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第10話 生まれ変わる決意3
——でも、これは作られた気持ちだよね。
優希は、これを治験での刷り込みの結果に起きたことであって、自然な恋愛感情とは違うものだと思っていた。その事実に、少しだけいつもとは違う痛みを感じる。
子供を傷つけないのであればなんでもいいとさえ思って、彼はこの治験に参加した。
しかし、今初めてそれを少しだけ悔やんでいた。自分の恋心が治療の上にしか成り立っていないのであれば寂しい、そう思ってしまう自分に驚いていた。
隣を見ると、輝くように美しい銀色の長い髪がある。白髪が多いからめんどくさくなって幼馴染の美容師に相談したところ、研究職で頭髪に規則が無いならばとシルバーにすることを勧められたのだと聞いた。
そのサラサラと光り輝く髪は、肩下まで伸びている。緩くまとめられているそれは、サトルが振り向くとゆらゆらと揺れる。その様はいつも優雅で妖艶だ。
銀縁のメガネの奥に鋭い目を隠してはいるが、それが向かう先はいつも研究結果であって、人への攻撃性というものは持ち合わせていない。むしろ、いつも自分を弁えて人との距離を調整し、穏やかに接するように徹底している。
——滅多に出会えないような、いい男だよなあ。
恋心に気がついてしまってからは、優希の頭の中はサトルでいっぱいになっていった。
それからしばらくしたある日、生まれて初めての成人への恋心を持て余した優希は、ついうっかり口を滑らせてそれを本人に告げてしまう。
「僕、サトルを好きになっているみたいなんだけど、これは治験の予定通りの結果だということで合ってる?」
「えっ? 俺を?」
それを聞いたサトルは、激しい動揺を見せた。驚きのあまり、その時チェックしていたデータを全て下に落としてしまった。印字したものだったからよかったものの、タブレットを落としては大変だと慌てふためいている。しばらくそうした後、今度は突然黙り込んでしまった。
優希が怒らせてしまったのだろうかと気になってその後ろ姿を見ていると、耳の淵がやや朱に染まっているのがわかった。そして、サトルは少し間をおいたかと思うと、突然優雅に笑い始めた。
「はは……。いや、治験の中では成人女性を好きになるようにプログラムされていたはずだ。そうか、俺を……。VRの女性よりも、俺の方が魅力的だったのか?」
「え? ち、違うの? それは、なんだか、ちょっと、あの……。僕、その、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……」
優希は作られた感情ではなく、自然にサトルに恋をしていた。その効果はもちろん治療のおかげだろう。ただ、その恋をするエネルギーのベクトルを保ったまま、思いがサトルへと向けられていったことになる。結果として、この質問はサトルへの告白になってしまった。
それまで一般的な恋愛をしてこなかった優希にとって、心の中に起きているエネルギーを飼い慣らしながら人と話をすることなど、到底出来るわけも無く、可能ならばこのまま逃げ出してしまいたいと思い、シーツを思いっきり引っ張って隠れようとした。しかしそれは、寸出のところでサトルによって阻止されてしまう。
「ちょっと、離してよ。わかるでしょ、今めちゃくちゃ恥ずかしい……」
「そうか、俺に好意が向いたのか……」
構わずにそう呟いたサトルの声に、優希の体がカッと熱くなった。真っ赤になった顔を両手で隠すくらいしか逃避することが出来ない状況に、軽い絶望さえ覚えてしまう。
サトルはゆっくりと椅子から立ち上がると、穏やかに微笑みながら、その長い腕で優希をふわっと包み込んだ。そして、怖がらせないように少しだけ力を込めて抱きしめる。
優希は驚いてしまい、ただ黙って抱き竦められることしか出来なかった。
「そうか、それは気が合うな。ちょうど俺もお前が好きになっていたところなんだ。治療してすぐに両思いになれるとは恵まれてるな、優希。頑張ったご褒美になったんじゃないか?」
そう言うとニヤリと悪い笑顔を見せた。そして、優希が必死に顔を隠していた手を優しく握りしめると、その温もりを味わうようにゆっくりとそこに口づける。
そうなることを予想していなかった優希はまるで頭がついていかず、どうにかしてその場から逃れようとしていた。
「で、でも、自分がゲイだとしても、さすがにペドフィリアは気持ち悪いでしょ? 小さな子供に興奮するヤツなんて、触りたくもないでしょ?」
一般的には、患者だったペドフィリアの男から突然好きだと言われてたとしても、そう簡単には受け入れられないものだろう。それにも関わらず、すんなりと自分を受け入れてくれたサトルのことを、優希は俄には信じられずにいた。
サトルはその問いに対して「そうだな……」と目を閉じ、しばらく思いを巡らせた後にこう答えた。
「毎日健気に頑張るお前の姿を側で見て行くうちに、自然と好きになっていったから、そのあたりは頭から抜けていたのかもしれない。俺にはお前とペドフィリアはもう結びついて見えない。お前が治療で感じている苦痛は全て数字で現れていて、俺はそれを常にチェックしてきた。だからその辛さが尋常じゃないにも関わらず、一言も弱音を吐かない強さにずっと感動してたよ。最初はその強さに憧れたのが始まりかもな」
「でも、それは患者としてやるべきことをやって来ただけであって……」
「お前はそう言うけど、実際こんなにちゃんとやれてる人はそういないよ。治したいと思ってはいても、治療が辛くて逃げる人の方が多い。痛みも恥ずかしさも、全ての苦痛が数字になって現れるんだ。だから俺たちにもそれは推し量ることはできる。優希は後天性みたいだけれど、トラウマが根深い。その分、治療もハードになる。普通なら逃げ出すような辛い治療だ。本能を曲げることはそう簡単じゃない。それに立ち向かう姿を見てると、心が震えるんだよ」
「それは……。逃げて戻ったとしても、あの生活が待ってるならまた辛いだけだからね。それを考えると、ここの暮らしの方がマシだとさえ思えるんだけど」
優希がそう呟くと、サトルは微笑みながらオレンジ色の巻き毛にキスを落とした。
「葵が言ってた。優希の精神力は尋常じゃないってな。多分それは、お前が生きていくために必要だったんだろう? 痛くても痛いと言えない。泣きたくても泣いてはいけない。親を刺激しないようにしないと、居場所がなくなるから……。今はそれがいい方に働いてるからいいんだけど、その強さをすごいと思うと同時に、そんなことをしなくてもいいよって言って守ってやりたいという思いにかられたりしてた。あとはお前の優しさだよ。人のためを思う気持ちが強い人なんだなと思うと、もう一直線だった。俺はかなり早い段階からお前を好きになってたからな。隠すのに必死だったよ」
サトルはそう言いながら、今度は額にキスをする。その唇が触れた時、あの十八歳の日に、リョウを見てお風呂場で感じた異変と同じことが起きつつあるのを感じた。
優希はそれがとても嬉しかった。あんなに自分を嫌悪した感覚を、こんな風に喜ぶ日が来ようとは思いもしなかった。改めてそれを感じていると、ぐっと溢れそうになるものがあった。
「好きになってもいい人なんだ……」
そう呟いた優希に、サトルは「そうだ。そしてその思いは叶ってもいる」と答えた。
「好きだよ、優希」
優希をさらに抱き寄せて、サトルはそう囁いた。その言葉が耳に届くと、優希は堪えきれずに涙を零した。
「許されるんだ……僕の恋、ダメじゃないんだね。サトルを好きでいてもいいんだね」
優希はサトルを見上げた。銀縁のメガネの奥の瞳が切なげに揺れるのが見える。その光に導かれるように、二人は唇を合わせた。
優希が生まれて初めて触れた、好きな人の体。そのふれあいが起きた時、長年彼の体と心に巣食っていた黒いバケモノは、白い光の波に飲まれて消えていった。
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