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第64話

ライノアはその日、ライデンの王城へ呼ばれていた。 手入れの行き届いた庭園。ゴシック様式の豪奢な城は美しく、小さい国とはいえ豊かさが窺える。ライノアの育ったディオハルト帝国の城とはまた違った|趣《おもむき》があり、難攻不落の城とは思えない程優雅だった。 「怪我がまだ治っていないのだから、楽にしてていいのよ」 ソファの上で固まるライノアに、アリアは苦笑いした。 (楽に、と言われても······) アリアに連れられて通された部屋は、王の自室だった。 国のトップの、ごくごくプライベートな空間に呼ばれたとあれば、落ち着ける訳もない。 そんなライノアとは裏腹に、アリアは勝手知ったるなんとやら。優雅に紅茶を嗜み、茶菓子のおかわりまで給仕に頼んでいた。 ちなみに、アルフォルトは不在だ。 自分も父に会いに行くと駄々をこねたが、傷口が開くといけない、と説得され渋々留守番をしている。 (傷口云々は建前で、おそらくアルフォルトには知られない方がいい話をする、という事だろうな) となれば、話の内容は自ずとライノアの正体についてだろう。 正直気が重いが、今後ライノアがアルフォルトの元で生きていくのなら、隠したままではいられない。どんなかたちであれ、アルフォルトの傍にいさせて貰うためなら土下座でもなんでもするつもりだ。 悶々と考え込んでいるとドアが開く音がした。顔を上げれば、金髪の美丈夫と目が合う。アルフォルトと同じ紫の瞳に見つめられ、ライノアは居住まいを正した。立ち上がり挨拶をしようとしたのを片手で制し、金髪の美丈夫──ライデンの王は微笑んだ。 「まだ怪我が治っていないのだろう?楽にしていなさい」 「すみません。お言葉に甘えさせて頂きます」 ライノアは椅子に座ったまま、深くお辞儀をした。 「遅いわよ、ベル。待ちくたびれて紅茶もお菓子もおかわりしてしまったわ」 アリアが頬を膨らませると、再び部屋のドアが開き、銀色の髪の糸目の男と、細身ではあるが気品溢れる五十代位の男が入って来た。 「すみませんねぇ、国政会議が長引いてしまって」 糸目の男が眼鏡を押し上げ、胡散臭い笑顔で謝罪した。 「お前が元老院を煽るからだろう、オズワルド」 中年の男は呆れながら糸目の男──オズワルドの背中を叩く。 「立ち話もなんだ、皆座ってくれ」 王に促され、全員が着席する。給仕は手際よくお茶を注ぐと、そのまま退室した。 完全に人払いがされたのを確認し、王はライノアを見つめて口を開いた。 「自己紹介がまだだったな。私はライデン王国の王、ベラディオ·ライデン。お前は──」 ライノアは、胸に手を当てると深くお辞儀をした。 「······お初にお目にかかります。私は隣国ディオハルト帝国第二王子、エルディオス·リー·ディオハルトと申します。······偽名を騙り、本来の身分を隠していた事、深くお詫び申し上げます」 おそるおそる顔を上げるが、誰一人怒った顔をした者はいなかった事に、ライノアは少なからず安堵した。 「大体の事情は把握しております。貴方のお兄様から亡命の事も聞いておりましたので」 「兄上が?」 思わず目を見開いたライノアに、糸目の男は頷いて見せた。 「申し遅れました。私この国の宰相を努めさせて頂いておりますオズワルドと申します」 「儂も挨拶がまだだったな。アリアの父でアルフォルトの祖父のアラン·マルドゥークだ」 アランが差し出した手を、ライノアはぎこちない動きで握った。それから、ライノアは再び俯いた。敵意が無いとはいえ、知らない大人──ましてや国の重鎮達に囲まれた状況は、正直言って居心地が悪い。 「とりあえず、アルフォルトに拾われるまでの経緯をお前の口から聞きたい」 アランの言葉にライノアは深く頷き、訥訥と語り始めた。 母に命を狙われている事を知り、数名の近衛騎士と従者と共にライデンへ亡命する予定だった事。どこからか情報が漏れ襲撃に合い、自分を逃がすために皆命を散らした事。肩を矢に射られ、川に落ち──気づいたらマルドゥーク家の病院だった事。 ライノアの話を聞いていたオズワルドが、顎を撫でて頷いた。 「合点がいきました。最近見慣れぬギルドが動いていたのは、貴方を探していたからなのですね」 「どういう事かしら?」 アリアが頬に手を当てて首を傾げた。 「密やかに始末したはいいが、トドメを刺したか確認もせず、死体も回収していない事を指摘され、焦ったディオハルトの騎士達はその辺のギルドに王子の行方を依頼した。ここまで探しても遺体が見つからないのは、生きている可能性が高いと踏んだんでしょうね。もし生きて捕らえたら報酬は弾む、と。しかしギルドが功を急ぐあまり、手当り次第といいますか······首都近郊で黒髪の子供が誘拐される事件が相次いでいたのですよ」 誘拐されたのが自分だけでは無いと知り、ライノアは驚いた。 「臨時で雇い入れていた給仕の一人がどうやら密偵だったようで、黒髪の高貴そうな子供がマルドゥーク家に運び込まれているのを知り、ギルドの侵入を手引きした。そうですよね、アラン様?」 オズワルドの言葉に、アランは苦々しい表情で頷いた。 「まったく、嘆かわしい事だ······やはり間に合わせで人は雇うものではないな」 深くため息を()き、アランは頭をかいた。 「私が誤ってアルフォルト王子のカツラを取ってしまわなければ······王子は誘拐されなかったと思います。そしたら怪我もしなかった······」 金髪のカツラのままなら、誘拐されなかったはずだ。ライノアが沈鬱な面持ちで項垂れると、ベラディオは立ち上がりライノアの手を取った。 「もしあの時、アルフォルトがカツラを付けたままなら······お前だけが拐かされ、あの子は目撃者として殺されていただろう。誘拐された後も、自分を犠牲にあの子を守ろうとしたと聞いた」 確かに、アルフォルトを助けようと足掻いたが、結局怪我を負わせてしまった。 ライノアは首を振ると、絞り出すような声で呟いた。 「そもそも、私がいたから······私のせいで今回の事件が起きてしまいました。なんとお詫びしたらいいのか」 ライノアの言葉に、ベラディオの深いため息が聞こえた。 思わず目を瞑ると、頭を撫でられる感触がした。 そっと目を開けると、痛ましい顔でベラディオが頭を撫でている。 「まったく······お前はまだ子供だろう?子供は責任だとかお詫びだとか難しい事など考えなくて良い」 それからベラディオは言葉を区切ると、ライノアの瞳を覗き込んで微笑んだ。 「アルフォルトを守ってくれた礼がしたい。何か願いはあるか?」 思ってもみなかった申し出に、ライノアはどうしたものかと戸惑った。そもそも、自分のせいでアルフォルトを巻き込んでしまったのだ。 お礼なんて、とあまりにも顔に出ていたのだろう。ベラディオは苦笑いすると、ライノアの肩を軽く叩いた。 「難しく考えずにお前の願いを言えばいい」 (俺の願い······) ひとつだけ、ある。 気づいたら、ライノアは口を開いていた。 「······アルフォルト王子の、傍にいたいです」 顔を上げベラディオの瞳を見つめた。アルフォルトと同じ紫の瞳に、自分はどう映っているのだろう。 「俺は生まれた時から要らない子で、自分の存在価値がわからずに生きてきました。そんな自分に生きていい、と彼は言ってくれたんです。······下働きでもなんでもかまいません。迷惑はかけませんので、どうか······」 ライノアはもう一度頭を下げた。必死になるあまり、言葉が乱れてしまった事に気づいたが今更どうしようもない。 暫くの沈黙の後、ベラディオは静かに言った。 「······弟は国に帰るつもりはなさそうだぞ?」 「そのようですね」 聞きなれた声に思わず顔を上げると、帝国にいるはずの実兄──エルドレッドが苦笑いしながら、衝立の裏から出てきた。 「あに、うえ······?」 上擦った声で呼ぶと、エルドレッドは泣きそうな顔で微笑み、ライノアを抱きしめた。 「エルディオス、無事でよかった······」 久しぶりに触れた兄の体温に安堵したのか、ライノアの中で何かが決壊し、大粒の涙が次々と零れた。背中を優しく撫でる手に、ライノアは小さな子供に戻ったような気分になる。 「お前を亡命させて貰えるようお願いした後に、ベラディオ様から知らせを貰って······慌てて来たのだよ」 エルドレッドはライノアを抱き上げると、ソファに座り、ライノアを自分の膝の上に乗せた。 十歳、年の離れたエルドレッドはディオハルト帝国で、ライノアの唯一の味方だった。 立場上表立った擁護はできず、表面では敵対して見せていたが、誰よりもライノアを愛し守ってくれていた。エルドレッドがいなければ、ライノアはここまで生きて来れなかっただろう。 エルドレッドは、ここにくるまでの経緯(いきさつ)を話してくれた。 公務で隣国へ出向いている間にライノアが賊に襲撃されたと知り、急いでライデン王国へ弟の亡命を頼んだ。ライノア達が城を抜け出せるよう裏で手を回したが、何処から情報が漏れたのか母の近衛騎士が不審な動きを見せていたと密偵から報告を受けた。 忙いで帰城すると、ライノアは外遊中に賊に襲われ亡くなったと、母に聞かされた。 ライノアを守れなかった事に打ちひしがれ、せめて手厚く葬ろうとライノア遺体の捜索を始めたが、見つかったのは近衛騎士や従者だけで、肝心のライノアの遺体はなく、どうしたものかと途方に暮れていた矢先──ライデンから密書が届いた。 亡命予定だった王子と思わしき少年を保護した、と。 エルドレッドはいてもたってもいられず、ライデンまで単身駆けつけたらしい。 王子としては無謀な行動に、ライノアは兄が心配になった。 「母上には『弟と思わしき少年の遺体がライデン王国で見つかった為、秘密裏に確認して欲しいとベラディオ様から言伝(ことづて)があった』と言って出てきたんだ」 一国の王子が他国で遺体となって見つかっては、外交問題に発展しかねない。ましてディオハルト帝国とライデン王国は交易も盛んで敵対するのは好ましくないと思ったのだろう。母上は特に怪しむ事もなく、ライデンへ出向く事を許可したと言う。 「実際この目で見るまでは安心出来なかったんだが、お前が無事で本当に良かった」 背中から優しく抱きしめて離さないエルドレッドの体温が心地よく、ライノアは安心して背中を預けた。 「弟を保護して下さり、心から感謝致します」 エルドレッドがベラディオ達に深く頭を下げた。 「先程の話に戻るが、お前の弟はこちらで預かると言うことで良いんだな?」 ベラディオの言葉に、エルドレッドは頷いた。 「ええ。我が国に連れ帰っても、また同じ事の繰り返しになるでしょう。それなら、死んだ事にして母の目の届かない所で生きた方が良いかと。ライデン王国には迷惑をお掛けする事になるのですが······」 「我が国で内乱があった時代、私を保護してくれたのは貴国だ。その借りをかえすだけだよ」 少し遠くを見つめて、ベラディオは肩を竦めた。 昔から両国は友好国ではあったが、今回の事が露見すれば、母が何をするかわからない。 危ない橋である事には変わりないが、それでも心良くライノアを引き受けてくれる懐の深さに感謝した。 話がまとまってくると、それまで沈黙して様子を見守っていたオズワルドが口を開いた。 「王子は死んだ、ということにするならやはりが必要ですよね?」 「それならもう用意してある。王子とほぼ同じ体格、黒髪の子供の遺体── ウチは病院だからな、いくらでも用意できるぞ。その遺体を帝国まで連れて行けば、女帝も納得するのではないか?」 アランが茶目っ気たっぷりにウインクした。話の内容は全く茶目っ気などないが。 「王子が最初に着ていた服は処分せずに保管してるの。だから、その服を着せて──顔はどうしましょうか?私のメイドは変装の名人だから、おそらくわよ」 アリアもどこか楽しそうに話に加わるのをぼんやりと眺めていると、エルドレッドがライノアの頭を撫でた。 「何があっても私はお前の味方だよ、エルディオス。国が落ち着いたら必ず迎えにくる」 素直に頷くと、ライノアは目を瞑った。 涙はもう、止まっている。 「俺も······いずれ兄上を支えられるよう、強くなります」 ライノアの言葉に、ただ一人の兄は嬉しそうに微笑んだ。 ♢♢♢ エルドレッドは、マルドゥーク家が用意してくれた偽物のエルディオスを連れて帝国へ戻った。 ライノアもエルドレッドも驚くほど、その子供の遺体は第二王子(エルディオス)そのもので、自分の死に顔を見ているようでライノアは複雑な気持ちになった。 帝国の哀れな第二王子は、再び死んだ。もしまたエルディオスを名乗る日が来るとすればそれば、帝国に戻る時だ。 もしかしたら、そんな日は二度と来ないかもしれない。 それでも良い、とライノアは思う。 今の自分はもう、帝国の第二王子ではない。 ──ただの、ライノアだ。 命を賭して守ってくれたこの従者の名前を、ライノアは気に入っている。 ライノアなら、なんだって出来る気がした。 初めて自由になれた気がした。 深呼吸をして、ドアをノックする。 返事は無い。でも、想定の範囲内だ。 ドアを開けると、天蓋の付いたベッドの上で、小さな天使はすやすやと眠っていた。艶やかな黒髪に薔薇色の頬。起こすのが忍びないほど、愛らしいあどけない寝顔。 そっと手を伸ばし、肩を揺する。 眉間に皺をよせて、上掛けの中に潜り込もうとする前に、ライノアは上掛けを捲った。 「朝です起きてください、アルフォルト様」 ついでにカーテンも開けると、眩しさにアルフォルトは目をこすった。 「う······」 「起きてください!」 先程より大きな声で呼びかけると、アルフォルトは瞼をぱちくりさせ──ライノア見つめると、跳ね起きた。 「えっライノア!?·····っ痛」 「馬鹿っ······怪我が治ってないんですから、無理に動かないでください」 脇腹を抑えて唸るアルフォルトの背中を擦り、ライノアはため息を吐いた。 「なんでライノアが起こしに······?てか、その話し方」 アルフォルトは状況が飲み込めず、疑問符だらけの表情でライノアを見つめた。 「今日から私は、アルフォルト様の従者としてお仕えさせて頂きます」 ライノアはアルフォルトの足元に跪いた。 ──アルフォルトの傍にいたい。傍にいられるなら、下働きでもなんでもいい。 そう、ベラディオに伝えたら、まさかの従者を任されてしまった。 既に王子でもなんでもない上に匿われている身の自分に務まるだろうか、と不安な旨を伝えたら、歳が近く、貴族の立ち居振る舞いや所作も問題ない上にアルフォルトが懐いている。これ以上の適任はいない、とあの場にいた重鎮達全員の太鼓判を貰ってしまった。そこまで言われるとさすがに断れない。 ちなみにライノアの身元は宰相であるオズワルドが引受人になってくれた。正直胡散臭い印象が拭えない男だが、おそらく悪い人ではないのだろう。 それから、従者としてアルフォルトに仕えるなら、彼を守れるように強くなりたい。 その事を伝えたらアランは大層喜び、リアンが稽古を付けてくれる事になった。 リアンは本来アランの護衛で、忙しいアランに変わってライノアの監視をしていたらしい。 やはり警戒はされていたのだな、とライノアは苦笑いした。 ライノアがディオハルトの王子だという事は、あの日王の自室にいた人間以外には秘密だ。 もし帝国の女帝にライノアの生存がバレれば、戦争になりかねない。 特にアルフォルトには絶対に知られてはいけないと言われた。それは、彼を守る為でもある。 跪いたまま、アルフォルトを見上げると、紫の瞳が困惑と期待で揺れていた。 「とりあえず、立って。跪かれると落ち着かないよ」 促され、ライノアは立ち上がる。アルフォルトに手を引かれ、ベッドの上──アルフォルトの隣に座った。 「ライノアが僕の従者になるのは嬉しいけど、今までみたいな話し方でいいよ?」 「それは出来ません。私はあくまでアルフォルト様の従者(しもべ)ですから」 ライノアが首を振ると、アルフォルトは頬を膨らませた。 「他人みたいで嫌」 「もともと他人です」 「せっかく仲良くなったのに、距離感あって嫌!······それとも、ライノアは僕の事嫌いになったの?」 潤んだ瞳に見つめられ、ライノアはたじろぐ。 今にも泣き出しそうなアルフォルトだが、線引きは必要だ。 「嫌いとかではなく、私とアルフォルト様では身分が······」 本来は王子同士なので問題ないが、ライノアは今ではない。ただの、ライノアだ。そんなライノアの事情などお構い無しにアルフォルトはとうとう泣き出した。 「(さま)も付けないでよ!敬語も嫌!」 「子供ですか!」 「子供だもん!!」 今までの聞き分けの良さが嘘かと思うくらい、駄々っ子のようにジタバタし始めたアルフォルトにライノアはお手上げだった。 「わかりました!それならこうしましょう」 アルフォルトの涙をそっと拭い、ライノアはため息を吐いた。 「敬語は辞めません。従者という立場上、そこは譲れません。そのかわり──」 ライノアは、アルフォルトを見つめる。 近くで見つめ合うと、紫の瞳に自分が写り込んでいるのがわかる。 「二人でいる時は、様はつけません。これまで通り『アルフォルト』と呼びます。勿論公の場では敬称を付けますよ?──妥協できるのは、ここまでです」 ライノアの言葉に、不満は残るのだろうがアルフォルトは頷いた。 それから何かに気づいたのか、アルフォルトははにかんでライノアに抱きついた。 「ちょっと、アルフォルト?」 「二人きりの時だけって、なんか特別な感じがする······ねえ、もっと呼んでよ──僕の名前」 甘える声でねだられれば、ライノアには拒めない。 「アルフォルト」 「もっと」 「アルフォルト」 「もう一回」 「アルフォルト······いつまでやるつもりです?」 抱きついままま笑いだしたアルフォルトに、ライノアもつられて笑った。 まだ笑顔がぎこちない自覚はある。それでも、ライノアの笑顔にアルフォルトはとても嬉しそうだった。 ──これから、アルフォルトと共に生きていく。 その事が、ライノアには酷く幸せに思えた。

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