには関係ない。 それよりも。 「第一王子は今どちらにいらっしゃいますか?」 マーヤの問いかけに、従僕はキョトンとした。 「わかりませんか?」 馬鹿にしているのだろうか。 間を置いて答えた従僕の言葉にムッとする。 「わからないから聞いているんですが」 不快感も顕なマーヤに、何故だか従僕は可笑しそうに笑って──それからため息を吐いた。 正直ため息を吐きたいのはこちらだ、とマーヤは思った。 「──貴女が探してる王子は、応接室におりますよ」 妙な言い回しだと思ったが、早く仕事を終わらせたいから深く考えない事にした。 「応接室ですね。ありがとうございます」 くるり、と踵を返して応接室に向かう。 背中に何か言いたげな従僕の視線を感じたが、気づかないフリをして歩き去る。 ──どうせあと少しだ。 相変わらず人の気配が無いのを確認し、応接室のドアをそっと開けた。 部屋の中央。ソファで、新しく淹れてもらった紅茶を飲んでいる金髪の後ろ姿を見つけ、マーヤは気配を殺し、背後からそっと近づいた。 鈍臭い王子はマーヤに気付いていないようで、ゆったりとした動作で紅茶を楽しんでいた。 指に巻き付けたワイヤーをピンと張る。 これで首を締めて、第一王子の息の根を止めたら──マーヤの今回の仕事は終わりだ。 (思ったよりも、楽だったな) 噂とはアテにならない物だ、とマーヤは思う。 第一王子暗殺の依頼を受けた人間は、誰一人として戻って来ない。 一時期、第一王子の暗殺に躍起になっていた派閥が、次々と暗殺者を送り込んだ結果(ことごと)く失敗し、壊滅したギルドがある。 だから、どんなに報酬が高くてもどこのギルドも受けたがらないという。 実にアホらしい。 所詮噂は噂だ。王族暗殺は重罪だから、失敗が怖くて誰も受けないだけだろう。 処刑が嫌なら、失敗しなければ良いだけの話だ。 マーヤの様に事前に情報を仕入れ、本来来るはずだったメイドを殺して紹介状を奪ってしまえば、疑われる事もない。 楽に高額な報酬が手に入る幸運に、マーヤは信じてもいない神に感謝した。 「──自分を殺しても、無意味ですよー」 ティーカップを手に、後ろを振り返らないまま、王子は言った。 「自分は偽物ですからー」 途端、マーヤの身体に衝撃が走った。 数秒後にようやく床に押さえつけられている事を理解する。 「物騒なメイドねぇ」 女性の様な口調で、テノールの声が耳元で囁いた。 人の気配に聡い自分が、全く気配を感じなかった事に衝撃を受ける。 「······いつから気付いていた?」 床に押さえつけられたままマーヤが問いかけると、別の声が答えた。 「最初から」 動かない身体の変わりに、視線だけをそちらへ向けると──野暮ったい黒髪の従僕と、その従僕を庇うように立つ従者がいた。 「お茶に毒を混ぜた時か」 マーヤの溜息に、従僕は首を振った。 「その前。だから──最初からだよ」 ゆったりとした動作で歩く従僕に「近づいてはいけません」と、従者が諌める。 「メリアンヌ、暗器は?」 「大丈夫よ、どうせ動けないから。と言っても、あんまり近づいて欲しくはないけど」 自分を押さえつけていた女装の侍女が呆れた口調で答えた。 持っていたワイヤーを奪われ、手際よく後ろ手に縛られると、再び床に押さえつけられた。 目の前に従僕が来て、しゃがみ込む。 「ここに来るメイドはマルドゥーク家から派遣されるから、んだよ」 マーヤは舌打ちした。 思い出したのだ。 マーヤが王子だと思った仮面の人物を、側近は誰一人として「王子」と呼んでいなかった。 それに、この従僕は王子の自室にいた。 ここまでお膳立てされれば、流石にマーヤでもわかる。 「本物はお前か」 忌々しげに吐き捨てれば、目の前の従僕は分厚いレンズの眼鏡を外し、前髪をかきあげて微笑んだ。 人間離れした美貌と、高貴な紫の瞳を持つその少年は、改めて見ればとても従僕には見えなかった。

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