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第63話
ライノアが目を覚ましたのは、事件から三日後だった。
意識が覚醒し思わず跳ね起きると、全身に痛みが走り呻き声を上げる。
「······っ、う······」
痛みに暫く蹲っていると、大きな手が伸びてきて、背中を|擦《さす》った。顔を上げるとリアンが、どこかホッとした表情で見下ろしている。
「動くとまだ痛いだろ、大人しくしてな」
「······ッ、アルフォルトは!?」
ベッドから起き上がり、アルフォルトを探そうとしたライノアを抑えて、リアンは苦笑いした。
「ひとまず落ち着けって。お前、全身打撲に肋骨骨折で三日間寝てたんだぞ」
そういえば、全身蹴られた上に殴られた事を思い出す。自覚した途端、全身が痛くてライノアは深く息を吐き出すと、口に何か入れられた。
そのまま水を飲まされ、嚥下すると口腔内にえもいえぬ苦味が広がり、ライノアは顔を顰 めた。
「めちゃくちゃ苦いだろ?でもその痛み止めが一番効く」
人の悪い顔で笑うリアンを睨んだが、苦味のお陰で気が逸れて、痛みが少し和らいだ。
痛みと苦味で百面相するライノアを面白そうに眺め──それから、リアンは近況を教えてくれた。
「······アルフォルト王子は、今はまだ眠っている。傷が深く出血が多かったが、幸い臓器に損傷はないそうだ。じきに目覚めるよ」
「そう、か······よかった」
アルフォルトか生きていると知り、ライノアは心の底から安堵した。自分のせいで、もう誰も死んで欲しくなかった。
震える声で呟くと、リアンに頭を撫でられる。
「まったく、お前らは人の心配ばっかしてないで、少しは自分の心配しろよ。それでも子供か?」
わしゃわしゃと頭を撫でるリアンの手が、動きの割には優しくて、ライノアはなぜだか泣きそうになった。慌てて俯くと、ドアが開く音と共に、アリアが部屋へと入って来た。
ベッドの上で上体を起こしたライノアを見つけ、アリアは目を見開くと嬉しそうな顔で駆け寄って来た。
「まぁ、目が覚めたのね!よかったわ」
「アリア様走らないで下さい!また発作を起こしたらどうするんですか」
「そんなに虚弱じゃないわよ」
リアンがすかさず窘めると、アリアは頬を膨らませた。拗ねた顔がアルフォルトと同じで、やはり親子なのだな、とライノアは改めて思った。
「聞いたわよ、貴方自分を犠牲にアルトを助けようとしたんですって?」
腰に手を当てて、アリアは眉を顰めた。ライノアは首を振ると、頭を下げた。
「俺のせいで、アルフォルトを巻き込んでしまいました。挙句怪我を負わせてしまい、申し開きのしようもございません。いかなる処罰も甘んじて受けます」
助けて貰ったにも関わらず、一国の王子を危険に晒してしまった。一命を取り留めたとは言え、大怪我まで負わせてしまったのだ。処刑されても文句は言えない。
頭を上げずにいると、アリアはライノアの肩に手を添えて顔を上げるよう促した。
恐る恐る顔を上げると、アリアは困った顔でライノアを見つめていた。
「いやだわ、そんな畏まった言い方しないで。それにあの子の怪我は、貴方のせいじゃない。もし問題があったとすれば、それはうちの警備体制が不十分だった事よ」
「俺さえいなければ······」
思わず上掛けをぎゅっと握りしめたライノアの手を、アリアは両手でそっと包み込んだ。
「そんな事言わないで。貴方の機転のお陰であの子は生きてる。アルトを助けてくれて、ありがとう」
感謝される事など何一つないのに。
疫病神でしかない自分に、マルドゥーク家の人々はどこまでも優しくて、ライノアは申し訳なさに上手く息ができなかった。
「まだ身体が辛いでしょう?今はゆっくり休んで、元気になったらまた、アルトと遊んで下さいな」
ライノアの頭を撫でると、アリアは優しく微笑んだ。それから、ライノアの耳元に手を翳し、ナイショ話でもするように囁いた。
「リアンはね、貴方が目覚めた時一人だと可哀想だからって、仕事以外の時間はその椅子に座って目覚めるのを待ってたのよ」
「アリア様······余計なこと言わないで下さい」
思わず凝視すると、バツの悪そうな顔で、リアンはライノアから視線を逸らした。
口は悪いし背は大きいし、警戒されているとばかり思ったのに。
胸の奥がムズムズして、今まで感じた事のない感情に、ライノアはどういう顔をしていいのかわからなかったが、嫌じゃない事だけはわかった。
ライノアが目覚めて二日が過ぎた。
まだ痛み止めは欠かせないが、胸部を布で固定して貰うと、一人でも動けるようになった。
ライノアは今日もアルフォルトの眠る部屋に来ている。
先程までアリアが付いていたのだが、どうしても外せない政務があるとの事で、戻るまでの間傍にいてあげて、とお願いされた。
天蓋の付いたベッドで眠るアルフォルトは、やはり天使のように愛らしく、触れれば壊れてしまいそうな程繊細だった。
ライノアにカツラだと知られた為、被せる必要がなくなったのだろう。金色のカツラも今は外して、本来の艶やかな黒髪が露わになっている。
ライデン王国の王は金髪であるべきだと言われている、とアリアが教えてくれた。黒髪の王は災いを齎すため、良しとされない。アルフォルトが黒髪だと知られれば、命が危ないかもしれないと、外に出る時や他人が近くにいる間はカツラを被せているとアリアは話した。
そっと頭を撫でると、指先に触れる柔らかな髪は艶やかで、アルフォルトの薔薇色の頬や今は閉じて見えないが、紫の瞳に良く似合っていた。
(黒髪の方が、似合っている。寧ろ──)
金髪も充分綺麗だったが、黒い髪の方がアルフォルトの容姿をより引き立てている。それどころか、子供独特の幼さに蠱惑的な雰囲気が加わり、確かにこれはカツラを被せて正解だ、とライノアはなんとも言えない気持ちになった。
「······早く起きて、アルフォルト」
そっと、手を握る。小さな手は柔らかく、桃色の爪先に口付けた。
「最初は、なんで俺なんか助けたんだって思った。生きてても辛いだけだって。でも、お前が毎日俺の所へ来て、どうでもいい話をして、笑ってくれるのを見てたら······俺でも笑えるんじゃないかって、そう思えたんだ」
ライノアは、目を閉じた。
生まれてからずっと、要らない子だと言われ続けていた。実の母に命を狙われ、生まれた意味も生きる意味もわからずに、ただ息をしていた。
命懸けで逃がしてくれた騎士や従者。助けてくれたマルドゥーク家の人々。
初めて「生きていていいよ」と言われた気がした。
「······俺は、生きたかったんだ」
絞り出すような声は掠れて、酷く醜いものに聞こえた。それでも、これが本心なのだと気づいてしまったら、抑えられなかった。
「······生きていいんだよ」
小さな声が、ライノアを肯定した。
思わず目を見開くと、アルフォルトが真っ直ぐにライノアを見つめ、微笑んでいた。
「あ、」
上手く声が出ない。胸の奥が苦しくて、呼吸の仕方すら忘れたかのように、小さく喘いだ。
そっと伸ばされた指先がライノアの頬を撫でて、濡れた感触がする。それが涙だと自覚した途端、ライノアの中で何かが決壊し、とめどなく涙が零れた。思わずアルフォルトを抱きしめると、アルフォルトは優しくライノアを抱きしめ返した。
「ごめ、なさい······怪我させて」
「ううん、これは僕が勝手にやった事だから」
アルフォルトの言葉に、ライノアは首を振った。
「······ッ傷跡、消えないって、聞いた」
アルフォルトの左脇腹に負った怪我は、一生消えない跡になると聞かされた。
その事をアリア達は特に気にしないと言っていたが、本心まではわからない。
ボロボロと涙を零すライノアに、アルフォルトは苦笑いした。
「女の子なら一大事だけど、僕男だよ?確かに今は痛いけど、傷は男の勲章っていうし」
カッコイイじゃん?と笑うアルフォルトだが、ライノアの涙は止まらなかった。
困り果てたアルフォルトは、何かを思いついたのかニヤリと笑ってライノアの頬に両手を添えた。
至近距離で見つめ合う形になり、アルフォルトの紫の瞳に、自分が映り込む。
「じゃあさ、キズモノにした責任とって、ずっと僕の傍にいてよ」
いたずらっ子のような顔で、アルフォルトは言った。
途端、ライノアの涙が止まる。
「······いいのか?」
急に真顔になったライノアに、アルフォルトは目をぱちくりさせた。
「う、うん?いいよ」
泣き止んだライノアを不思議そうな顔で見つめ、アルフォルトは頷く。
「──そうか。お前がいいならずっと傍にいる。······アルフォルトが要らないっていう日まで」
ライノアは微笑んだ。
(傍にいていいんだ······)
存在価値の無かった自分が、アルフォルトの隣でなら生きられる。
人として生きる事を赦された気がした。
その事が酷く嬉しくて、ライノアはアルフォルトを抱きしめた手を暫く離せないでいた。
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