46 / 78
第46話
「······最近、アルフォルトに避けられている気がします。正直辛い」
「知らないわよ」
沈鬱な面持ちで佇む従者に、メリアンヌはただ一言冷たく返した。
途端、更に沈鬱な表情になる。ライノアをあまり知らない人からしたらただの無表情だが、流石に付き合いが長ければ、微妙な変化もわかるようになる。
昨日王城に戻ってきたアルフォルトは、城を開けていた間に机に積まれた書類に囲まれて、現在執務室で缶詰め状態だ。
午前の業務が一区切りついたメリアンヌは、書庫の整理をするライノアの手伝いをする事にした。それが間違いだった。
「······」
纏う空気の重さに耐え兼ね、メリアンヌはため息を吐いた。
降参だ。この従者は落ち込むとロクな事にならない。とんでもなくポンコツになる。
「······別に、避けてはいないんじゃない?朝も普通だったでしょう?」
今朝の様子を思い出して、メリアンヌは答えた。終始見ていた訳ではないが、朝食も着替えも、普通に会話していたように思う。
ライノアは顔を上げた。まるで縋るような目に、メリアンヌは苦笑いする。傍から見たら無表情だが、付き合いが長(以下略)
「会話は普通にするんです。でも」
「でも?」
一度言葉を区切ったライノアに、勿体付けんな!!と怒鳴りたくなるのをぐっと堪えた。
感情的になるのは、一番愚かな事だ。
感情的になればなるほど、判断が鈍ると教え込まれたのはもうずっと昔の事か。
平常心を保とうと思考を飛ばしていたら、ライノアはようやく口を開いた。
「アルフォルトが、目を合わせてくれないんです」
「は?」
思わず地声が出て「失礼」と咳払いをして誤魔化した。
「普段はどんなに見つめても、すぐには逸らさないんですよ。じっと見てると、照れて根負けして逸らすくらいで」
「ちょっと待て、普段からお前何してんだよ」
メリアンヌは従者の奇行に頭を抱えた。いつものお淑やかな口調を忘れ、突っ込まずにはいられなかった。
「?アルフォルトを見てますが」
「『見てますが』じゃねーよ。王子を視姦すんな」
「視姦だなんて······というかメリアンヌ、言葉が乱れてます」
「お前のせいだよ!!」
もはや冷静でいる事を忘れ、メリアンヌは頭をガシガシとかいた。
このポンコツ従者は普段寡黙だが、アルフォルトの事になるとやたらと饒舌になる。
アルフォルト至上主義だから仕方がないと言えば仕方がないが、最近はどうも拍車が掛かっているとしか言いようがない。
「今朝執務室を出る時も、すぐに目を逸らされて、辛い······あの紫水晶の瞳には私だけ映して欲しいのに」
拳をぐっと握りしめたライノアの目は至って真剣だが、発言は些か危ない。
「······本音が漏れてるわよ」
ベクトルはともかく、ライノアもだいぶ人間らしくなったものだと、メリアンヌは思う。
──初めて見た時、ライノアは死にかけていた。
メリアンヌがまだ、アランの護衛だった頃の事だ。
孤児院の慰問に出かけたアルフォルトとアリアが拾って来たのは、いかにも貴族らしい上等な衣服を纏った、血塗れでずぶ濡れの、小さな子供だった。
またいかにも訳ありで厄介なものを拾ったもんだ、とアランが呆れていたのを覚えている。
その子供は意識が戻ってからも感情がなく、見掛ける時はいつも死んだ目で、窓の外をぼんやりと見ていた。
生きる事に見切りを付けた、死にたがりの目は、よく知っている。
護衛の仕事で時々対峙する暗殺者や、路頭に迷った人間特有のあの目だ。
ああ、コイツはどうせ長くは生きられない、と思っていた。
(──それが今じゃコレだもんな)
壊れた人形だった小さな子供は。
今では王子の従者として、生命力に溢れている。
何も映さなかった深い海の底のような瞳は、今では光 を追いかけて蒼空のように澄んでいた。
(まぁ、頭のネジは何本か外れたみたいだけど)
子供の成長は早いものだ、とメリアンヌは肩を竦めた。
あの小さかった子供は、十年で自分とほぼ同じ身長まで伸びた。
頼りなかった細い身体は、王子を守る為に鍛えて逞しくなった。
寡黙でミステリアスだと、城のメイドや侍女から密かに人気だが、本人はアルフォルト以外に興味が無い、二十歳なのに老けて見える非常に残念な男だ。
(妹が──リュカが生きていたら、ライノアと同い年か)
そう思うと無意識にライノアの頭に手を伸ばしていた。
そのまま、頭をわしゃわしゃと撫でる。
「······ちょっと、メリアンヌ?何するんですか」
頭を掻き回され、逃げようとするライノアを押さえつけてより一層頭を撫でた。
「普通に会話するなら別に嫌われてる訳ではないし、気にしすぎじゃないかしら?」
「それは、そうですが······」
ぐちゃぐちゃになった髪を押さえ、なんとか逃げ出そうとライノアは藻掻くが、メリアンヌの方が上手 だ。それに、だんだん楽しくなって来た。
「さては、目を逸らされるような事したわね?」
冗談まじりにニヤニヤすると、途端にライノアの動きが止まった。
「······」
「ちょっと待って、図星なの?」
メリアンヌの問にライノアは視線を逸らしたが、それは最早肯定を意味する。
「お前······」
不穏な空気をまとい始めたメリアンヌに、ライノアは慌てて弁明する。
「同意の上ですし、最後まではしてません」
「最後までしてない、を免罪符にすんな」
キリッとした表情を浮かべたライノアの頭を、思いっきり叩 いた。
「······暴力は良くないかと」
頭を押さえて、ライノアはメリアンヌから距離を取る。
「油断も隙もあったもんじゃないわ」
盛大にため息を吐く。
何をどうした、とまで聞く気はないが、ここまで来たらもう、二人が最後まで致すのも時間の問題のような気がする。
(まぁ、別にそれでもいいと思うけど)
アルフォルトは、顔や髪は平気でも、素肌に触れられるのが極端に苦手だ。なので基本的にアルフォルトの着替えはライノアが手伝う。メリアンヌが手伝うのはライノアが不在の時で、それでも極力素肌には触れないように気を付けている。
ただ、ライノアだけは唯一触れても大丈夫だった。
それは多分、今後も変わらないのだろう。
アルフォルトにとっても、ライノアにとっても唯一無二なのだ。
もし二人の関係がバレたとして、アランもベラディオも、今更二人を引き離したりはしないだろう。
とはいえ一国の王子と従者とでは、立場が違う。
依然としてアルフォルトは敵が多いのだ。何がきっかけで足元をすくわれるか、わからない。
だから、その辺は上手くやれよ、とメリアンヌは思う。
(ライノアが王子とかなら話は変わって来るけどな)
都合の良すぎる妄想に自嘲気味にため息を吐くと、ライノアはまた叩かれると思ったのかさらに間合いを取った。その姿が何だか可笑しくて、つい笑みが零れた。
「──書類、一区切りついたからお茶が欲しいんだけど、いいかな?」
軽いノックの後、ドアの隙間からひょっこりとアルフォルトが顔を出した。
すかさずライノアが駆け寄る。相変わらず犬みたいな従者だ。
「お茶だけじゃ足りないでしょう?」
ライノアの指摘に「そんな食いしん坊じゃないですー」と、アルフォルトは頬を膨らませた。
「じゃあ紅茶だけ持って行きますね」
「······ライノアの意地悪」
アルフォルトに拳で軽く背中を突かれ、ライノアはアルフォルトの頭を撫でた。
「冗談ですよ、昼食前なので軽い焼き菓子で良いですか?」
「うん!」
そのままライノアの腕にするり、と自分の腕を絡めて、アルフォルトは微笑んだ。
(おや、まぁ)
メリアンヌはアルフォルトが普段と違う事に気づいた。
ライノアを見つめる目も、仮面の下から少しだけ見える薔薇色の頬も。
纏う雰囲気が何処と無く甘いソレを、人は恋と呼ぶ。
(──目を逸らされる、ね)
それは避けている、というよりも。
今まで意識して来なかった感情に気づいて戸惑っているのだろう。
──小さな、頼りない子供達だと思っていたのに。
「子供の成長って本当に早い」
ボソリと独りごちると、何処と無く胸に募るは寂しさか。
「メリアンヌも一緒に休憩しよう」
感傷に浸っていたメリアンヌに、アルフォルトは声をかける。
「そうね、今行きますわ」
仲良く並んで歩く二人の背中を追う。
この穏やかな温かい時間は、きっと今だけのもの。
ただ、願わくば。
もう少しだけこの時間が続けばいい、とメリアンヌは心の底から思った。
ともだちにシェアしよう!

