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第62話
遠くで、聞きなれない男の声がする。
複数のぐぐもった声。
目を開けると──そこは、薄暗い室内だった。
「······っ」
頭が重い。鈍い痛みにライノアは顔を顰めた。
(どこだ、ここは?)
暗がりに目が慣れるのを待ち、部屋の中をぐるりと見渡せば、物置だろうか。
埃を被った調度品などが部屋の大半を占めている。光源は、閉ざされた重厚なカーテンの隙間から、微かに射し込む陽の光だけだ。
起き上がろうとし、身体に違和感を覚えた。
どうやら後ろ手で縛られているようで、どうにか上体を起こすと、すぐ近くにアルフォルトも同じように縛られているのを見つける。
「おい、大丈夫か?」
小声で声を掛けるも起きる気配はなく、心配になり顔を近づけ──呼吸を確認し、ライノアはホッとした。
それでも離れるのは気が引けて、アルフォルトに寄り添ったままライノアは天井を見上げた。
カーテンの隙間から射し込む西日から考えるに、意識を失っていたのは一時間程だと推測した。
馬車や馬で移動したとしても、極端に遠いところまで連れてこられた訳ではなさそうなのが、せめてもの救いだ。
しかし、とライノアは思う。
(······どうしよう、巻き込んでしまった)
深く溜息を吐 く。
何も、アルフォルトのカツラを誤って取ってしまった瞬間に襲撃しなくてもいいのに。
もし金髪のままなら──そこまで考えて、ライノアは首を振った。
たられば、なんて無意味だ。
起きてしまった事はどうしようもない。
それよりも今は、どうにかしてアルフォルトを逃がす事を考えなくては。
あの場で殺されなかった事と、ライノアの顔を知らない事を踏まえると、おそらく生きたま引き渡すつもりだ。
何か使えそうな物が無いか部屋を見渡すが、武器になりそうな物は無い。
例えあったとしても、ライノアのような子供が太刀打ちできるとは到底思えない。
となると、ライノアに出来る事はたかが知れてる。
そっと立ち上がり、重いカーテンの隙間から外を覗くと、どうやらここは一階で、窓の外には雑木林があった。幸い見張りはいなさそうだ。
ここがどこかわからない以上、下手に逃げてもすぐ捕まるだろう。味方に見つけて貰えないのが一番良くない。
窓の近くには調度品が納められているであろう木箱があり、足場には丁度良い高さだ。
それから、部屋の隅。絵画や壺の近くには、上から被せて美術品を保護する為の布が沢山あった。
管理が杜撰で、室内はとても散らかっているが、今の状況的には寧ろ好都合だ。
テーブルの上にアンティークのレターオープナーを見つけ、ライノアはぎこちないながらもどうにか拘束している縄を切った。
後ろ手で見え辛かったせいで中々上手く切れず、切り終わる頃には手は傷だらけになっていた。
アルフォルトの縄も切り終わり、未だ意識が戻らないその頬を軽く叩いた。
「おい、眼を覚ませ」
小声で呼びかけると、ようやくアルフォルトは目を開いた。
ぼんやりとした表情でライノアを見つめ──状況を理解したのか、硬い表情のままキョロキョロと辺りを見渡した。
「ここは······」
「わからない。ただ、そう遠くまでは来ていないと思う。······巻き込んでごめん」
ライノアの謝罪に、アルフォルトは首を振った。
不安なのに、ライノアを罵る事も泣きわめく事もしない小さな王子に、胸が締め付けられる。
ライノアはアルフォルトを見つめると、初めて自分から手を伸ばし──アルフォルトの手を握った。
──多分、これが最後になる。
それなら、言いたい事はちゃんと伝えたい。
もう、あの時みたいに後悔したくない。
見つめた先の紫の瞳は、やはりあの日と同じで。
凄く綺麗だ、とライノアは場違いにも思った。
「······毎日俺の所にきて、どうでもいい事ばかり話して、最初は正直煩わしかった。動けるようになったら、今度は一緒に遊べとか。お前はその繊細な見た目とは裏腹に、よく喋るし動くし、勉強からはすぐ逃げるし······」
「ライノア?」
急に文句を言い始めたライノアに困惑し、アルフォルトは首を傾げた。
「弟を紹介された時、胸がモヤモヤしたのは──おそらく、嫉妬だったんだな」
いつも自分に付き纏うアルフォルトが、嬉しそうにシャルルの話をするのが嫌だった。
自分以外の存在を大切そうにしているのを見たくなかった。
それは多分、はじめて感じた「嫉妬」という感情だ。
「俺は、感情を表に出すのが苦手だ。でも、お前といて、俺は知らない感情が沢山ある事に気付かされた」
独り言のように、ライノアは一方的に話した。
今まで、他人相手にこんなに長々と話した事は無いかもしれない。自分はちゃんと喋れたんだ、と場違いなからも少しだけ嬉しくなった。
「碌な返事して来なかったけどお前の話、嫌いじゃなかったよ。短い間だけど、楽しかった。俺を拾ってくれてありがとう、アルフォルト」
はじめて、その名前を呼んだ。
「ねぇ、今なんでそんな事言うの?まるで──まるで、お別れする時みたいだよ」
ライノアは困惑するアルフォルトを美術品の隙間に押し込んだ。そのまま、アルフォルトの小さな身体をぎゅっと抱きしめる。
小鳥のような小さな鼓動。温かい体温。アルフォルトからは不思議と、花のような甘い香りがした。
そっと、腕を離す。
それから、アルフォルトの靴を片方脱がせた。
「何があっても動かないでじっとしていて。お前の所の護衛達は優秀だから、絶対に助けに来る。それまで我慢して」
「ライノアは?ライノアも一緒だよね?」
アルフォルトが伸ばした手を取らずに、ライノアは美術品の脇にある布を両手で抱えた。
そのまま、アルフォルトを隠すように被せ──涙で揺れる紫の瞳に、ライノアははじめて微笑んだ。
上手く笑えたかは、わからない。
一瞬だったから、もしかしたらアルフォルトには見えていなかったかもしれない。
それでもいい、とライノアは思った。
アルフォルトを隠し終えたライノアはカーテンを開け、もう一度外の様子を窺った。
やはり見張りはいないようだ。
窓を開け、アルフォルトの靴を投げると木箱を窓の下まで移動させた。
そして、敢えて大きな音を立てて木箱を蹴った。
途端、近くの部屋から聞こえるぐぐもった声が一瞬止み、慌てて廊下を駆けてくる複数の足音。
勢いよくドアが開き、ライノアは木箱に登った。
窓枠に手をかけ、外に逃げようとし──後ろから掴まれて引きずり降ろされる。
そもそも、ライノアに逃げる気はなかった。
強かに背中を打ち、衝撃に呼吸が詰まった。
肩の傷は塞がったとはいえ、傷跡に走る鈍い痛みに呻き声を上げる。
「おい、もう一人のガキはどうした」
無言で顔を逸らすと、頬を殴られた。
「っ······」
口の中に鉄の味が広がる。
それでも無言でいると、何度も蹴られた。
一際強く腹を蹴られ、ライノアは盛大に|嘔吐《えず》いた。
全身が焼け付くように痛い。圧倒的な暴力に、為す術がなく、ライノアは自分の非力さを呪った。
「窓から逃げたみたいだぞ!!」
もう一人が窓の外を覗き、アルフォルトの靴を見つけて叫んだ。
「雑木林の方へ逃げたか······ったく、面倒な」
別の男が窓の外へ、アルフォルトを探しに向かう。
それを見たライノアは、心の中で安堵した。
窓の外へ投げた靴はフェイクだ。木箱で足場をつくり、いかにも窓の外にアルフォルトが逃げたように見せた。
「まあ、どうせすぐ捕まる。ガキの逃げ足なんてたかが知れてる」
覆面の男はじっとライノアを見つめると、ため息をついた。
「······目的は、俺だろ?アイツは、関係ないから見逃してくれ」
殴られて唇も切れたのか、口を開く度に染みる。
声を出すだけで、身体中が軋んだように痛む。
そんなライノアの言葉に、覆面の男は鼻で笑った。
「関係ない?どのみち帰す気はねぇよ。捕まえて引き渡して、いらない方は処分する。五体満足で、と言われたんだがまた逃げられると面倒だ」
覆面の男は、腰に下げていたナイフを取り出した。
「手足の腱、切っちまえば逃げれないよな」
西日が反射し、ナイフの刃先が眩しい。
(そんな事しなくても、もう俺は動けない。切り終わる頃には、アルフォルトの護衛は来るだろうか)
少なくとも自分を切っている間はアルフォルトに目が向く事はない。外に探しに行った別の男も暫くは戻らないだろう。
多少ではあるが時間を稼げれば、アルフォルトが助かる確率は上がる。
痛いのは、苦手だ。迫り来るナイフが怖くないと言えば嘘になる。
でも、少しでも時間を稼いでアルフォルトを守れるなら、それでいいと思った。
(なるべく痛くないように、切ってくれないか·····なんて、無理か)
それに、引き渡す、と覆面の男は言った。おそらく引き渡す先は帝国で、今度こそ確実に殺されるだろう。
わざわざこんな回りくどい事をしなくても、襲撃してきた時点で殺せばよかったのに。
思わず苦笑いしたライノアは、ナイフが振り降ろされるのを確認し、目を閉じる。
が、一向に刺される痛みはなく、恐る恐る目を開くと──ライノアを庇うように、アルフォルトが覆いかぶさって来た。
「なっ!?」
「ぅぁっ······」
ライノアに振り降ろされたナイフがアルフォルトの左の脇腹を刺し、赤く染まる。
「おいガキ、どっから······」
予想外の出来事に動揺した覆面の男の隙をついて、ライノアは身体が痛むのを無視して思いっきり体当たりした。
全身が悲鳴を上げる。
蹴られて肋骨が折れているのか、激痛が走ったがかまわずに体重をかけた。
男が倒れ、ナイフが床に転がる。
そのままナイフを拾い上げ──ライノアは、その男の胸にナイフを突き立てる。それは半ば無意識の行動だった。
「がはっ······」
全てがコマ送りのようにスローモーションに思えた。
肉に、刃先が埋まる感覚。
初めて味わう感触に手が震える。
呼吸が上手くできない。
「あ······」
はく、と無理やり息を吐き出し──自分の後ろで呻き声をあげるアルフォルトに気づき、慌てて駆け寄る。
「なんで隠れてなかったんだ!」
殆ど怒鳴るような声で、ライノアはアルフォルトを抱え起こした。
その間にも脇腹はどんどん赤く染まり、ライノアは近くにあった布を押し当てた。
痛みを堪えながら、アルフォルトはライノアの頬に手を伸ばす。
「······っ、僕だけ、助かっても、嬉しくない」
「俺と違って、お前は必要な人間なんだ!それなのに······」
頬に触れるアルフォルトの手を、震える手で握りしめた。いつもは温かい指先が、今はやけに冷たい。
「ライノアは、いらない人間じゃない、よ······だって······」
痛みで揺れる紫の瞳は、しかし力強くライノアを見つめて、微笑んだ。
「僕の、はじめての友達、だもん」
友達がなんなのか、ライノアにはまだわからなかった。でも、アルフォルトを失いたくない、と心の底から思う。
脇腹の血は止まらず、アルフォルトの身体がどんどん冷たくなっていく。
ライノアがナイフを突き立てた男が、呻きながら起き上がるのが見えた。
まだ生きていた事に、殺した訳ではなかったと安堵したが、同時に絶望した。
(全身痛くて、もう動けない)
どんなに取り繕っても、所詮自分は非力な子供で。
助けて貰ってばかりで、何もまだ返せていない。
男が、自分に刺さったナイフを引き抜いて、ライノアとアルフォルトに振りかざした。
アルフォルトの身体を庇うように抱きしめ、信じてもいない神に祈った。
「頼むから、お願いだからアルフォルトを······助けて」
──自分はどうなってもいいから。
途端。
鮮血が迸った。
男の胸を剣が貫き、男は床へと崩れ落ちる。その背後から赤髪の男──リアンが現れた。
「遅くなって悪い」
息を切らせて、リアンはライノアとアルフォルトを抱きしめた。
リアンの背後が騒がしい。視線を向ければ、マルドゥーク家の護衛と思われる人達が館を制圧したのだろう。喧騒に混じって剣戟音が聞こえた。
ライノアは、リアンの顔を見るのが怖くて俯いた。
自分のせいで、アルフォルトを危険な目に合わせてしまった。
「アル、フォルトが、俺のせいで」
怒鳴られても罵られても仕方がない。
しかし、一向に怒鳴られる事はなかった。
かわりに。
「お前のせいじゃないよ──よく頑張ったな」
リアンの声はどこまでも優しくて、ライノアは安心し──そのまま意識を失った。
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