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第10話 嵐のあと

 彩葉(いろは)が取材で家を空け、和葉(かずは)も仕事で留守にしている時間に、梨花(りか)が一人で訪ねてきた。 「こんにちは。今日、智樹(ともき)くんが家に一人だって聞いたから遊びに来たよ」  そう言って、梨花はケーキの箱を智樹に差し出す。 「はい、これお土産(みやげ)」 「え、あ……どうもありがとうございます」  突然のことに困惑する智樹を尻目に、梨花はさっさと靴を脱いで家に上がりこむ。  智樹は慌てて後を追い、事情を尋ねる。 「すみません、あの……僕、和葉さんから何も聞いてないんですけど、今日ここに来るっていう話になってたんですか?」 「和葉には言ってない。私が勝手に来ただけ。今日はシフトが休みで暇だったし、彩葉もいないって聞いたから、この(すき)に智樹くんと親睦(しんぼく)を深めておこうかなと思って」  梨花は慣れた様子で廊下を進み、リビングに入るとソファへ腰掛けた。 「ケーキ食べながら、お茶しようよ。私、紅茶よりコーヒーがいいな」  すっかり梨花のペースに飲まれてしまった智樹は、戸惑いながらも言われたとおりにコーヒーを用意する。  お土産にもらったケーキを皿に載せ、コーヒーと一緒にダイニングテーブルへと運ぶ。 「お茶の用意ができましたよ」  声をかけると、梨花は 「ありがとう」  とお礼を言ってテーブルについた。 「ここのケーキ、スポンジがふわふわで美味しいんだよ。クリームも甘さ控えめで食べやすいし。ほら、智樹くんも早く座って」  梨花に(うなが)されて、智樹も椅子に座る。 「いただきます」  ケーキを口に入れると、ふわりとした優しい甘さが口の中に広がった。 「あっ、本当だ。すごく美味しい」  智樹の感想に、梨花が笑みをこぼす。  笑うと頬にえくぼが浮かんで、やわらかい雰囲気になる。 「和葉がね、『智樹くんが来てくれて凄く助かってる』って喜んでたよ。料理も上手なんだってね。今度、私にも教えてよ」 「そんな、上手ってほどじゃ……。簡単なものしか作れないしレパートリーも少ないんで、人に教えられるような腕前じゃないです」  そう返事をしてから、智樹は躊躇(ためら)いがちに尋ねた。 「それで、あの……用件は何ですか?」 「だから、親睦を深めに来たって言ったじゃない」 「でも、わざわざ僕が一人の時に来るくらいだから、和葉さんと彩葉には知られたくない用件があるのかなと思って」  智樹の言葉に、梨花はふっと目を細めた。 「凄いね、その通りだよ。今日は智樹くんに聞きたいことがあって来たの」  そう言うと、梨花は少し間を置いてから口を開いた。 「あのさ、和葉と彩葉の関係って……智樹くんの目からは、どう見える?」 「どうって……普通に仲の良い兄弟だなって思いますけど」 「それだけ?」 「どういう意味ですか?」 「なんか……彩葉って、和葉に対して兄弟以上の気持ちを(いだ)いてるんじゃないかなって……そんなふうに思う時があるんだよね」 「まさか……さすがにそれは、ありえないですよ」  答えながら、智樹の目が泳ぐ。  それを見て、梨花は笑い出した。 「智樹くんって、嘘をつくのがヘタだね」  動揺して赤面する智樹に、梨花が頼み込む。 「何か知ってることがあるなら教えて。またケーキ買ってきてあげるから」 「……何も知りません」 「ふーん、まぁいいや。彩葉に和葉を渡すつもりは無いし、もし結婚の邪魔をしてきたら返り討ちにしてやる」  和葉から愛されている自信があるのだろう。梨花は力強く宣言した。  そんな彼女が羨ましくて、少し意地悪を言いたくなる。 「いいですね、愛されてる人は余裕があって」  智樹の発言に、梨花は心外(しんがい)だという顔をする。 「余裕なんかないよ。『もし彩葉が和葉に想いを告げたら、私たちの結婚はダメになっちゃうかもしれない』って思うと、不安でたまらない」 「でも二人は兄弟だし、男同士じゃないですか。心配するようなことは、何も無いと思いますけど」  梨花は、信じられないという目で智樹を見る。 「何それ、私達のことバカにしてんの? 兄弟だろうが男同士だろうが、好きだっていう真剣な気持ちを、そんなふうに簡単に切り捨てないでよ。もし和葉が彩葉から告白されたら、きっと本気で受け止めるだろうし、真面目に考えて答えを出すはずだよ。私との婚約を解消して、彩葉を選ぶ可能性だってある。あの二人が長年(つちか)ってきた(きずな)は、相当強いと思うもん」  梨花の()()ぐな視線に射抜かれて、智樹は自分の軽率な発言を心から恥じた。 「……ごめんなさい」  素直に謝ると、梨花は表情を(ゆる)めた。 「私も少し言い過ぎちゃった。ごめんね」  梨花の声を聞きながら、智樹は和葉の言葉を思い返していた。  “梨花は誤解されやすいけど、正直で裏表の無い、優しい人だよ”  その通りだな、と思った。  梨花から放たれる言葉には、時折(ときおり)鋭い(とげ)がある。でも、その言葉の奥底には、優しさと(ぬく)もりが(ひそ)んでいる。  ケーキを食べ終えてコーヒーのお()わりを用意していると、玄関の鍵を開ける音がした。 「ただいま」  という声と共に、彩葉がリビングに顔を出す。  そして梨花の顔を見た瞬間、眉間(みけん)(しわ)を寄せた。 「お前、そこで何してんの?」  彩葉の不機嫌な声に、梨花は笑顔で言葉を返す。 「お茶しながら、智樹くんと親睦を深めてるの。彩葉も混ざる?」 「はあ? なんで智樹がお前なんかと親睦を深めなきゃいけないんだよ。智樹は俺の家政夫だぞ! 二度と近寄るな!」 「俺の? 何その言い方。智樹くんは物じゃないんですけど」 「いいから帰れよ!」 「はいはい、分かったわよ。帰ればいいんでしょ。またね、智樹くん」  梨花はゆっくりとした動作で立ち上がると、智樹に手を振って玄関に向かった。 「あっ、梨花さん!」  慌てて追いかけようとしたが、智樹に腕を(つか)まれて足止めされる。 「なんであいつを家に上げたんだよ!」 「和葉さんの婚約者なんだから、追い返すわけにはいかないだろ」 「だけど、わざわざ和葉も俺もいない時に一人で来るなんて、おかしいじゃないか!」 「そんなこと僕に言ったってしょうがないだろ!」 「……二人で何を話してたんだよ」 「別に……たいした話じゃない」 「俺に言えないようなこと?」 「違うよ」 「あいつ、和葉と婚約してるくせに……智樹にも手を出すつもりなんじゃないのか?」  梨花を(おとし)めるような彩葉の発言に、智樹は怒りを(あら)わにした。 「いいかげんにしろよ! 梨花さんはそんなことする人じゃない。あの人を悪く言うのはやめろ」 「なんだよそれ……智樹まで梨花の味方すんのかよ!」  そう吐き捨てると、彩葉は荒々しく足音を響かせながらリビングを出て行った。  それから大きな音を立てて玄関のドアを閉め、どこかへ出かけて行ってしまった。  嵐のあとのように静まり返った部屋の中で、智樹は深い深いため息をついた。

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