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第46話

「······最近、アルフォルトに避けられている気がします。正直辛い」 「知らないわよ」 沈鬱な面持ちで佇む従者に、メリアンヌはただ一言冷たく返した。 途端、更に沈鬱な表情になる。ライノアをあまり知らない人からしたらただの無表情だが、流石に付き合いが長ければ、微妙な変化もわかるようになる。 昨日王城に戻ってきたアルフォルトは、城を開けていた間に机に積まれた書類に囲まれて、現在執務室で缶詰め状態だ。 午前の業務が一区切りついたメリアンヌは、書庫の整理をするライノアの手伝いをする事にした。それが間違いだった。 「······」 纏う空気の重さに耐え兼ね、メリアンヌはため息を吐いた。 降参だ。この従者は落ち込むとロクな事にならない。とんでもなくポンコツになる。 「······別に、避けてはいないんじゃない?朝も普通だったでしょう?」 今朝の様子を思い出して、メリアンヌは答えた。終始見ていた訳ではないが、朝食も着替えも、普通に会話していたように思う。 ライノアは顔を上げた。まるで縋るような目に、メリアンヌは苦笑いする。傍から見たら無表情だが、付き合いが長(以下略) 「会話は普通にするんです。でも」 「でも?」 一度言葉を区切ったライノアに、勿体付けんな!!と怒鳴りたくなるのをぐっと堪えた。 感情的になるのは、一番愚かな事だ。 感情的になればなるほど、判断が鈍ると教え込まれたのはもうずっと昔の事か。 平常心を保とうと思考を飛ばしていたら、ライノアはようやく口を開いた。 「アルフォルトが、目を合わせてくれないんです」 「は?」 思わず地声が出て「失礼」と咳払いをして誤魔化した。 「普段はどんなに見つめても、すぐには逸らさないんですよ。じっと見てると、照れて根負けして逸らすくらいで」 「ちょっと待て、普段からお前何してんだよ」 メリアンヌは従者の奇行に頭を抱えた。いつものお淑やかな口調を忘れ、突っ込まずにはいられなかった。 「?アルフォルトを見てますが」 「『見てますが』じゃねーよ。王子を視姦すんな」 「視姦だなんて······というかメリアンヌ、言葉が乱れてます」 「お前のせいだよ!!」 もはや冷静でいる事を忘れ、メリアンヌは頭をガシガシとかいた。 このポンコツ従者は普段寡黙だが、アルフォルトの事になるとやたらと饒舌になる。 アルフォルト至上主義だから仕方がないと言えば仕方がないが、最近はどうも拍車が掛かっているとしか言いようがない。 「今朝執務室を出る時も、すぐに目を逸らされて、辛い······あの紫水晶の瞳には私だけ映して欲しいのに」 拳をぐっと握りしめたライノアの目は至って真剣だが、発言は些か危ない。 「······本音が漏れてるわよ」 ベクトルはともかく、ライノアもだいぶ人間らしくなったものだと、メリアンヌは思う。 ──初めて見た時、ライノアは死にかけていた。 メリアンヌがまだ、アランの護衛だった頃の事だ。 孤児院の慰問に出かけたアルフォルトとアリアが拾って来たのは、いかにも貴族らしい上等な衣服を纏った、血塗れでずぶ濡れの、小さな子供だった。 いかにも訳ありで厄介なものを拾ったもんだ、とアランが呆れていたのを覚えている。 その子供は意識が戻ってからも感情がなく、見掛ける時はいつも死んだ目で、窓の外をぼんやりと見ていた。 生きる事に見切りを付けた、死にたがりの目は、よく知っている。 護衛の仕事で時々対峙する暗殺者や、路頭に迷った人間特有のあの目だ。 ああ、コイツはどうせ長くは生きられない、と思っていた。 (──それが今じゃだもんな) 壊れた人形だった小さな子供は。 今では王子の従者として、生命力に溢れている。 何も映さなかった深い海の底のような瞳は、今では(アルフォルト)を追いかけて蒼空のように澄んでいた。 (まぁ、頭のネジは何本か外れたみたいだけど) 子供の成長は早いものだ、とメリアンヌは肩を竦めた。 あの小さかった子供は、十年で自分とほぼ同じ身長まで伸びた。 頼りなかった細い身体は、王子を守る為に鍛えて逞しくなった。 寡黙でミステリアスだと、城のメイドや侍女から密かに人気だが、本人はアルフォルト以外に興味が無い、二十歳なのに老けて見える非常に残念な男だ。 (妹が──リュカが生きていたら、ライノアと同い年か) そう思うと無意識にライノアの頭に手を伸ばしていた。 そのまま、頭をわしゃわしゃと撫でる。 「······ちょっと、メリアンヌ?何するんですか」 頭を掻き回され、逃げようとするライノアを押さえつけてより一層頭を撫でた。 「普通に会話するなら別に嫌われてる訳ではないし、気にしすぎじゃないかしら?」 「それは、そうですが······」 ぐちゃぐちゃになった髪を押さえ、なんとか逃げ出そうとライノアは藻掻くが、メリアンヌの方が上手(うわて)だ。それに、だんだん楽しくなって来た。 「さては、目を逸らされるような事したわね?」 冗談まじりにニヤニヤすると、途端にライノアの動きが止まった。 「······」 「ちょっと待って、図星なの?」 メリアンヌの問にライノアは視線を逸らしたが、それは最早肯定を意味する。 「お前······」 不穏な空気をまとい始めたメリアンヌに、ライノアは慌てて弁明する。 「同意の上ですし、最後まではしてません」 「最後までしてない、を免罪符にすんな」 キリッとした表情を浮かべたライノアの頭を、思いっきり(はた)いた。 「······暴力は良くないかと」 頭を押さえて、ライノアはメリアンヌから距離を取る。 「油断も隙もあったもんじゃないわ」 盛大にため息を吐く。 何をどうした、とまで聞く気はないが、ここまで来たらもう、二人が最後まで致すのも時間の問題のような気がする。 (まぁ、別にそれでもいいと思うけど) アルフォルトは、顔や髪は平気でも、素肌に触れられるのが極端に苦手だ。なので基本的にアルフォルトの着替えはライノアが手伝う。メリアンヌが手伝うのはライノアが不在の時で、それでも極力素肌には触れないように気を付けている。 ただ、ライノアだけは唯一触れても大丈夫だった。 それは多分、今後も変わらないのだろう。 アルフォルトにとっても、ライノアにとっても唯一無二なのだ。 もし二人の関係がバレたとして、アランもベラディオも、今更二人を引き離したりはしないだろう。 とはいえ一国の王子と従者とでは、立場が違う。 依然としてアルフォルトは敵が多いのだ。何がきっかけで足元をすくわれるか、わからない。 だから、その辺は上手くやれよ、とメリアンヌは思う。 (ライノアが王子とかなら話は変わって来るけどな) 都合の良すぎる妄想に自嘲気味にため息を吐くと、ライノアはまた叩かれると思ったのかさらに間合いを取った。その姿が何だか可笑しくて、つい笑みが零れた。 「──書類、一区切りついたからお茶が欲しいんだけど、いいかな?」 軽いノックの後、ドアの隙間からひょっこりとアルフォルトが顔を出した。 すかさずライノアが駆け寄る。相変わらず犬みたいな従者だ。 「お茶だけじゃ足りないでしょう?」 ライノアの指摘に「そんな食いしん坊じゃないですー」と、アルフォルトは頬を膨らませた。 「じゃあ紅茶だけ持って行きますね」 「······ライノアの意地悪」 アルフォルトに拳で軽く背中を突かれ、ライノアはアルフォルトの頭を撫でた。 「冗談ですよ、昼食前なので軽い焼き菓子で良いですか?」 「うん!」 そのままライノアの腕にするり、と自分の腕を絡めて、アルフォルトは微笑んだ。 (おや、まぁ) メリアンヌはアルフォルトが普段と違う事に気づいた。 ライノアを見つめる目も、仮面の下から少しだけ見える薔薇色の頬も。 纏う雰囲気が何処と無く甘いソレを、人は恋と呼ぶ。 (──目を逸らされる、ね) それは避けている、というよりも。 今まで意識して来なかった感情に気づいて戸惑っているのだろう。 ──小さな、頼りない子供達だと思っていたのに。 「子供の成長って本当に早い」 ボソリと独りごちると、何処と無く胸に募るは寂しさか。 「メリアンヌも一緒に休憩しよう」 感傷に浸っていたメリアンヌに、アルフォルトは声をかける。 「そうね、今行きますわ」 仲良く並んで歩く二人の背中を追う。 この穏やかな温かい時間は、きっと今だけのもの。 ただ、願わくば。 もう少しだけこの時間が続けばいい、とメリアンヌは心の底から思った。

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