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第14話 リョウとアオ、時々ミドリ2

「え、来てないんですか? 俺、おばさんにちゃんと話しましたよ。それに、さっき詰所でおばさんが来て入院手続きを済ませて行ったからねって師長さんから言われたんですけど……。そう葵さんに伝えてくれって。それなのに、ここには来てないんですか?」  リョウは驚いて、思わず大きな声を出してしまった。それを葵が指を立てて咎める。リョウを嗜めるように優しい表情をしてはいるものの、同時に憤りを隠しきれないのだろう。次第に顔を顰めていった。 「……来てないな。病院に来たのなら、娘の顔くらい見にくればいいのに」  虚そうにそう呟いた。そして、一つ深く長いため息をつくと、 「全く、本当にあの人は自分の事ばっかりだな」  と吐き捨てるように呟いた。葵は自分だけに害を為すことであれば、誰が何をしようと大して興味を持たない。しかし、リョウと碧を傷つけようとする人間には容赦なく感情を露わにする。今も嫌悪感を丸出しにして、ギリギリと歯を鳴らしていた。 「お前に聞かせる事じゃ無いとは思うけれど……問題ないって言われても、顔見に来る時間があるなら来たいと思うんじゃねーかなあ。思わねえもんなのかね。俺は絶対来るけどな。佐野さんを理解できるとは思って無いけれど、入院するほどの状態の子供を放っておけるなんて、どうやったって信じたくねえな」  リョウはそう言って顔を顰めていく葵を見て、なぜだか嬉しくなってしまっていた。 「何? なんで笑ってんだよ」 「いやだって……。やっぱり葵さんは優しいなって思って」 「はあ? こんなに怒ってるおっさん捕まえてその感想っておかしくない?」 「いえ、おかしく無いですよ。だって、(アオ)を大切に思ってるから怒ってるんでしょう? (アオ)の親が(アオ)を大切にしてないからって。それは(アオ)に対して優しいってことじゃ無いですか?」 「……なんか早口言葉みたいだな。まあでも、確かにそうだよ。俺は碧が大切だからな。あいつをぞんざいに扱う人は、それが親であろうと許さねえって思ってるよ。お前についてもね」  葵がそう答えると、リョウは嬉しそうに微笑んで、 「ほら、やっぱり優しい」  と言った。葵はその反応を見て恥ずかしそうに笑うと、 「そっか。ありがとう」  と答えた。そして、 「サトルはきっと大丈夫だ。あいつは優希と爺さんになって温泉巡りするのを楽しみにしてるから、それまでは死なねえよ」  と言いながら碧の髪を撫でた。そして「よし!」と声をかけながら椅子から立ち上がり、そのまま入り口の方へと歩いていく。  どうしたのだろうと呆然と葵を見ているリョウを尻目に、ゆっくりとスライドドアを開けると、くるりと振り返った。ちょうどそこは、廊下のライトと外の夜景が重なって見えるところで、まるでその中に体を溶かすようにして葵は立っていた。  光を含んだイエローブラウンの髪がふわりと揺れる。街灯を受けて輝いた髪は、黄金色に輝いていた。そして、彼はその優しい色味と同じような笑みを浮かべると、時計を指差しながら言う。 「リョウ、俺は駐車場にいるな。お前は後から来い。面会時間はあと十分だぞ」 「え、もう行くんですか? それに駐車場って……なんでですか?」 「お前がここにつく直前にメッセージもらったんだけど、沙枝姉さんが俺の車に乗って来てくれたらしいんだ。後藤さんも一緒に来てるらしくて、三人でちょっとこれからのことを話してくるから、それが終わったら車で帰ろう。それに……少しは二人でいたいだろ?」 「あ、えっと……」  リョウが葵の意図を汲んで頬を赤らめると、葵は 「なーに赤くなってんだよ、スケベー。変なことするなよー。ここ病院だし、碧はまだ頭を急に動かすなって言われてるからな」  と揶揄いながら去っていった。 「はあ? し、しませんよ、変なことなんて」  リョウはそう呟くと、軽やかに遠ざかっていく足音の主の優しさに頬を緩めた。  そして、二人だけになった病室で碧と向き合う。濃藍に染まった窓の外から漏れる赤色灯の光に照らされて、碧は深く眠っていた。 ——パニックになって怪我してなくてよかった。  無事だとわかっていても、心配で仕方が無かった。その恋人が目の前で眠っている。頭で理解するのではなく、もっと深いところで納得したいと思っている彼は、その髪や肌に触れたいと思っていた。  そんなリョウの気持ちを汲んで、葵は席を外してくれたのだろう。その心遣いをリョウはとても嬉しく思っていた。彼はいつもリョウが言い出せないことに気がついてくれて、して欲しいことをしてくれる。  実の親よりも自分のことをよくわかってくれていて、とても大切にしてくれていた。  リョウは自分がそうやって葵に大切にされていることに気がつけるようになった頃、自分が碧に対して似たような気持ちを持っていることに気がついた。  そして、それが正確には似て非なるものであり、思春期以降にしか芽生えない感情を含んでいるものであることもしっかり自覚した。 「無事でよかった」  彼が恋心を自覚したのは、小学校五年生の時だった。きっかけは(アオイ)からそれを告げられたことによる。好きだと言われて初めて、自分も(アオイ)を好きなのだと気がついた。  小さな頃からともに過ごしている二人にとって、その気持ちがはっきりと恋であるかどうかは決め手に欠ける部分もあった。しかし、それは月日が答えをくれた。体が成長すれば心もともに育ち、今や確固たる自信を持って(アオイ)を好きだと言えるようになっている。  リョウは、(アオイ)の真っ黒くて短めの髪を手で梳いた。 ——やっぱり(アオ)を一人で行かせるんじゃなかった。  大柄でショートカットの碧は、暗がりだと男性に間違えられやすい。リョウは外が暗くなっているからと言ってついて行こうとしたのだが、準備が押していたこともあり、(アオイ)は一人で大丈夫だと言って聞かなかった。 「強く見えるってよく言われるかもしれないけれど、心は繊細なんだから……ちゃんと守らせてよね」  リョウは何も答えずに横たわったままの碧の頬を、そっと手のひらで包む。(アオイ)の頬は、暖房の効いた部屋の中では暖かい。しかし、三月の空気は陽が落ちるとまだやや冷たいものだ。  店の裏はほぼ陽が当たらない場所であるため、初夏ぐらいまではかなり冷え込む。彼は、その中に倒れていた彼女のことを思うと、思わず目を潤ませた。   「俺たち、外に放っておかれることが一番嫌いなのにね。自分で通報してくれてたから、早めに見つけてもらえたけど……。情けなくてごめん」  親に放置され続けた幼少期、最も苦手なことは一人で外に出されることだった。それは二人とも脳にこびりついて離れない記憶で、それに苦しめられるたびに葵と優希に助けられた。  今も、(アオイ)の母は病院に顔を出したにも関わらず、娘の様子を見に来ようともしない。仕事が忙しいからと言い訳をしているが、小説家である彼女がたとえ締切を抱えていたとしても、娘が救急車で運ばれて入院したのだから、少しくらいは顔を見せるものでは無いのだろうかとリョウも本当は憤っていた。 「葵さんには葵さんの幸せを掴んでほしいけれど……。俺はずっとそばにいるからね」  そう囁いて、何も答えてくれない唇に自らのそれで触れた。皮膚の薄さは、二人の間の隔たりを無くす。ただ触れるだけで、リョウの思いはいつもより多く碧へと流れ込むように感じた。  その思いが届いたのか、碧はふっと目を開いた。

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