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第65話(閑話)
「ねぇ、昔みたいな話し方してよ」
本棚の整理をしていたライノアを見ていたら、ふと思い立った。
「昔みたいな話し方、ですか?」
アルフォルトが読み散らかした本を棚に戻し終えたライノアは、首を傾げた。
離宮の書庫は王城に比べたら小さいが、書物の内容は充実していて、アルフォルトとレンはよく入り浸っている。
今日も今日とて、書類仕事を片付け終わったアルフォルトはレンを引き連れ、書庫に引きこもっていた。
「出会ったばかりの頃は『俺』って言ってたし、敬語でもなかったよね」
「なんか、想像できないですー」
読みかけの本から顔を上げて、レンが興味を示す。
すっかり、アルフォルト至上主義の従者が板についたライノアだが、十年前は結構尖っていた気がする。
「ライノアはアレよ、初めの頃は手負いの獣」
紅茶の乗ったワゴンを押してきたメリアンヌが、ニヤニヤしながら話しに加わって来た。
「高貴な生まれなのは何となくわかってたけど、まさか王子だったなんてねぇ」
芝居がかった口調のメリアンヌに、ライノアは気まずそうに視線を逸らす。
パウンドケーキの甘い香りに誘われ、アルフォルトとレンは呼ばれる前から既に窓側のテーブルに着いている。そんな二人を微笑ましげに眺め、メリアンヌは手を叩いた。
「さぁ、お茶にしましょう」
今日のパウンドケーキは、レモンカードがたっぷり入った、アルフォルトの大好物だった。
余程幸せそうに食べていたのか、皆が暖かい目で見つめてくるので、少し恥ずかしくなりアルフォルトは咳払いした。
「出会った頃のライノアは、無口で無表情で目も死んでてさ、厭世的なお子様だったんだよ」
「それ、シンプルに悪口ですよね」
「僕が話しかけても素っ気ないし、なんなら話しかけるなオーラ出してたし」
「······まさか根に持ってます?」
ライノアは複雑そうな顔でアルフォルトを見つめた。
十年前アルフォルトが拾った子供は、感情が抜け落ちた、人形のような子供だった。
「少しでも近づこうものなら、威嚇されたしねぇ」
紅茶を一口飲み、メリアンヌは頬に手を当てた。
話の中心になっているライノアは居心地が悪そうに、ため息を吐いた。
「それなら、メリアンヌだって言葉遣いがガサツでしたよ」
十年前はまだ侍女のメリアンヌではなく、アランの護衛をしているリアンで、今みたいに髪も長くなかった。
思わぬライノアの反撃に、メリアンヌは肩を竦めた。
「私だって若かったのよ」
「メリアンヌさんは今でも時々口が悪いですよねー。咄嗟にでる言葉は大抵雄々しいというか······なんでもないです」
メリアンヌに睨まれ、レンの言葉が次第にフェードアウトする。
パウンドケーキを没収されないように、皿を抑えながら食べるあたり、だいぶ食い意地がはっている。
レンとメリアンヌのやりとりがおかしくて、アルフォルトは頬を緩めた。
(この楽しい時間も、あと少しか······)
「アルフォルト?どうしました?」
急に静かになったアルフォルトに気づき、ライノアが声を掛けてくる。
はっとして、アルフォルトは誤魔化すように笑った。
「······ライノアのパウンドケーキ、あと二切れあるなぁって見てただけ」
茶化してフォークを振ったアルフォルトに「お行儀悪いですよ」と、すかさずライノアは注意したが、自分の皿から一切れ、パウンドケーキを取り分けてくれた。
「······なんだかんだ言って王子に甘いのよね」
メリアンヌが苦笑いして、ライノアの頭を撫でる。鬱陶しそうにライノアはその手を払ったが、嫌じゃないのが見て取れる。
ライノアが最初に懐いたのは、実はアルフォルトではなくリアンだ。
ライノアは認めたくないようだが、二人は年の離れた兄弟のような雰囲気がある。
(ああ、終わりなんて来なければいいのに······)
ずっと、この時間が続いて欲しかった。
♢♢♢
「で、昔みたいな話し方はもうしないの?」
就寝の挨拶をしに来たライノアに、アルフォルトは読みかけの本を脇に寄せて問いかけた。
「······もう、子供じゃないですし、この話し方が定着してますからね。それに私はルトの従者なので、身分に合った話し方をしてるんですが」
定型文のような返事しかしないライノアの手を引き、ベッドに座らせる。
隣に腰を下ろしたライノアの頬を両手で包み、アルフォルトは頬を膨らませた。
「本当は王子じゃん」
ニヤリと笑って見せれば、ライノアは眉を寄せてアルフォルトを見つめ返した。
「意地の悪い事を言いますね。······わかりました」
ライノアは一度言葉を区切ると、アルフォルトの耳に唇を寄せて囁いた。
「そんなに言うなら、アルフォルトの望み通りの話し方にするよ」
耳元を掠める吐息がくすぐったくて、アルフォルトは思わず耳を抑えた。
すかさずライノアの手が伸びてきて、耳元を抑えた手を絡め取る。
「ちょっとストップ」
「どうして?アルフォルトが望んだ事だろ?」
「そう、だけど······思ってたのとなんか違う!ていうか耳元でしゃべらないで······んっ······」
抗議の途中でふっと息を吹きかけられ、思わず上擦った声が溢れる。
「相変わらず耳が弱いな」
クスクスと笑うライノアの声が、直接鼓膜に響いてるようで、アルフォルトは思わずぎゅっと目を瞑った。
(耳が弱いのはそうなんだけど!それだけじゃなくて······)
いつもと同じライノアの声なのに、話し方が違うだけで雰囲気そのものが別人のように感じる。
思い返してみれば、昔の話し方は声変わりする前の子供独特の物しか記憶にないのだ。
今の低く落ち着いた声で意識して話されたら、ライノアの声が好きなアルフォルトとしては、たまったものじゃない。
頬が熱くなるのを感じ、思わず俯いて顔を押さえたアルフォルトを、ライノアは下から覗き込んだ。
「どうした?」
「あっ······」
ライノアと目が合う。
ドキドキしすぎて、呼吸が上擦る。
恥ずかしくて涙目になっているアルフォルトに気づき、ライノアの表情が強ばった。
「アルフォルト!?······もしかして、怖かったですか?」
頬を両手で包まれ、いつもの口調に戻ったライノアが心配そうに見つめてくる。いつでもアルフォルトの事を気遣ってくれる従者の優しさが、堪らなく好きだと思った。
それから首を振って、安心させるようにライノアの手に触れた。
「違うよ、怖いとかじゃなくて······その」
「ルト?」
「ライノアの声が好きだから、いつもと雰囲気が違ってドキドキしすぎて······どうしていいかわからなくなっただけ······」
言葉にすると、恥ずかしさが増した。頬の熱は引かず、おそらく赤いままだろう。再び俯いたアルフォルトに、ライノアは──固まっていた。
「え、ライノア?」
つん、とつついてみたが、微動だにしない。
どうしたものかと首を傾げると、ライノアから深いため息がこぼれた。そのまま、ベッドへ背中から倒れ込む。
「ぇえ?ライノア!?」
両手で顔を覆ったライノアを覗き込み、今度はアルフォルトが心配そうにしていると──。
「······可愛いすぎます」
「え?──ぅわっ」
ライノアの手が伸びてきて、アルフォルトの頭を大きな掌で包み込んだ。
そのまま、ライノアの唇へと誘われる。
「んっ······」
柔らかい唇の感触。下からついばむように、ライノアの唇が優しく触れる。
いつもはライノアが覆いかぶさってくる事が多いのに、今日は自分が覆いかぶさった体勢で、ライノアを見下ろす新鮮さに心臓が早鐘を打つ。
酸素を求め思わず唇を開くと、ライノアの舌が上唇を舐めた。
「······ふ、んんっ」
ちゅくちゅくと濡れた音を立て、アルフォルトの口腔をライノアの舌が弄 る。
上顎をなぞられ、アルフォルトの背がピクンと跳ねた。
身体を支える手が震える。力が抜けそうになるのを必死に堪えていると、後頭部を押さえていたライノアの手が項を辿り襟足をくすぐった。その微かな刺激にすら、アルフォルトは面白い程反応してしまい、たまらずライノアの頬を引っ張った。
「······馬鹿っ」
肩で息をするアルフォルトは、そのままライノアの上に倒れ込んだ。
酸素を求めて喘ぐアルフォルトの背中を撫で、ライノアは妖艶に微笑む。
「ルトが煽るからつい」
「煽ってない!ライノアの声が好きって言っただけ······ちょっと待て!ストップ!!」
再び唇を重ねようとしてきたライノアの顔を手で押さえる。不満そうなライノアを睨んでいると──。
「ひゃっ!?」
顔を押さえる手に舌を這わせ、指の間をねろりと舐められた。思わず上擦った声が出ると、ライノアは体勢を入れ替えてアルフォルトを押し倒した。
「もっと触れたい。アルフォルトの全てが欲しい」
聞き分けの悪い子供のように、ライノアが言うことを聞いてくれない。
(どうしよう·····)
蒼い目に見つめられると、なんでも「良いよ」と言ってしまいそうになる。アルフォルトだって、ライノアと触れ合う事は嫌いじゃない。
(寧ろ──)
しかし、ここで流されてはいけないと、アルフォルトは心を鬼にした。
「い、今はダメっ」
ライノアを直視できなくて、アルフォルトは視線をさ迷わせる。
「明日も早いし······」
ゴニョニョと言い訳するアルフォルトに、ライノア一瞬真顔になると、つぎの瞬間には破顔した。
「あははっ」
「わ、笑うな!」
「だって、ルトが可愛いすぎて······ふふっ」
しばらく笑っていたが、落ち着いたのかライノアは立ち上がる。頬に触れるだけのキスをすると、アルフォルトの頭を撫でた。
「悪戯が過ぎました。今はここまでにします。──おやすみ、ルト」
流し目を寄越した従者に再び赤面し、アルフォルトはヤケクソになりながら上掛けの中に潜り込んた。
「おやすみ!!早く寝ろ!!」
静かにドアが閉まる音がしたが、アルフォルトはしばらくドキドキして眠れなかった。
アルフォルトの寝室を後にしたライノアは、深呼吸のあと顔を手で覆った。
怖がらせないように慎重に、と頭では理解しているのに、いつも歯止めが効かなくなる。
もし止められなければ、ライノアはまたアルフォルトの身体に触れていただろう。
キスや触れ合うだけじゃない、もっとその先の行為がしたい。
「······今はダメ、ね」
おそらくアルフォルトが無意識に発したのであろう言葉に、ライノアは表情を取り繕うのに苦労した。
今以上の行為を、アルフォルトも望んでくれているのだろうか。
つまり、日を改めたら──顔がニヤけそうになっていると、何処からか殺意が飛んできた。
覚えのあるその殺意に、今日はシェーンが不寝番だった事を思い出す。
浮かれていると、本気で何処からか攻撃されそうなので、ライノアは心を無にして自室へと歩みを早めた。
ライノアだって命は惜しい。
ニヤけるのは部屋に戻ってからにしよう、とライノアは思った。
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