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第66話
「──今まで、騙していてごめん」
アルフォルトの話を静かに聞いていたシャルワールは、深く息を吐き出した。
怒られても、罵られても仕方がないと頭では理解しているが、嫌われるかもしれないと思うと、アルフォルトは胸が苦しくなった。
シャルワールの婚約者との顔合わせが終わったら、秘密を打ち明ける。
そう、心に決めて今日を迎えたのに、今でも逃げ出したくて仕方がない。
それでも、アルフォルトは全て話した。
髪の色。
仮面の事。
それから、ライノアの本当の身分。
外した仮面を握る手が、震えそうになる。
沈黙が怖くて俯いていると、シャルワールがようやく口を開いた。
「······──た」
「え?」
上手く聞き取れずに顔をあげると、シャルワールは再び深く溜め息を吐いた。
「顔に傷がなくて、良かった」
そのまま、アルフォルトを抱きしめてくる。
困惑していると、シャルワールが頭を肩にぐりぐりと擦り付けてくる。
ぐずった小さな子供のような仕草に、アルフォルトは弟の背中をそっと撫でた。
「──······俺の知る兄上は、天使みたいに綺麗で、頭も良くて、ずっと憧れだった」
ぐぐもった声は鼻声で、濡れた肩の感触からシャルワールが顔を上げない理由を察した。
「兄上が誘拐された後、禁止されたのにこっそり兄上のお見舞いに行って······変わり果てた兄上が、俺は怖かった」
シャルワールの腕が、縋り付くようにきつく背中をかき抱く。
アルフォルトは、目を閉じてただ静かに頷いた。
あの日の事は今でも覚えている。
先代のディーク伯爵に誘拐され、心に深い傷を負ったアルフォルトは、大人──とりわけ男の人が怖くてたまらなかった。
辛うじてライノアやメイド達は大丈夫だったが、一度錯乱状態になると、ライノアですら怖くて──暴れて、噛み付いて、それでもライノアはアルフォルトを離す事なく抱きしめて落ち着かせてくれた。
あの日も、錯乱状態になったアルフォルトに鎮静剤を飲ませようと、ライノアは噛まれて引っかかれて、傷だらけになっていた。
ドアが開き、庭園で摘んできたであろう花を持ったシャルワールと、目が合った。
カーテンが閉じたままの薄暗い室内は荒れて、ベッドの上でシーツを被り、手負いの獣のように叫ぶアルフォルトと、傷だらけのライノア。
シャルワールは緑の目を見開き、恐怖に顔を引き攣らせ──アルフォルトの部屋から逃げ出した。
部屋の入口に落ちた花が、やけに鮮やかだったのを覚えている。
それから程なくしてアルフォルトは落ち着いたが、シャルワールがアルフォルトの元を訪れる事は二度となかった。
「再び顔を合わせた時はもう兄上は仮面を着けていて、耳に入ってくる噂も酷いものばかりだった」
──第一王子は誘拐されて、頭がおかしくなった。
誘拐された時に、顔に酷い怪我を負わされた。
誘拐のほとぼりが冷めると、今度は奇妙な仮面は醜男なのを隠すためだとか、うつけだとか。
それらはアルフォルトが故意に流した噂だったが、噂は瞬く間に広がった。
「噂を耳にする度に違う、と言いたかった······だが、お見舞いに行った時の錯乱した兄上を思い出し、怖くなった」
微かに震えるシャルワールの頭をそっと撫でる。
金色の髪は王子らしい神々しさで、純粋に綺麗だとアルフォルトは思う。
「でも、しばらくしてわかった。公の場での的外れな言動を見るたびに、わざと頭の悪いふりをしているんだと······。その真意がわからなくて、疎ましく思っていたのは確かだ」
自嘲気味に呟いたシャルワールは、ようやく顔を上げた。
「お茶会の騒動の後、アルフォルト兄上と再び話すようになって──やはり兄上は昔のままの、俺の尊敬する兄だった」
涙で濡れて真っ赤になった緑の瞳が、まっすぐにアルフォルトを見つめる。
アルフォルトは頬を伝う涙の感触に、自分も泣いているのか、と遅れながら気づいた。
「······ずっと騙してて、ごめん」
ボロボロと泣くアルフォルトにつられ、シャルワールも泣きながらアルフォルトを抱きしめる。
「騙された、なんて思っていない。そうやって······今まで俺を守ってくれていたんだよな。ありがとう」
──理解されなくてもいい。
嫌われて疎まれてもいい。
どんな形でも、弟が守れるなら。
そう、思っていた。
でも、実際に面と向かってお礼を言われると、今までの事が全て、報われる気がした。
それから、アルフォルトとシャルワールはしばらく泣き笑いながら抱き合っていたが、見かねた従者達(主にライノア)に引き離され、テーブルに着くよう促された。
「俺も一つ······いや、二つか?兄上に謝らなければならない事がある」
紅茶を飲み、シャルワールは気まずそうに頬をかいた。
「まず一つは、兄上が醜男という噂は正直信じていなかった」
思ってもみない言葉に、アルフォルトは目をしばたたかせた。
凝視され、シャルワールは視線を逸らす。
「だって考えてもみろ、小さい時の兄上はそれはもう、天使のような愛らしさで······それが急に醜男?たとえ太っても絶対可愛いのがわかるのに、体型もかわっていないし、何故皆騙されるのか俺には理解出来なかった。そして素顔を見て確信した──仮面を着けて正解だった、と」
拳を握ったシャルワールに、ライノアは何故か激しく頷き、アトレイは苦笑いした。
まさかそんな事を考えていたなんて、とアルフォルトは気恥しさを覚える。
「幼い頃も綺麗だったが、成長した兄上はその······直視できないというか目のやり場に困る。目を焼かれる。国が傾く」
思ってもみない言葉に、アルフォルトは目を見開いた。
「えっ酷くない!?僕そんな酷い顔なの!?」
「違う!!酷いんじゃなくて、綺麗すぎて危ないという意味だ!!」
顔を真っ赤にしてシャルワールが唸る。
褒められているのか貶されているのか、複雑な気持ちでアルフォルトは紅茶を口へ運んだ。
「仮面は、兄上を守る為のものだったんだな。······でも、今後は外すんだろう?」
「うん。もう隠すのはやめた。いい加減僕も強くならないと」
逃げてばかりではいられない。
ライノアを安心して送り出すために決めたのだ。
アルフォルトの決意に、シャルワールは微笑んだ。
「じゃあ兄上に悪い虫が付かないよう、今度は俺が守るよ」
チラ、と挑発的に、シャルワールがライノアを見つめる。
ライノアは気にした風でもなく、静かにシャルワールを見つめ返した。
「それともう一つ。兄上の髪の色は、初めから知っていた」
シャルワールの言葉に、アルフォルトは素っ頓狂な声を上げた。
「えぇえ!?」
パクパクと口を開き、アルフォルトはシャルワールとアトレイを交互に見る。兄の驚きように、シャルワールは苦笑いした。
「昔アリア様が、教えてくれたんだ。そして『いざとなったら、アルトを守ってね』と」
まさか秘密厳守と口を酸っぱくして言っていた母がそんな事を言っているとは思わず、アルフォルトは閉口する。
「黒い髪のせいで王位を譲る、と言ってるのであれば、俺は今からでも······」
シャルワールが意を決して口を開いたのを、アルフォルトは片手を制して遮った。
「それだけが理由じゃない」
アルフォルトはそっと息を吐き出す。
それから──シャルワールを見据えて、首を振った。
「髪の色もそうだけど、僕はトラウマのせいで女性を抱く事は出来ない。跡継ぎを作れないのは王として致命的だし······マシになったとはいえ、今でも男の人が怖い」
ライノアと性的な触れ合いは出来るようになった。しかし、それはアルフォルトが受け身で、相手がライノアだからであって、他の人間なら死んでも無理だ。
襲われたトラウマが消えた訳では無い。だからこそ、逆の立場は相手が女性でもアルフォルトには出来ない。
それに、未だに成人した男性が苦手だ。近くにライノアやメリアンヌがいるから普通に振る舞えるし仮面を付けていれば、誰もアルフォルトに好意は寄せないから耐えられる。
しかし、王という立場になってしまえば、素顔で多くの人に囲まれ、諸外国相手に毅然としていなければならない。
アルフォルトは性的な目でみられているとわかった途端、相手が怖くて震える。
全ての人間がそうでは無いだろうが、震える王など前代未聞だ。
「仮面を着けないと今でも男の人は怖い。それに──僕の手は、血で汚れてる。そんな人間は王になっちゃいけない」
今まで何かを守るためとはいえ、沢山の命をこの手で奪ってきた。
自嘲気味に呟けば、シャルワールは悲しそうに眉を寄せて、両手でそっと、アルフォルトの手を包んだ。
「兄上は、この小さな手でずっと俺や、この国を守って来たんだな······一人で背負わせてすまない」
指先にそっと唇を寄せたシャルワールは、顔をあげた。
「これからは一人で抱え込まないで、俺にも背負わせてくれ。もう、守られてばかりの弱い弟じゃない」
力強い眼差しで微笑んだシャルワールは、そのままライノアに視線を移した。
「だから安心して国へ帰るんだな、王子サマ?」
どこか挑発的な雰囲気のシャルワールに、アトレイは頭を抱え、ライノアはやはり無表情だった。
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