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第13話 リョウとアオ、時々ミドリ1
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話は、サトルの意識が戻る前、碧 とともに病院に運び込まれた日に戻る。
サトルのことは優希が同乗したので、その容体以外心配することは特に無かったのだが、碧 についてどうするかを決める事が出来ず、葵は何度もその母である佐野愛美 に連絡をとり続けることになった。
葵とリョウが暮らす家と佐野家は隣同士だ。頻繁に行方がわからなくなる愛美が、碧を放置したまま数日戻らない事が続いていたため、葵が自分の所有するマンションの一室を佐野家に提供し、そこで暮らしてもらうことで、葵が負担なく碧の世話をできるようにしてもらっていた。
そのうちに、自立を目指した彼女は小説を書き始め、ヒット作がシリーズ化されるほどに成功した。安定した収入が得られるようになった彼女は部屋を買い上げ、金銭的な繋がりが無くなった事で葵への遠慮が消えたのか、以前よりもさらに家に帰らなくなってしまっていた。
優希も葵も長らく彼女を見てきたが、夫が若い女と浮気をした挙句にいなくなり、執筆に居場所を求めて行く彼女には、母親としての自覚はまるで無いように見えた。
しかし、彼女も被害者であるということを考えるとあまり強くは言えず、葵もリョウの世話をする上で碧がいた方がいいこともあり、それ以上の干渉をしないようにしていた。
普段はあまり問題を感じる事も無く過ごしているのだが、こういう緊急時にはそういう訳にもいかず、その居場所を探すだけでもかなり大変な思いをすることになる。
多少のことであれば、葵が親代わりをしているからという口利きで今までなんとかやってきた。
しかし、ここまで大きな事件に巻き込まれたことは初めてだ。さすがに伝えなければならないと思い、葵は必死になって連絡を取っていた。それにも関わらず、何度連絡しても繋がらない。繰り返されるビジートーンに苛立ちを隠せなかった葵は、自らが同乗することに決めた。
「すみません、私が一緒に行きます。お母さんから彼女をお預かりしているのは私ですので、問題ないと思います」
しかし、そうなると店の事後処理をする人物が必要になる。葵は迷いなくバータイムの店長である姉の沙枝とオーナーの後藤へ連絡を入れ、急いで店に来てもらうようにした。
二人は今日のパーティーに友人として参加する予定で、もうこちらへ向かう時間になっていた。葵は、緊急事態だと連絡することで、二人に道中を急いでもらえれば、かかるであろう数分の間はリョウに店を預けても大丈夫だろうと考えたようだ。
「二人とももう家を出てるから、あと五分もしないうちに着くと思う。表には警察の方にいてもらうようにしてるから、安心しろ。戸締りして、中の片付けだけ頼むよ」
葵がそう言うと、リョウは唇を噛んだ。彼女が倒れいてるのだから、本来なら自分が付き添いたいところだろう。
しかし、残念ながら彼は未成年で、彼女にしてあげられることは今のところ一つも無かった。彼はその現実をしっかり受け入れて深く頷き、
「わかりました。碧 をよろしくお願いします。その代わり、俺は俺のやれることをやっておきます」
と言って、力強く葵を見つめた。
「うん、わかった」
そう言ってリョウの髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた葵の笑顔を見て、彼は理由が分からずに溢れそうになる思いを閉じ込めるために、深く唇を噛んだ。
二台の救急車は喧騒の中を走り去る。それを眺めながら、リョウは僅かに悔しさを滲ませた。そして、そのまま何の言葉も口に出すこと無く、一筋の涙をするりと零した。
◇
それから一時間ほど経った午後七半。中央病院の廊下に、バスケットシューズがリノリュウムを踏み締める音が鳴り響いていた。「走らず歩いてくださいね」と小さいながらも咎める口調が、リョウの背中に刺さる。気が急いて思わず走り出してしまったことに気がついたリョウは、ハッとして歩を緩めると、小さく「すみません」と謝って歩き始めた。
「おっ、来たな」
衣擦れの音と早いペースで歩くシューズの音が、廊下を歩く人物がリョウであることを教えてくれている。リョウは左足に虐待による怪我が蓄積されていて、右足に比べて脚力が弱い。そのため、ほんの少しだけだが歩くリズムにクセがあるのだ。
ミドリが眠る病室の窓辺に立って外を眺めていた葵は、慌ててやってくるリョウの足音に耳をそば立てた。足音は激しい息切れの音と共に近づいてくる。
そのリズムの速さが、ミドリへの思いの深さを語っていた。早く顔を見て安心したがっているのが、ひしひしと伝わる。そのリョウの様子が目に浮かぶようで、不謹慎ながらも葵は思わずくすりと笑みをこぼした。
「失礼します」
軽いノックの音とほぼ同時に聞こえたその声は、答えを待たずに勢いよくスライドドアを開いた。
病院に通い慣れているからか、扉を閉めようともせずに中へと入ってくる。その姿に、葵は僅かに胸が痛んだ。
——何度連れてきたかわかんねえもんな、ここ。
リョウは、親から見捨てられた要らない子だと言われて、小学校六年間ずっといじめられていた。時折大きなケガをさせられて帰ってきて、その度にここへ通っていたからか、病院のドアは閉めなくても勝手に閉まるということを体が覚えてしまっている。
そんなことが習慣になるほど辛い思いをさせていた現実を思うと、葵はどうにも切ない気持ちになってしまった。ぎゅっと寄せた眉根に、その気持ちの深さが表れていた。
「よ、お疲れ、リョウ。ごめんな、店の片付け任せて。姉さん達は来てくれた?」
かなり走ったのだろう、リョウは肩で息をしていた。それも無理はない。自分の交際相手が知人の血の海の中で気を失って倒れていたのだから、居ても立っても居られないのは当然だ。穏やかに眠っている碧の顔を見て、安心したようにホッと息を吐いた。
ミドリはショックを受けて倒れていただけで、強く頭を打っているわけでも無かった。一度目を覚ましたのだが、殺人未遂の現場に居合わせたと言うことで、他に問題が無いか検査をしてもらいたいと言われ、念のため入院することになっている。
本来ならリョウがそばにいてあげるべきだったのだろう。愛美が一緒に来てくれていれば、リョウだってついて来れたのだ。しかし、リョウは状況を鑑みて気丈に振る舞い、あの場に残ることを受け入れた。
そして与えられた仕事を終えたことに達成感を感じているのだろう、葵に向けて小さく胸を張りながら、それを報告する。
「はい。葵さんがお二人にお願いした通りにされてました。ゲストへの中止連絡、料理と飲み物の片付け、店の片付けと明日の準備まで……。俺が焼いたお菓子はゲストの皆さんに持って帰ってもらいました。あのあとすぐに梱包資材が届いたので、急いで詰めました。俺はその後の片付けと掃除が終わった時点で帰されました。施錠と最終確認は、後藤さんたちにお任せしてきました」
葵はそんなリョウを見て目を細めると、優しく彼の頭を撫でた。リョウはそれを受けて表情を緩めていく。
「そうか。ありがとうな、リョウ。すごく助かったよ」
「……いえ、俺に出来る事なんてそんなに無いですから」
リョウはそう言うと、視線を碧へと送った。
「大丈夫なんですよね? 明日帰れるって聞いてますけれど」
「うん、そう言われてる。一度目が覚めた時に、少しパニックを起こしたみたいだったけれど、しばらく俺がそばについてたら眠ったから、もう大丈夫だろう。そろそろ面会時間が終わるんだよ。あとは明日もう一度検査するって言われてるから、少し様子を見たら、一旦帰ろうな」
「はい」
リョウはそう答えると、碧のそばへとやって来た。そして、穏やかな顔で眠っている碧の頬に、そっと手を当てる。その肌は、いつも通り柔らかく温かい。それを感じて安堵したのか、彼の周りの張り詰めた空気は、ようやくいつもの緩さへと戻って行った。
「なあ、リョウ。佐野さんには連絡してくれたか? まだ来てないみたいなんだよ」
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