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第61話

ライノアがマルドゥーク家に来て一ヶ月が経った。 肩の傷は大分良くなり、動かすと僅かに引き攣れる程度で、日常生活に支障はない。 あまり長い事厄介になるのも気が引け、それとなく出ていく旨を伝えてはいるのだが、なぜだか引き止められている。 (もしかして俺の身分がバレたか······) だが、それならすぐ国へ戻される筈だ。 行く宛ても無いので有難いが、ただ居るだけではさすがに申し訳ないので、最近は屋敷の手伝いをしている。 手伝いと言っても、基本はアルフォルトのお守りか、アルフォルトが勉強から逃げ出さないように監視する、もしくはアルフォルトが勉強で使った本の片付けか──とにかく、アルフォルトの世話を焼いている。 (得体の知れない子供に王子を任せて不安じゃないのだろうか) 勿論、何かする気は毛頭ないが、信頼され過ぎて不安になる。 そんな事をぼんやり考えながら庭のベンチで本を読んでいると、アルフォルトが声を掛けて来た。 「いたいた!ライノア、探したよ」 「······何か用?」 態々探しに来なくても使用人に頼んで呼びつければいいのに、この王子は毎回自分から出向く。 高貴な生まれなのは確かなのに、傲慢さは微塵もない。そういう所は、嫌いじゃないとライノアは思う。 「あのね、ライノアに紹介したくて」 先程からアルフォルトの後に隠れてこちらの様子を窺うのは、アルフォルトよりも一回り小さな金髪の少年。 「僕の弟の──シャルルだよ」 シャルルと呼ばれた少年の肩に手を置いて、アルフォルトは嬉しそうに微笑んだ。 その表情に、胸の奥がチクリと傷んだが、理由がわからずライノアは胸を抑えた。 「ほら、シャルル。この子がライノア。僕の友達だよ」 「おともだち?」 「······友達じゃない」 ライノアがつっけんどんに答えると、シャルルは緑の目をパチパチと瞬かせ、小首を傾げた。 「ちがうって」 「えええ、友達と思ってたのは僕だけ?片思いなの?」 アルフォルトが悲しそうに見つめて来る。そんな目をしても、友達だと思った事はないのでどうしようもない。 そもそも、友達がなんなのか、ライノアには理解出来ていなかった。 無表情で見ていると、シャルルが近づいて来てライノアを小さな手でポカポカと叩いた。 「アルトにいさまをかなしませないで!」 痛くはないが、煩わしい。 面倒だ、とため息を吐いていると、アルフォルトはシャルルをぎゅっと抱き締めた。 「シャルルは優しいね、さすが僕の弟!大好き!でも、ライノアを叩いたらダメだよ?」 言い聞かせるようにシャルルと目線を合わせ、頭を撫でる。 「はーい」と返事をしてアルフォルトを抱きしめ返すシャルルが、チラリとライノアを盗み見た。 大好きな兄を取られたくないのだろう。アルフォルトの腕の中で優越感に浸った表情を浮かべ、シャルルは嬉しそうに微笑んだ。 ライノアは勝手にしろ、と思う。 開いていた本を閉じ、ベンチを立つ。 アルフォルトがすかさず顔を上げてライノアを引き止めた。 「どこ行くの?皆で遊ぼうよ」 「勝手に遊べばいい。俺は部屋に戻る」 アルフォルトの不満そうな声を聞こえないフリをして、二人に目もくれずに屋敷へ戻る。 先程から何故だか胸がモヤモヤするが、ライノアはこの感情が何なのかわからずにいた。 「ねぇ、シャルル可愛かったでしょ?」 アルフォルトが本から顔を上げて、嬉しそうに微笑んだ。 午後の勉強が終わり、アルフォルトが使った本を書棚に戻していたライノアは、首を傾げた。 確かに顔立ちは整っていたのかもしれないが、目の前にいるアルフォルトの顔が強烈で、いまいち印象に残っていない。 アルフォルトの方が可愛いし綺麗だ、と素直に言うのもおかしな気がして、ライノアは別の感想を述べた。 「······あまり似ていないんだな」 途端、アルフォルトの表情が強ばり、言ってはいけない事だったのか、とライノアは後悔する。 「······うん、僕らは異母兄弟なんだ。シャルルのお母様はローザンヌ第一王妃で、僕の母様が第二王妃」 おそらく、その背後には複雑な派閥や関係があるのだろう。ライノアが気付くくらいなのだから、今までにも「似ていない」と言われてきたのが窺える。 冷静に考えればわかる事なのに、気が回らなかった自分の浅はかさに居た堪れなくなった。 「失言だった。配慮が足りなくてごめん」 ライノアが頭を下げると、アルフォルトは慌てて手を振った。 「大丈夫、気にしないで。半分しか血は繋がってない上に僕は母様似だから仕方がないよ。それに、似てなくても兄弟には変わりないし」 そう、微笑んだアルフォルトの表情に、また胸の奥がチクリと傷んだ。 (なんなんだ、この痛みは) 今まで感じた事のない、焦燥感にも似た感情がなんなのかわからず、ライノアは苛立った。 思い返せば、この痛みはアルフォルトと過ごすようになってからだ。 自分はどこか具合が悪いのだろうか。 今度、誰かに聞いてみよう。一瞬、あのリアンという赤髪の男が思い浮かんだが、別の人にしようとライノアは思った。 リアンは、何かにつけてライノアに話しかけて来るが基本的にはからかわれるというか、あえてライノアを感情的にしようとしている節がある。 いまいち何を考えているのかわからない男だ。 ──嫌いなら、構わなくていいのに。 本を戻し終え、溜息をついて振り返ると、アルフォルトは眠っていた。 テーブルに置いた腕を枕に、スヤスヤと寝息を立てる姿はさながら天使のようで、本当に人間なのかと不安になる。 しっかりしているとはいえ、七歳はまだまだ幼い子供で、毎日詰め込まれる教養や王族の仕来りは脳に相当な負荷がかかるのだろう。 そのせいか、アルフォルトは勉強などが終わると急に眠り出す事が多々ある。 「今日は早かったな」 いつもはもう少しお喋りしてから寝るが(といっても一方的にアルフォルトが話しているのだが)午前中は弟と遊んで疲れたのだろう。思ったより深い眠りに就いている。 薄く開かれた柔らかそうな唇、薔薇色の頬。あどけない寝顔に吸い込まれるように、間近でじっと見つめていると、 「ぅ······ん·····」 アルフォルトが身動ぐ気配がし、驚いたライノアは慌てて離れ──アルフォルトの髪が、シャツのカフスに引っかかってしまった。 腕を動かした拍子に袖がアルフォルトの髪を引っ張った。痛くなかったか、起こしてしまったかと慌てて──違和感を感じ、ライノアは固まった。 「なんだ、これ······」 ライノアの袖に絡まった髪が引っ張られて、金髪の下から、黒い髪が見える。 呼吸が浅くなるのを感じながら、震える手でそのままゆっくりと引っ張ると──金色の髪は外れて、中にしまわれていた艶やかな黒髪が現れた。 (──どういう事だ?) 金色の髪は、ライノアは見るのも触るのも初めてだが、カツラという物だろう。 今まで全く気づかなかったくらい、精巧に出来ているが、問題はなぜこんなものを被っていたかだ。 気付かなかったフリをして元に戻したいが、いかんせん被せ方がわからない。恐らくこれは、部外者が知ったらいけない部類の秘密だ。 どうしたものか、とライノアが途方にくれていると──運悪く、アルフォルトの目が開いた。 ぼんやりとした紫の瞳が、ライノアが手にしているカツラを捉えて、はっとしたように頭を抑えた。 「あ······」 「ごめん、髪が袖に引っかかって······」 怒るだろうか。今のは不慮の事故とはいえ、ライノアが悪い。歯切れの悪い話し方でライノアが謝ると、アルフォルトの目にみるみる涙が溜まるのがわかる。 思わぬリアクションに、ライノアは狼狽えた。 「見られちゃった······絶対、人に知られたらいけないって言われたのに······」 瞬きをすると、薔薇色の頬を涙が伝う。 慌ててライノアはその頬に指を伸ばし──涙をそっと拭った。 「俺は──」 ライノアが言葉を紡ごうと口を開いた瞬間、窓ガラスが割れる音と共に、室内に煙が充満した。 「ッ!?何······」 何事、と言おうとした口を布のような物で塞がれた。 目の前のアルフォルトも同じで、状況が飲み込めず視線が絡まる。 「おい、ガキが二人いるぞ」 背後から押さえつけてくる男が、困惑した声を上げた。 煙の奥から別の声がする。 「黒い髪のガキだ」 「どっちも黒い」 「はぁ?······面倒だ、どっちも連れて行け」 (黒い髪の子供──つまり、俺の事か?) 帝国からの差し金だろうか。とうとうライノアが生きているとバレたのかもしれない。 こうなるといけないから早く出て行こうとしたのに──。 そう胸の奥で毒づき、そいつは関係ないから離せ、と声を出そうにも、口は塞がれてぐぐもった声しか出ない。 暴れようともがこうとし──口に当てられた布に薬品が染み込んでいるのだろう。ツンとした刺激臭が鼻腔を掠め、身体が痺れて徐々に力が抜けてゆく。 「──······」 目の前で、既に意識のないアルフォルトが覆面の男に担がれているのが見え──無意識に手を伸ばしたが届く訳もなく、そのままライノアの意識は途絶えた。

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