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第71話

「······ん」 目を覚ますと、見慣れない天井だった。 身体に当たる布は柔らかく、肌に触れるシーツは清潔な物で、自分が今ベッドの上にいる事に気づく。 上体を起こそうとしたが手が動かない。視線を下げると、どうやら後ろ手で縛られているようだ。 沈む柔らかなベッドに苦戦しながらどうにか起き上がると、窓の外に湖が見えた。 「もしかしてここ、ヴィラか」 「お察しの通りです」 アルフォルトの呟きに答えたのは、ベッド脇の椅子に座るオズワルドだった。 そのままアルフォルトへ手を伸ばし──身構えたアルフォルトに、苦笑いした。 「傷の手当てをするだけです」 よく見たら、手には薬を塗ったガーゼが握られている。先程オズワルドの手によって付けられた首の傷は、然程深くなかったようで、既に血は止まっていた。 「······切ったのオズワルドじゃん」 眉間に皺を寄せると、オズワルドは「すみません」と小さく謝った。 「私が本気だと思って貰うには、ああするしかなくて」 手早く丁寧に包帯を巻くオズワルドを見て、手馴れているなとアルフォルトは思った。 「出来れば縄も解いて欲しいんだけど」 拘束されるのはどうも苦手だ。そもそも得意な人間などいないだろうけれど。 しかし、アルフォルトの願いは聞き入れられず、宰相は首を振った。 「暴れると困るので腕はそのままで······ストップ!!関節を外して抜け出そうとしないで下さい!!······あの、一応貴方王子なんですからね?」 肩を不自然に回したアルフォルトの意図を察し、オズワルドは溜息を吐いた。 「本当にベラディオ様そっくりだ」 「······お前の真意がわからない」 先程とは違い、オズワルドからは殺意も何も感じられない。そもそも、最初から危害を加えるつもりなら、シャルワールの部屋でだってできたはずた。月明かりを背にしたオズワルドの表情はよく見えなかったが、微かに笑っている気がした。 「何から話したらいいのやら。とは言っても、貴方の側近は優秀ですから、あまり時間はなさそうですけど」 アルフォルトの隣に座ると、オズワルドは話し始めた。 「一番最初にシャルワール様に毒を盛るように指示したのは半年前、貴方が王家の晩餐に遅刻した時です」 城下から戻ったアルフォルトとライノアが、怪しい給仕を捕らえた時の事を思い出した。そもそも、毒入りスープが無ければ遅刻はしなかったのだが。 不満そうなアルフォルトに、オズワルドは小さく笑った。 「貴方は毒に聡い。だから、次は貴方の目に触れない所──シャルワール様のお茶会のお菓子に毒物を混ぜました。なんの因果か、結局貴方は気付き、挙句食べたと知った時は肝が冷えました」 あの時は、あえて非常識に振る舞う事でお茶会を台無しにして、シャルワールをはじめとした参加者が食べないように仕向けた。 オズワルドは苦笑いすると天井を見上げた。 「ここまで来ると毒殺は良策じゃないと考え······外部の人間にシャルワール様を亡きものにして貰おうと思いました。そこで利用したのが、例の人身売買の件です」 アルフォルトは目を見開いた。 「······ヴィラで何があったか、知っていたって事?」 「ええ。売人の詳細まではわかりませんでしたが、人身売買が行われている事は把握してました。ただ、ヴィラはローザンヌ王妃のご実家が管轄していて、王家の領地ということも相まって迂闊に動けないため、対策を取りあぐねていたのをあえて利用しました。タイミングを見計らって貴方だけ助けだすつもりだったんですがね。まさかシャルワール様を逃がしてあんなに早く制圧するとは、予想外でした──しかもたった一人で」 アルフォルトを見つめるオズワルドは、どこか諦めたように息を吐いた。 「貴方にトラウマを植え付けたディーク伯爵家が関わっていたのは誤算でしたが······貴方は逃げ出す事もなく、全て解決してみせた」 「それは僕一人の力じゃない」 アルフォルトは小さく首を振った。結局あの時アルフォルトは、ただ捕まっていただけで、一番の功労者はメリアンヌだ。 自分の力不足で、メリアンヌを危険に晒してしまったのは記憶に新しい。 「シャルワール様だけ狙われ続けると、要らぬ疑いが貴方に向けられるかもしれない。そこで私はあえて離宮に暗殺者を仕向けました。想定通り貴方の脅威にはならなかった」 少し前、メイドとして離宮に派遣されてきた暗殺者を思い出した。今までの暗殺者と違い、えらくお粗末だった彼女は呆気なく捕らえられ、処刑された。 世間話でもするかのような気軽さで、オズワルドは今までの事を話す。感情の読めない顔は、何処か人形のようだった。 「全ての目論見を貴方に阻止され、最後の手段として夜襲したにも関わらず失敗。······流石に疲れました」 遠くを見ていたオズワルドは、そっと眼鏡をはずすと、アルフォルトを見つめる。 開かれた緑の瞳に、何処か既視感を覚えた。 「一応聞きますけど、本当に王になる気はないですか?」 真剣な眼差しで、オズワルドは訊ねる。どんなに望まれようと、アルフォルトの答えは変わらない。 「無い。僕は王の器じゃない」 キッパリと言い切ると、オズワルドは苦笑いした。 「わかりました。もう私は無理強いはしません」 どこか吹っ切れた顔のオズワルドに、アルフォルトは問いかけた。 「ねぇ、結局なんでシャルワールを殺そうとしたの?」 何をしたかはわかったが、動機がわからない。あえてはぐらかしているようにも思えてアルフォルトは首を傾げた。 「そうですねぇ、理由は沢山あるんです。シャルワール様にはなんの恨みもないんですけど」 「はぐらかさないで」 思わず睨んだアルフォルトに、オズワルドはまたいつもの食えない表情で笑った。 「すみません、こういう性格なもので。──私とベラディオ様、それからアリア様が幼なじみなのは知ってますよね?」 懐かしむように遠くを見つめたオズワルドに、アルフォルトは頷く。 「私はね、ベラディオ様が好きだったんです」 「は?」 思ってもみない言葉に、一瞬理解が追いつかなかった。思わず間抜けな声を出したアルフォルトに、オズワルドは続けた。 「相手は一国の王子。生産性のないこの思いは一生伝えるつもりはありませんでしたし、私はアリア様も友人として大好きだったんです。だから、そんな二人が恋仲になった時、勿論悲しさはありましたが嬉しかった。大切な二人を支えられる事に喜びすら感じていました」 オズワルドの思いは、報われないものだったのだろう。それでも、友人として傍に居続ける事を選んだ。今まで通りの関係でいる為に。 相手が自分の親、という事に複雑な気持ちになるが、今まで一切そういった素振りを見せないオズワルドは苦しく無かったのだろうか。 アルフォルトが眉間に皺を寄せると、オズワルドはそっと頭を撫でて「誰も悪くないから苦しいんですよね」と静かに笑った。 「アリア様が貴方を身篭った後──私は罪を犯しました」 それまでの柔らかい雰囲気がなりを潜めて、オズワルドの目は冷たく細められた。 「第二王妃が先に身篭った事で、ローザンヌ王妃の派閥が不穏な動きを見せ始めた。アリア様の暗殺未遂やマルドゥーク家への襲撃が後を絶たず、頭を悩ませていた私はある日、エイレーン公爵家の当主に呼ばれました」 ローザンヌの実家であるエイレーン公爵家は、王家に次ぐ権力を有する。王家と婚姻を繰り返し、時に幼い王の摂政となり、国を裏で牛耳っていた。そのせいで度々内乱が起こり、先代の王の時代に当主の失脚で今は大人しくなったと聞かされている。 それでも未だに公爵家として権力を有するのだから、注意が必要だとオズワルドは常々アルフォルトに伝えていた。 「エイレーン公爵家は、再び権力を取り戻す為に、ローザンヌ王妃と──」 言いかけて、オズワルドは口を噤んだ。廊下が騒がしい事にアルフォルトも気づき、思わずオズワルドを見つめると、宰相は苦笑いした。 「時間切れのようです。私の秘めた思いはどうか内密に」 「言わないよ。······お前が弟にした事は許せないけど、それでも嫌いにはなれなかった」 アルフォルトの言葉に、オズワルドは眉を寄せて──それから泣きそうな顔で笑った。 そのまま勢いよく身体を抱え込まれ、再び首にナイフを突きつけられる。咄嗟の事に身動きが取れずにいると、部屋のドアが勢いよく開き、剣を構えたライノアが駆け込んで来た。 「アルフォルト!!」 「動くな」 首に冷たいナイフの感触が当たる。ライノアは今にも斬りかかりそうな程殺意を滲ませ、オズワルドを睨んだ。 「まだ話の途中なんですよ。ねぇ、アルフォルト様?」 先程までの穏やかさが嘘のように、オズワルドは冷めた目でライノアを見る。わざと挑発するようにアルフォルトの頬を撫でた。思わず首を竦めると、ライノアが低く唸った。 「アルフォルトを離せ」 「私が何故シャルワール様を殺したいか、シャルワール様も知りたいでしょう?」 ライノアの背後から、息を切らせたシャルワールが苦い顔で駆け付けてきた。 シャルワールを守るようにアトレイが、そしてベラディオを守るようにメリアンヌがそれぞれ構えていて、一触即発の緊張状態にアルフォルトは息を飲む。 「そうだな、お前が何故俺を殺したいのか、俺には知る権利がある」 オズワルドから視線を逸らさずに、シャルワールは言った。 そんなシャルワールの様子にオズワルドは笑うと、それまで腕の中に捕らえていたアルフォルトを勢いよく突き放した。 「ルトッ!!」 態勢を崩したアルフォルトの身体を、剣を放り出したライノアが両手で受け止める。 力強く抱きしめられ、ライノアの体温を感じると、肩から力が抜けた。 両手を縛めていた縄を切り、ライノアは自分の上着をアルフォルトにかけると、その腕の中に再び抱きしめた。項に熱い吐息が触れ、どれほど心配していたかがわかった。 視界の端で、メリアンヌがオズワルドを制圧しようと踏み込んだのが見えた。思わず制止しようとした瞬間、何かが風を切る音がした。 「······っ」 カランと軽い音を立てて、メリアンヌの手からナイフが落ちる。 「初動が遅いと何度言えばわかるんです?そんな甘い構えで私を制圧しようなんて、舐められたものですねぇ」 冷めた目でメリアンヌを見つめ、オズワルドは溜息を吐いた。その手には投擲用の細いナイフが握られていてる。鍛えてるとは言っていたが、一介の文官がとる動きでは無い、戦闘に慣れた人間独特の隙の無い立ち方。メリアンヌを一瞬で戦闘不能にしたのは、紛れもないオズワルドだった。 状況が飲み込めずにいると、ベラディオが口を開いた。 「宰相になる前、オズワルドは私の護衛をしていたんだ」 「そう、そして私に体術を教えたのは彼よ」 痛みに顔を歪ませながら、メリアンヌは右腕に刺さったナイフを引き抜いた。途端、腕から血が流れ、メリアンヌは自分のスカートの裾を割くと、器用に片手で腕を縛って止血した。 「全く、話の最中に邪魔しないで下さい。次邪魔したらこのナイフはベラディオ様に刺さりますよ」 煩わしそうに首を傾げ、オズワルドはシャルワールを見つめた。 「──話を戻しましょう。私が貴方を殺したい理由は至ってシンプルです。正当な血筋以外が王座につくなど、普通なら許されない」 まるでシャルワールが正当な血筋ではないような物言いに、シャルワールは眉を寄せた。 「お前が何を言っているのかわからない」 アルフォルトも同じく困惑していた。さっき途中までオズワルドが言いかけていた事を思い出し、まさか、と嫌な汗が背を伝う。 「貴方はアルフォルト様と違って、正当な血筋じゃありませんよ。だって──」 言葉を区切ったオズワルドは、静かに言った。 「貴方はローザンヌ王妃と、私の子ですから」

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