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第72話

「お前が何を言っているのか、わからない」 シャルワールが、震える声で言った。 「言葉の意味そのままですよ。貴方は、ベラディオ様の子ではなく、ローザンヌ王妃と私の子です」 決して大きな声ではないが、オズワルドの声はやけに耳に残る。言葉の意味は理解しているが、脳が受け入れられないと拒否しているのか、思考が停止していた。 無言で固まるシャルワールを他所に、オズワルドは言った。 「私は先代の王ジークハルト様の兄の──婚外子です」 思わずアルフォルトがベラディオを見つめると、静かに頷いた。 「オズワルドは私の従兄弟だ」 「私はエイレーン公爵家の分家の養子という事になっていて、公表してませんからねぇ」 はじめて知らされた事実に、アルフォルトは目を見開く。先代の王ジークハルト──アルフォルトの祖父は、内乱の際に盛られた毒が原因で、一人で歩くことが出来なくなった。その毒を盛ったのが、ジークハルトの実兄で、優秀な弟から王位を奪おうとしたらしい。そして、自死するまで国家転覆の罪で離宮に幽閉されていたと聞いている。そのジークハルト暗殺の手助けをしたのが先代のエイレーン公爵だった。 ジークハルトはアルフォルトが産まれる前に亡くなったが、アランの親友だった事もあり、為人はなんとなく知っている。 優しく、穏やかな、争いを好まない性格。そんな弟と真逆で野心家で好戦的なのが、兄のジークリンデだった。 「父の婚約指者はエイレーン公爵家の長女でしたが、婚姻を結ぶ前に離宮に幽閉されました。そこでエイレーン公爵家は、次女を父の世話係として仕えさせて──目論見通りに生まれたのが私です」 吐き捨てるようにオズワルドは言った。その表情は忌々しげで、自分の出自を嫌悪しているのがわかる。 「ここまでくれば、エイレーン公爵家が何をしたいかわかりますよね?」 オズワルドの言葉に、誰も声を発し無かった。しかし、構わずオズワルドは続けた。 「話を最初に戻しましょう。アリア様が身篭った事で、権力がマルドゥーク家の派閥に偏る事を危惧したエイレーン家は、私とローザンヌ王妃を利用し自分達の血が濃い王子を作る事にした。一度は失脚した権力を再び取り返す為に。そして私は養子、逆らえる立場にない。目論見通りシャルワール様は生まれ、頃合いをみてアルフォルト様を亡き者にすれば、計画は完璧でした」 オズワルドは感情のこもらない目でシャルワールを見つめた。シャルワールと同じ、緑の瞳はどこまでも冷たい。 「知らなかったでしょう?貴方のせいでアルフォルト様は、生まれた時からずっと命を狙われ続けていた。毒殺されないために小さな時から毒を身体に取り込み耐性を付けて、毎夜暗殺者の襲撃に脅かされた。そして滑稽なのが血の繋がりなどないのに、ベラディオ様を父と慕い、アルフォルト様を兄と慕った」 シャルワールの身体が、ぐらりと傾いたのが見えた。咄嗟にアトレイが支えたが、呼吸が浅く身体は震えている。 傍に行きたいが、ライノアに抱え込まれているため、アルフォルトは身動きが取れなかった。 アルフォルトの身の安全第一なので、ライノアは離してはくれない。 「理解して頂けましたか?私がシャルワール様を殺さないといけない理由を。貴方が王座に着き、エイレーン公爵家が再び実権を取り戻したら、この国は再び内乱や暴動が起き、いずれ戦火に見舞われる」 冷たい視線が、ベラディオを捉えた。オズワルドは口の端を釣り上げると腰に手を当てた。 「長年の親友に裏切られた気分はどうです?ベラディオ様。貴方が愛情を注いだ子は、貴方とは血の繋がりがない偽物······私を恨んでくれて構いませんよ」 悪役さながらのオズワルドに、無言を貫いていたベラディオは──静かに笑った。 「──知ってたさ」 予想しなかった返答に、その場にいた誰もが驚いた。何よりもオズワルドが、一番狼狽えていた。 「嘘でしょう?······強がらなくて結構ですよ」 それでも構わず、ベラディオは続けた。 「私は初夜以外でローザンヌを抱いた事は無い。あれはもはや義務のようなもので······息子達の前で話す事ではないが、しかたあるまい」 息子達に視線を向けると気まずそうに、ベラディオは笑った。あまりにも場違いな雰囲気を纏うベラディオに、オズワルドは戸惑っていた。 「アリアが身篭った後、体面があるからとローザンヌに呼ばれるようになった。そしてローザンヌの閨を訪れると、必ず酒を勧められた。私はそれを飲み──いつも酒に酔ったフリをして寝ていたんだ」 「酔ったフリ?貴方は下戸で······お酒は殆ど飲めないじゃないですか」 オズワルドの言葉に、ベラディオは首をかいて笑った。 「すまない、本当はザルなんだ。昔から飲めないフリをしていただけで。騙すなら身内から、と言うだろう?何が生死を分けるかわからないからな──まさかこんな事になるとは思わなかったが」 ベラディオに告げられた事実に、オズワルドは手で顔を覆った。親友にすら嘘を突き通す父は、やはりどこまでも王なのだと改めて思った。 「ローザンヌにも体面はあるだろうし、私はそれでも構わなかった。アレは好きで私に嫁いだ訳では無い。生まれた時から家に雁字搦めにされて、可哀想な娘だった。もしかしたら好きな男が他にいるのかもしれないしな。しばらくしてローザンヌが身篭ったと知らされた時も、然程驚きはしなかった」 瞼を閉じ、ベラディオは胸に手を当てた。静かに息を吐き出した後、シャルワールをじっと見つめると、優しく微笑んだ。 「お前が誰の子でも関係なく、アルフォルト同様私の子として大切に育てた。だが、成長するにつれて、私はシャルワールがオズワルドの子だと気づいた」 「ローザンヌ王妃が話すとは思えません。事実を知るのはエイレーン公爵と乳母くらいですよ?気づく要素など······」 動揺するオズワルドに、ベラディオは溜息を吐いた。呆れた眼差しは、しかし嫌悪感などではなく、どこか懐かしむような雰囲気だった。 「お前は馬鹿か?いくつからの付き合いだと思ってるんだ······。あのなぁ、シャルワールの顔は、昔のお前そっくりなんだぞ?気づかない訳が無い」 思わずオズワルドとシャルワールを見比べて──アルフォルトは首を傾げた。 「似てますか?」 つい口を出た言葉に、ベラディオは笑った。 「オズワルドは目が悪く、いつも目を細めているからわかり辛いが、目を開けば似てるだろう?」 言われてよく見ると、確かに眼鏡を外したオズワルドと、シャルワールの顔立ちはどこか似ていた。 銀髪と普段の胡散臭い雰囲気で気づかなかったが、オズワルドの瞳はシャルワールと同じ緑だ。 先程アルフォルトが感じた既視感はこれだったのか、と一人納得した。 「ローザンヌとお前が恋仲ではないだろう事も、おそらくエイレーン公爵家が一枚噛んでいるだろう事も、なんとなくわかっていたよ。でも、シャルワールがお前の子なら、尚更大切に育てようと思った」 穏やかに騙るベラディオとは裏腹に、オズワルドは酷く狼狽えていた。おそらくオズワルドは、真実を詳らかにし、ベラディオが激昂する事を望んでいた。 悪役として、幕を降ろすために。 しかし、切り札だと思っていたカードが、何の役にも立たないと知り、オズワルドは──俯いた。そのまま肩を震わせ、笑いだした。 場違いな笑い声だけが、室内に響く。 顔を上げたオズワルドは、降参でもするように両手を掲げた。 「嫌になるくらい、何も上手くいかないものですねぇ」 その目からはもう、冷たさは感じなかった。 「真実を告げて、怒りに我を忘れたベラディオ様の手にかかって、私は退場するつもりでしたのに」 いつも通りの飄々とした物言いに、ベラディオは呆れたように息を吐いた。 「それこそ馬鹿だな。私は何があろうとお前を殺したりはしないよ」 「それもそうですね。貴方は昔から優しくて──誰よりも残酷だ」 静かに笑うオズワルドは、アトレイに支えられたままのシャルワールを見つめると、頭をさげた。 「今までの非礼、大変申し訳ありませんでした。······許して頂こう、などと烏滸がましい事は考えていませんし私を恨んでくれて構いません。貴方の母──ローザンヌ王妃も、言わば被害者なので、あまり無下にはしないで下さいね」 ゆっくりと顔を上げたシャルワールは、揺れる緑の瞳でオズワルドを見つめ返した。 しかし、その顔は絶望している訳ではなさそうで、アルフォルトは少しだけほっとした。 「言われなくても、母上を無下にはしないしお前がして来た事は許せない。今更父親だと言われても、お前を父とは思えないけど──」 言葉を区切ると、シャルワールは泣きそうな顔で笑った。 「お前がいなければ俺は生まれていない。だから······ありがとうオズワルド。兄上や父上に合わせてくれて」 「っ······まさか感謝されるとは。本当、何もかも上手くいかないものですねぇ」 オズワルドは目を瞑ると、懐に手を入れた。その手には着火剤が握られていて──アルフォルトが止める間も無く、火が着いた。 そのまま足元に落とすと、瞬く間に燃え広がり、室内は炎に包まれた。 どうやら部屋のカーペットに油を撒いていたようで、オズワルドを囲むように炎が上がり、近づく事が出来ない。 「オズワルド!!」 シャルワールが駆け寄ろうとしたが、近くのカーテンに火が燃え移り、火の粉がかかる。 「シャルワール様!!」 火の粉から守るように、アトレイに抱え込まれたシャルワールは部屋から連れ出された。 炎の隙間を掻い潜って手を伸ばそうとしたアルフォルトの身体を、ライノアが羽交い締めにする。 「オズワルドが!!」 「駄目です!!炎の勢いが強すぎる!!」 ライノアの腕の中で暴れるアルフォルトを他所に、オズワルドは穏やかだった。 「ベラディオ様の手にかかって逝くつもりだったんですけど、アテが外れましたし、貴方々はおそらく私を生かそうとするでしょう?それなら、もうこれしか方法はないかなと」 炎の中から、オズワルドはベラディオを見つめた。 「私の灰色だったつまらない人生は、貴方のお陰で楽しかったですよ、ベル。······最期はこんな感じになってしまいましたけど」 ベラディオは感情を押し殺して、親友に悪態をついた。 「最後まで馬鹿だよお前は。そしてお前の苦悩に気づいてやれなかった私もな。──王という立場上、お前を助けてやれない不甲斐ない私を許してくれ」 ベラディオの頬を涙が伝う。本当は、大切な親友を失いたくはないのだろうが、彼のしてきた事は国家転覆に等しい。このまま捕えても、拷問ののち処刑される運命なら、最期は静かに見送るつもりなのだろう。 「じゃあな、オズ。アリアによろしく」 「······私の逝く先に、アリア様はいないと思いますよ」 「それもそうか。じゃあ、待っていてくれ。いずれアリアと迎えにいくから」 そう、言い残すと、ベラディオは一度も振り返る事なく、メリアンヌに連れられて部屋を後にした。 部屋の温度がどんどん上がっていく。呼吸をするのも苦しい程だが、アルフォルトはなんとかオズワルドを助けられないだろうかと藻掻く。そんなアルフォルトを見て、オズワルドは苦笑いした。 「本当に貴方は諦めが悪い。これは私が望んだ事ですから」 「でも!!」 「私が言えた事ではないですが、シャルワール様を宜しくお願いします。──それから、ライノア」 腕の中で藻掻くアルフォルトを押さえつけるライノアに、オズワルドは声をかけた。 「貴方は、私に似ている。だからこそ私のようにならないで、貴方の好きなように生きなさい」 頭上でギリっと、奥歯を噛み締める音がした。ライノアは何かを堪えるように、揺れる蒼い瞳でオズワルドを見つめると、小さく頷いてアルフォルトを抱えた。 「さようなら、アルフォルト様。貴方と過ごした時間は中々楽しかったですよ」 アルフォルトはライノアに抱えられ、炎が燃え広がる部屋から連れ出された。 「オズワルドっ!!」 必死に名前を呼ぶアルフォルトに、オズワルドが炎の中で微笑んだ。そのまま、炎に飲み込まれて──オズワルドの姿は見えなくなった。 その日、ヴィラは全焼し、ライデン王国の宰相は炎の中へ消えた。

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