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第9話 生まれ変わる決意2
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優希の治療の日々は、朝起きてから寝るまでずっとサトルとともにあった。
行動療法による性的嗜好の矯正が行われ、全体的に性欲を抑えるための薬物療法を並行して受けていく。
つまり、子供に欲情したら罰が与えられ、それを大人へ向けることに成功すればご褒美をもらえるという日々を送ることになる。
サトルが担当するのは犯罪を犯した事のない者のみであるため、個人の尊厳を損いかねない治療法であるこの治験は、どれほど本人に問題が認められようとも、同意がないと絶対に行ってはならないことになっている。
入所直後に優希が最初にぶつかった問題は、複雑に絡み合う誓約書を読み込んでサインをすることだった。
「書類は全て問題なく通過しました。明日から検査に入りますので、よろしくお願いします。何かあれば、必ず相談してくださいね」
白いケーシーに身を包んだサトルは、左耳の下でまとめた銀髪を揺らした。その優雅な身のこなしに、優希は思わずため息を漏らした。
「どうかしました?」
優希がついたため息を何かしらのストレスだと思ったサトルは、労わるように優希の肩へ手を添えた。
「あ、す、すみません。なんでもないです。大丈夫ですから……」
その手の温もりに優希は動揺した。サトルは時折こうして体に触れてくることがある。それに大した意味など無い事は理解しているつもりだった。
それでも、それは優希にとっては大きな意味を持つことになり始めていた。誰かに触れられてこんなふうに心が揺れたのは初めてだった。
「そうですか? それならよかった。では、また明日。今日はご自由に過ごされてください。あ、お仕事はこの部屋でされて下さい。談話室やテラスでしていただいても構いませんが、その際は私の端末に一報下さいね」
「はい、わかりました。色々とありがとうございます」
優希が頭を下げると、サトルは「では」と微笑んで去っていった。
サトルの言う通り仕事の殆どは所内で出来るようにしてもらえたため、治療時間以外はいつも通り担当作家や会社と連絡を取っていた。
優希は退職することも考えたのだが、この研究に協力すると企業側も社会貢献をしたとみなされるため、法人税の特別控除が受けられるとあって、会社からは「ぜひ休職にしていただければ」と勧められた。
作家に直接会いに行くことだけは叶わなくなったため、サポートが行き届かなくなることを恐れていたのだが、どうやら会社から編集部を超えて協力するように命令があったようで、雑誌編集をしている同僚の高橋がサポートしてくれていると聞いている。
優希の数少ない友人の一人である高橋には、葵から事情を説明した。幼馴染の代理人として優希の事情を聞いた高橋は、彼の願いを快く聞き入れてくれている。
こうしてさまざまなサポートを受けながら、優希自身は毎日淡々と治療と仕事に明け暮れていった。
その合間によく見かけたのが、女性がサトルとお近づきになろうと躍起になっている姿だった。
「ねえ、世理さんって甘いもの食べるんだっけ? 確かどこかのお店で食べてるって言ってなかった?」
「駅前通り沿いのオールソーツでしょ? イケメン店長がいるところ」
「買ってきてお茶に誘おうよ。世理さん、食事に誘っても絶対行かないらしいから。まずはテラスでお茶してさ。それからお近づきになったらいいでしょ?」
そう言って数人の女性が徒党を組み、オールソーツでクッキーやケーキを買い占めてくる姿は、もはやここの名物とも言える。
しかし、サトルは一人でいることを好むようで、そのほとんどは素気無く断られていた。
そもそも、彼は長話が嫌いなのだ。万が一人と長く話すことがあるとすれば、それは業務上必要な会話だけで、それ以外では、同僚と休憩している時くらいしか、人と話をしようともしない。
そうして冷めた対応をし続けてもなぜか変わらず人気があり、たまに本人とは全く関係無いところで、空想上の奪い合いが発生したりもしていた。
優希は最初にそれを見た時、失礼だとは思いながらも、食い入るように見入ってしまった。それは、まるで漫画やドラマで見るような、見事なキャットファイトだったのだ。
「ねえ、サトル。あの子たちのケンカはほっといていいの? サトルのことで揉めてるんでしょう?」
治療が始まってすぐに二人は敬語を使うのやめた。それ以来、サトルがまるで友人のように接してくれることに、優希は甘えさせてもらっていた。そもそも彼には、友人など高橋と葵の二人くらいしか思い浮かばない。そして今はその二人に会うことも出来ないため、だんだんと寂しくなり始めていた。そのため、サトルが治療時間に自室へ来てくれることを、優希は心待ちにするようになっていた。
「ん? あー、あの子達だろ。やべーよな、俺がいないところで俺の取り合い……俺の意思なんてまるで関係ないと思ってるんだろうな。俺はそもそも女に興味ないし、それを知ってるはずなのにあれだからね。よくあんな感覚でここの研究員なんてやってるよ。ここで色恋にかまけてんな、仕事しろって話だ」
そう言って優希の方を見ると「そう思わねえ?」と笑った。
その笑顔は、とても柔らかくて穏やかで、優希はそれをずっと見ていたいと思うようになっていた。
サトルへ開かれていく心は、日毎に勢いを増していくようだった。それも仕方がないと言えばそうだろう。彼は毎日、自分のあられもない姿をサトルに晒し続ける生活をしている。多少心を惹かれても無理はなかった。
VRゴーグルをつけ、リョウとミドリの映像を見ながら、性的興奮が起きる度に成人女性の映像を刷り込まれた。錯覚を利用して行動随伴性を作り上げていく治療法だ。幼児に対する性愛を、大人に対して抱いた感情だと思い込ませていく日々だった。
同時に、幼児に対して起きる興奮は常に計測され続け、それを感知された場合には、電撃による行動制限をかけることも並行して行われる。人前で、性的興奮を無理に起こしては罰を受け、もしくはそれを違うもので助長して、そのまま解消するまで観察される。
一日の治療の完了は、数値上の確認と、優希の手が白く汚れているのをサトルが目視確認するところまで含まれる。心をあけ渡すくらいの覚悟がないと、とても毎日続けることは出来ない。サトルは優希が不安感なくそれを出来るようにと、いつも彼を励まし続けた。
同時に投薬によるホルモンのコントロールを行ったことで、幼児に対する性的興奮は徐々に起きなくなって行った。
最初に治療の効果を実感したのは、入院してからわずか三ヶ月でのことだった。
「すごい……。あんなに苦しんでたのが嘘みたいだ」
「頑張ってるもんな、優希。ここまで早く結果が出た人はいないんじゃないか。苦痛ばかりのはずなんだけどな……。お前は本当に偉いよ」
暖かく柔らかな空気を纏った顔でサトルはふっと息を吐いた。その度に、優希の胸にぎゅっと締め付けるような甘い痺れが起き始めたのは、間違いなくこの頃からだった。
そして、それを強く実感する日がやってくる。
「サトルまだかなあ」
この時、優希ははたと気がついた。毎朝サトルが来ることを楽しみにしている自分がいる。それは、友人に会う楽しみとは少し違っていた。
「ん? これは……なんだ?」
優希は自分の胸に手を当ててみた。いつもより少しだけ大きくて早い拍動が、彼の胸を上下させていた。
心地よい動悸、気分の高揚、時間を共有することへの興奮。
近づきたい、触れたい、愛されたい……いつの間にか、優希はサトルを好きになっていた。
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