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第78話(終)

あれから、一年が過ぎた。 一年という月日は長いようで、あっという間で、変わらない事もあれば大きく変わる事もある。 大きく変わった事の一つに、アルフォルトの見た目がある。 アルフォルトは十八歳という割には小柄で、華奢な身体に加えて幼さが抜けない顔立ちのせいで、十三、四歳ぐらいにしか見えなかった。弟のシャルワールは立派な大人に見えるのに、とアルフォルトは少なからず気にしていたのだが、この一年でアルフォルトの身長は伸びた。顔も幼さが薄れ今ではちゃんと青年に見えるが、元々マルドゥーク家の血筋が童顔なので、あどけなさは多少残った。 成長期が遅かった事もあり、結局シャルワールよりは小さいままだったが、アルフォルトは子供扱いされなくなった事に歓喜した。 トラウマで大人になる事を拒み、体の成長を無意識に止めていたのだろう、とアランは言った。そのトラウマが克服されたから、アルフォルトの身長が伸びたのだ、と。 訳知り顔でニヤリと孫を見るアランに、アルフォルトは気まずくてつい視線を逸らした。 おそらく、ライノアとの関係に気づいている。 ベラディオも、何も言わないが気づいているようで、そんなにわかりやすかっただろうか、とアルフォルトは恥ずかしくなった。 唯一、シャルワールだけが気づいていないようで、弟の鈍感さが愛おしい。 婚約者殿が苦労しそうだ、とアルフォルトは思うが、存外二人は仲良くやっている。 ──そして、問題も増えた。 今までは、幼さと儚い見た目で天使だ人形だと言われていたアルフォルトだが、成長した事により、アルフォルトに懸想する人間が男女問わず格段に増えた。──ようは、色気が加わったのだ。 ただでさえ、人を狂わせると言われていた容貌に色気まで、と、アルフォルトの周りの人間は頭を抱えた。 城の廊下を歩いていたらいきなり手を掴まれ、暗がりに連れ込まれたり、パーティの最中に抱きつかれたりと、これまで以上に歯止めが効かない人間が増えたのは非常に困った。 何度か襲われかけたが、トラウマを克服しつつあるアルフォルトはその都度持ち前の護身術で相手を完膚なきまでに叩きのめした。 この件で、アルフォルトが見た目にそぐわず武闘派なのが噂になり、美しい上に強い、と今度は女性が近寄って来る事も増え、心配性に拍車が掛かったベラディオとシャルワールは、徹底的に城の警備を見直した。アルフォルトが一人で移動することを禁止し、外に出る時は今までの倍の数の護衛を付けるようにした。護衛も、アルフォルトの顔になびかない既婚者や、マルドゥーク家の人間を中心に選んだ徹底ぶりだ。 成人した男に、些か過保護すぎやしないかと思わないでも無いが、反論すると面倒臭いので諦めた。 城下の様子も相変わらず平和なようで、一度だけマリクを城に呼ぶ事が許された時に色々な話を聞いた。 アルフォルトが成長した事に驚きを隠しきれなかったようで、別れ際に「その見た目なら城下に来れないのも納得だな」と苦笑いしていた。そこまで自分の顔は酷いのだろうか、とアルフォルトは複雑な心境をマリアンヌに話したら「逆よ、綺麗過ぎて人間味が無くなった」と苦笑いされた。 そうは言われても、見た目など自分にはどうする事も出来ない。 アルフォルトがため息をつくと、チャリと鎖が擦れる音がして、無意識に胸元を抑える。首に下げられたネックレスが、身体の動きに合わせて揺れる。元々の持ち主──ライノアの事を思い出し、少しだけ胸が痛んだ。 ライノアに抱かれた翌日、アルフォルトが目を覚ますと、ライノアはもうどこにもいなかった。 かわりに、アルフォルトの首にはこのネックレスがかけられていた。 シルバーのプレートにアメジストがはめられたそれは、ライノアが肌身離さず身につけていたもので、何より大切にしていた筈だ。 そんな大事な物をアルフォルトに託して行った事に、本当にお別れなんだ、とアルフォルトは胸が苦しくなったのを覚えている。 その後、アルフォルトを起こしに来たメリアンヌに、身体が痛くて動けない事を素直に伝えると、侍女は苦笑いした。 着替えを手伝うメリアンヌが、ライノアが残した所有欲をアルフォルトの身体のあちらこちらに見つけ「盛りのついた動物の方がまだ節操あるわね」と盛大にため息を吐いた時は、アルフォルトも赤面した。──入浴時に、鏡に映った自分を見ると、身体中に鬱血の痕と歯型が着いていて、行為の激しさとライノアの独占欲が垣間見え、アルフォルトは再び赤面した。 ──しばらくは襟の高い、かっちりとした服しか着れなかった。 ネックレスと、身体の痛み、所有欲の痕。それくらいしか、ライノアの存在を感じる物は無かった。何も残さずに行ったのだ。 そうして、身体の痛みも、身体中に散らばる赤い痕も、次第に消えていった。 ──つい、感傷に浸るのはもう何度目か。 相変わらず山積みになっている書類に目を通し、振り分けていく。······決して、アルフォルトがサボっていたからではなく、宰相だったオズワルドが処理していた物を、アルフォルトが少しだけ引き受けるようにしているからだ。 オズワルドの後任で宰相になった男は、真面目で優しい、責任感の強い男だった。しかし、まだまだ覚える事もやる事も多く、少しでも負担を減らせたら、とアルフォルトが自主的に手伝っている。 それに、とアルフォルトは思う。 サボっても、怒ってくれる人はもうどこにもいない。 ツキン······と胸の奥が微かに痛み、再び感傷的になってしまった思考を払拭するように、アルフォルトは窓の外へと視線を向けた。 外は珍しく積もった雪で一面が白く、今朝から冷え込んでいる。 ベラディオに来客があるのか、朝から城の中は忙しなく、衛兵や文官が走り回っていた。 アルフォルトは巻き添えを食わないよう、今日一日は離宮で静かに書類を片付ける事にしている。要領が良くなった、と自分を褒めたいくらいだ。 ドアがノックされる音と共に、メリアンヌが紅茶の乗ったワゴンを押して執務室に入ってきた。 「アルフォルト王子、お茶にしましょう」 にっこり微笑む侍女に頷き、アルフォルトは立ち上がった。 「今日のおやつは、王子の好物よ」 綺麗に切り分けられたパウンドケーキをアルフォルトの前に起き、メリアンヌは手際良く紅茶を注ぐ。 レモンカードがたっぷりはいったパウンドケーキの甘酸っぱい匂いが、アルフォルトの空腹を刺激した。 メリアンヌがこのケーキを焼く時はだいたい、アルフォルトが無意識に落ち込んでいる日だ。 何も言わずに、アルフォルトを気遣ってくれる侍女はやはりどこまでも優しい。 「ありがとう、メリアンヌ。さぁ、頂こうか」 隣に座るレンが、美味しそうにパウンドケーキを口に運ぶ。城下へ行く事も無くなり、身長が伸びた事でアルフォルトの影武者をする事も無くなったレンは、髪の毛を伸ばした。服装も侍従の制服ではなく、メリアンヌや離宮のメイド達が選んだ服を着て、髪の毛も綺麗に編んでいる。貴族の令嬢にも見劣りしない、今では立派なレディだ。そしてメイド達の着せ替え人形状態だが、当の本人は気づいていない。 レンは今、離宮だけではなく、城全体の警備装置の開発を任され、忙しい日々を送っている。それでも、お茶の時間や寝る時は必ず離宮に戻って来ては、アルフォルトと雑談を楽しみ、メリアンヌやメイドたちと楽しくおしゃべりをする。 二切れ目のパウンドケーキを口に運び、レンは思い出したように口を開いた。 「そういえば、ディオハルト帝国の第二王子が、お妃様を迎え入れるって噂······いたっ」 思いっきりメリアンヌに頭を叩かれ、レンは言葉を噤んだ。 「大丈夫だよ、メリアンヌ。気を使ってくれなくても知ってたから」 苦笑いして、叩かれたレンの頭を撫でてやる。 城の人間も、離宮の人間も、アルフォルトに気を使って目の前では話題にしないでいるが、噂というものはどこからでも耳に入る。 だから、隣国の第二王子──ライノアが婚約者を迎え入れる準備をしている事は知っていた。 ライノアの年齢も考えると、それは当たり前の事で、王族なら結婚は避けて通れない。 だからこそ、自分達はお互いの気持ちを確かめ合い、幸せを肌に刻みつけてお別れしたのだ。 「ライノアがちゃんと王子として認められたって事じゃないか。喜ばしいと思わないと」 アルフォルトは紅茶を口に運んで微笑んだ。 多分、上手く笑えている、筈だ。 いつまでも思い出に縋って、感傷に浸るだけの日々を送っていれるほど、アルフォルトも子供じゃない。 「王子、無理に笑わないでいいんですよ?」 メリアンヌが気遣わしげに見つめてくるが、アルフォルトは首を振った。 「無理してる訳じゃないから、安心して」 もう、人前で泣く事はしない。 寂しいと泣いた所で、ライノアが帰ってくる事はないのだ。 (──手紙も、来ないしね) アルフォルトは、また少し胸が痛むのに気付かないふりをした。 正確には、一度だけ手紙が届いた。 それは本当に簡素なもので、ライノアの近況と、アルフォルト達の健康を祈る文章で締めくくられていて、社交辞令でももう少し感情豊かだろ、と思わず突っ込んだ程だった。 (僕もいい加減、自分の事と向き合わないと) アルフォルトは、自分宛にお見合いの話が来ているのを知っている。 今はまだシャルワールが婚約段階なのを理由に、保留になっているが、シャルワールが結婚したら、次はいよいよアルフォルトも考えなくてはいけない。 男女問わず沢山の縁談が来ていて、選び放題なのだが、そもそもベラディオが許可しないと聞く。 (まぁ、トラウマが完全に無くなった訳ではないし······正直、ライノア以外に抱かれるのは無理かもしれない) 今でも時々、大柄な男性が不用意に近づくと、アルフォルトは身体が硬直する。 前程極端ではないが、大勢の人が集まるような所から帰ると、アルフォルトは緊張の糸が切れてぐったりとしてしまう。 結局、一人ではなにも出来ない子供みたいで、アルフォルトは歯がゆさに小さく息を吐いた。 しばらくレンやメリアンヌと他愛もない話をしていると、ドアが四回ノックされメリアンヌが対応しに立ち上がった。 何事かと視線を向けると、シェーンと何やら話し込んでいて、心做しかシェーンの顔が険しい。 気になって二人に近づくと、メリアンヌが言った。 「王子、ベラディオ様がお呼びだそうよ」 「わかった。すぐ行く······けど、シェーン大丈夫?」 顔が険しいよ?と覗き込めば、シェーンは顔を真っ赤にして俯いた。 「だ、大丈夫です、ご心配には及びません。私の顔が険しいのはいつもの事ですので」 「そんな事ないよ?シェーンはいつも綺麗だから、眉間に皺が寄ってると気になっちゃう」 アルフォルトが首を傾げると、シェーンは数歩下がって素早くハンカチを鼻に押し当てた。どうやら、まだまだ鼻血の発作は治らないらしい。 「王子、メイドをたらしこんでないで行きますよ」 「たらしこんでないよ!純粋に心配してるだけ」 メリアンヌはアルフォルトの背中を軽く叩いて苦笑いした。 「無自覚だからタチが悪い」 ベラディオの元へ向かう道すがら、アルフォルトは心臓が早鐘を打つのを自覚した。 シェーンの顔が険しかったのと、メリアンヌの声が若干浮ついている事から、あまりいい知らせでは無いような気がする。 わざわざ執務室へ呼びつけるくらいだ。 何か自分はやらかしただろうか?とアルフォルトは記憶を遡ってはみるものの、いまいちピンとくるものはなかった。 アルフォルトを守るように隣を歩くメリアンヌと、前後を固める護衛二人に挟まれ、足早に廊下を進んだ。 目的の部屋の前まで来ると、アルフォルトは深呼吸をしてドアをノックした。 |誰何《すいか》の声に「アルフォルトです」と答え執務室へ入ると、部屋には見慣れない制服に身を包んだ、護衛と思われる者が数名、並び立っていた。 ベラディオはアルフォルトに気づくと「急に呼び立ててすまない」と微笑んだが、それよりも──応接セットのソファに座る人物に釘付けになり、アルフォルトは目を見開いた。 「······なん、で······?」 幻でも見ているのだろうか。 その人物は黒い髪を後ろへ流し、蒼い瞳は記憶の中と同じく澄んでいた。 少し痩せただろうか。それでも、精悍さは損なわれておらず、より大人びた雰囲気を纏った男は、アルフォルトを視界に捉えると、目を見開いて──それから微笑んだ。 「お久しぶりです······一瞬、誰かわかりませんでしたよ」 王族らしい上等な衣服に身を包んだライノアはソファから立ち上がり、アルフォルトの前に来る。 「身長、伸びたんですね。前からも美しいとは思ってましたが······」 状況が飲み込めず固まるアルフォルトは、ようやく息を吐き出すと、震える声で呟いた。 「どうして、ここに······?」 ──だって、お別れしたのだ。 もう二度と会えないのだと、会ってはいけないのだと、自分に言い聞かせてきたのに。 目の前に、ライノアがいる。 そう思うだけで、アルフォルトの心は嵐のように激しく荒れ狂い、目の前の男に縋り付きそうになるのを、どうにか堪えた。 固まるアルフォルトに微笑むと、ライノアはアルフォルトの前に跪いた。 「私、ディオハルト帝国第二王子、エルディオス·リー·ディオハルトと申します。本日はアルフォルト様に婚姻を申し込みに参った所存です」 よく通る、低くて落ち着いた声が、アルフォルトの名前を呼ぶ。 「もし、お心を頂けるのでしたら──私と結婚して頂けないでしょうか?」 跪いたままそっと、アルフォルトに手を差し出すライノアに、アルフォルトは上手く言葉も紡げず、震える声しか出なかった。 「······だって、お妃様を、迎える準備してるって······」 「勿論、貴方を迎える準備ですよ」 「このネックレスだって、」 アルフォルトは首から下げていたネックレスを引っ張り、ライノアに見せると、ライノアは微笑んだ。 「ええ『迎えに行くまで預かってて』と言ったじゃないですか」 「き、聞いてない!」 慌て始めたアルフォルトに、ライノアは苦笑いした。 「あの日、私は貴方が眠る直前「必ず迎えに来るから待ってて」と伝えたんですが······やはり、聞こえてなかったんですね」 そんな大切な事、寝る直前に言うな!と怒りたいやら喚きたいやらで、アルフォルトは激しく混乱していた。 思わず救いを求めるようにベラディオを見つめると、ベラディオは微笑んで言った。 「エルディオスが帰る日、私に言ったんだ。『アルフォルトに婚姻を申し込みたい』と。だから私は、アルフォルトが嫁いでも何不自由なく暮らせて、守れるだけの地位を築いたら考える、と言った。──ようやく、その準備が整ったようだぞ?」 片目を瞑って見せたベラディオに、アルフォルトは胸がいっぱいになる。今まで、どんなに良い条件の婚姻の申し出があっても、全て断っていたと噂で聞いていたが──この為だったのかと、アルフォルトは納得した。 再びライノアに視線を向けると、ライノアは首を傾げて不安そうにアルフォルトを見つめる。 「お返事は、頂けるのでしょうか?」 アルフォルトは──伸ばされた手を取らずに、ライノアに思いっきり抱きついた。 今まで堪えられていたのが嘘のように、涙が溢れて止められない。 視界の端でメリアンヌが瞼を擦っているのが見えて、明日は槍が降るかもしれない、なんて不謹慎にも思ってしまう。 先程アルフォルトを呼びに来たシェーンが険しい顔だったのも、ライノアが来たからだったのかと合点がいった。 ライノアは、ボロボロと涙を零すアルフォルトを抱き締めて、背中を撫でた。 久しぶりに感じるライノアの体温は、すぐにアルフォルトに馴染んだ。 「······僕なんかでいいの?」 「貴方以外、私は考えられない。私はアルフォルトが良い」 優しい声とは裏腹に、アルフォルトを抱き締める腕の強さに、ライノアの心に秘められた激情を感じる。離れていた一年の孤独を埋めるように、お互いの隙間を埋めるように。 強く抱しめる温もりを分かち合い、アルフォルトはライノアの瞳を見つめた。 「······|不束者ではありますが、よろしくお願いいたします」 ようやく微笑んだアルフォルトは、やはり震える声で答えた。 (ああ、どうしよう──幸せすぎて、息が出来ない) アルフォルトの返事に、ライノアも嬉しそうに頷き──かつて従者だった男は、優雅に微笑んだ。

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