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第11話 もう少しだけ

 彩葉(いろは)は夜になっても戻らず、仕事を終えた和葉(かずは)の方が先に帰宅した。  彩葉が出て行ったきり帰ってこないことを伝えると 「ついさっき彩葉から連絡がきて、『遅くなるから夕飯は外で食べてくる』って言ってたよ」  と教えてくれた。 「智樹(ともき)くんには連絡きてないの?」  和葉に聞かれて 「はい……ちょっと喧嘩しちゃって……」  と、智樹は気まずい表情で答える。  梨花が訪ねてきたことを話した方がいいのかどうか迷っていると 「そういえば今日、梨花が家に来たんだってね」  と和葉の方から話を振ってくれた。 「そうなんですよ。すみません、僕しかいない時なのに上がってもらっちゃって……」 「全然(かま)わないよ。むしろ申し訳なかったね。事前に何の連絡もなかったんでしょ? 彩葉に怒られたよ。『智樹しか家にいない日は、絶対に梨花を来させるな』って。本当にごめんね」 「いや、そんな……僕の方は全然大丈夫です」 「梨花からも連絡があって、『また遊びに行くって伝えといて』って頼まれたんだ。もし智樹くんが迷惑じゃなければ、時々梨花の相手をしてもらえると嬉しいな」 「でも……嫌じゃないですか?」 「何が?」 「自分の婚約者が他の男と二人きりで会ってるなんて……」 「うーん、そうだなぁ。他の男性と二人きりで会うって言われたら嫌かもしれないけど、智樹くんなら大丈夫だよ。信用してるし、誰かを傷つけるようなことはしない人だって分かってるから」  和葉と梨花は、似ている。  表面的には正反対の性格に見えるけれど、二人とも透き通った心根(こころね)の持ち主で、言葉に嘘が無い。  そんなことを考えていると、智樹の携帯の着信音が鳴る。画面を見ると、友人の田中からだった。 「もしもし?」  電話に出ると、耳慣れた田中の声が智樹の耳へと流れ込んでくる。 「あー、佐藤? 今さぁ、ゲイが集まる店で飲んでるんだけど、彩葉が酔い潰れて寝ちゃったんだよね。一人じゃ帰れそうもないから、迎えに来てくんない?」 「あー、どうしよう。今日、彩葉と喧嘩しちゃってさ……ちょっと気まずいんだよね。どうしても迎えに行かなくちゃダメ?」  智樹が渋ると、田中は声を尖らせた。 「お前さぁ、彩葉のこと好きなんだろ? だったら、こういう時には駆けつけてやれよ。酔い潰れた状態で放っておくと、誰かにお持ち帰りされちゃうかもしれないぞ」 「……分かった。すぐ行く」  電話を切ると、智樹は急ぎ足で彩葉のいる店に向かった。  智樹が店に着くと、彩葉はテーブルに()()して寝ており、いくら揺さぶっても起きようとしなかった。  仕方なく田中や周囲にいた人達にも手を借りて、なんとか彩葉をタクシーに押し込む。  手伝ってくれた人達にお礼を言って、智樹もタクシーに乗ろうとしたところで、田中から声をかけられた。 「彩葉の奴、お前のことばっかり話してたぞ」 「どうせ悪口だろ」 「悪口っていうより、やきもちって感じだったけどな。お前が和葉さんの婚約者と仲良くしてるのを見て、頭に来たんだってさ。あの様子は脈ありっぽいぞ。彩葉も佐藤のこと、気になり始めてるんじゃないか?」 「そんなはずない。彩葉には好きな人がいるんだから」 「知ってるよ。和葉さんだろ? でもさ、気持ちは変わるもんだし……毎日一緒にいるうちに、佐藤のことを少しずつ好きになってるのかもしれないじゃん。彩葉のことを本気で好きなら、もうちょっと積極的に頑張ってみろよ」  何も答えずにいる智樹に、田中はまだ何か言いたそうな顔をしていたが 「お客さん、そろそろ出発してもいいですか」  とタクシーの運転手から()かされて、二人は話を切り上げた。  智樹も車内に乗り込み、彩葉の隣に座る。  運転手に目的地を告げると、タクシーは滑らかに夜の町を走り出した。  鈴木家の玄関前に到着し、和葉を呼んで手伝ってもらいながら、彩葉をベッドまで運んだ。 「あとは僕がやっておくので」  と和葉に告げて、智樹は彩葉に布団をかける。  うっすらと目を開けた彩葉が 「水……」  と(つぶや)いたので、急いでキッチンまで行ってグラスに水を注ぎ、彩葉の部屋へと戻る。 「大丈夫か? 水持ってきたぞ」  智樹が声をかけると、彩葉は目を開けて弱々しい声を出した。 「一人じゃ起きられない。手伝って」  智樹はサイドテーブルにグラスを置き、彩葉の体を(かか)え起こす。 「ほら、飲みな」  左腕で彩葉の体を支えながら、右手でグラスを差し出した。 「自分じゃ飲めない。飲ませて」  智樹にもたれかかりながら、彩葉が甘えてくる。  グラスを口元へ運んでやると、彩葉は喉を鳴らして水を飲み干した。  これ以上そばにいると理性が保てない気がして、智樹は彩葉から体を離す。  すると、彩葉が智樹の服を(つか)んで引き留めた。 「もう少しだけ、そばにいて」  その言葉に、ぷつりと音を立てて理性の糸が切れる。  気がついた時には彩葉の体をきつく抱きしめていた。  首筋に彩葉の息遣いを感じて、心臓が早鐘を打つ。  思わず腕に力を込めると、彩葉が苦しげに(うめ)いた。 「……痛い」  彩葉が智樹の体を押し返す。  目が合い、智樹は正気を取り戻すと同時に羞恥(しゅうち)を覚え、()(たま)れない気持ちになる。 「ごめん」  それだけ言うのが精一杯だった。  智樹は立ち上がり、彩葉の部屋を出て扉を閉めると、目眩(めまい)を感じて廊下にしゃがみ込んだ。  明日から、どんな顔をして彩葉に会えばいいんだろう。  好きだという気持ちが、もうこれ以上は抑えられそうもない。  腕に残る、彩葉の体温すらも愛おしい。  この想いを告げたら、そばにはいられなくなるかもしれない。  それでも気持ちを伝えたい。想いを届けたい。そう思ってしまう。  智樹は夜の静寂(しじま)に包まれながら、いつまでもその場に(たたず)んでいた。

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