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本田八雲の追想 2
ぶかぶかで新品の学ランを着た犬みたいな少年は、南悠太と名乗った。
なんだコイツすごく馴れ馴れしいと思いながら話に耳を傾けていたら、どうやら一度会ったことがあるらしい。
「あー、あの時の泣き虫くん」
「泣き虫じゃない!み・な・み!」
「ハイハイ南くんね」
あの時助けた泣き虫の少年は、随分と成長していた。
子どもっぽいところは変わりないが、身長や顔つきは大人になろうとしているのがわかる。
他人にまったく興味のなかった俺は、何でかよくわからないけど少しだけ南悠太という少年に興味を持った。
それからというもの、南少年は子犬のように俺の周りをうろつくようになった。
といっても、弓道教室のある日だけだったけど。
何回も俺の家に行きたい遊びたいと言われたけど、とても招き入れることができる家ではなかった。
断るたびに悲しそうな顔をして、柄にもなく心が痛んだ。
「ねえ八雲さん」
「んー?」
この時の俺は本当に性格が捻じ曲がってて、話しかけにくるのなんて身内以外この南ぐらいだった。
会うたび可愛らしく俺のところに寄ってくるものだから、たぶんこの時から情というものが湧き始めてたんだと思う。
「家族に八雲さんの話してたら、今度の休みに連れてきなさいって」
一瞬、世界が止まったような感じがした。
いや、確実に止まった。
心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
「俺が南の家に?」
そう確認して言えば、そうですと無垢な笑顔を向けられる。
誰かの家に招待されるなんて、考えてもみなかった。
そんな資格なんてないと思ってた。
でも南の両親はぜひ一度会ってみたいと言っているらしい。
「いや…せっかくで申し訳ないけど、俺なんかが行っていい場所じゃないよ」
また南に悲しそうな顔をさせてしまうなと思ったら、まったく逆だった。
眉はつり上がり、口はへの字。頬は興奮しているかのようにほんのり赤みを帯びていて。
「もう!八雲さんってなんでそう…そうなんですか!」
俺の目の前にいるこの小さな少年は、どうやら怒っているようだ。
俺が南に何をしたのかまったくわからなくて、どうしたらいいのかわからない。
この少年と一緒にいると、わからないことだらけだ。
「八雲さんは優しいです」
「……は?」
いきなり何を言い出すんだコイツは。
本気でそう思った。
俺が優しい?どこを見てそう言ってるのか、皆目検討もつかない。
とにかくだらしなかった。
クズと言われても仕方ないような生活を送っていたから。
たしかに弓道場にいるときは心を落ち着けることができたし、銅さんには心を開いていたし、南は子犬みたいだし、普通の人になっていたと思う。
「優しくて、かっこいいです」
違う。
そう言おうとして、俺は口をつぐんだ。
南の瞳があまりにも真剣だったから。
年下の子どもに気圧されたんだ、俺が。
「あの時、八雲さんは助けてくれました」
「そりゃあ……ガキが泣いてたら放っておけないだろ」
「ほら、優しいじゃないですか」
「人並みの優しさだろ」
「優しさを人並みって言っちゃダメです。あれは八雲さんの優しさです」
どこまでも真っ直ぐな瞳。
南の言ってることが全部正しいと錯覚してしまいそうなほど。
この世界から2人だけを切り離したような感覚。
南は俺しか見てないし、俺も南しか見ていない。いや、見えないんだ。お互い。
「優しいですよ、八雲さんはちゃんと」
「ここ以外の俺を知らないからそう言える」
「もちろんです」
何を言ってるんですか?と言わんばかりの顔をされる。
いよいよこの南少年が何を考えているのか、さっぱりわからなくてお手上げ状態に陥った。
何を言ってるんですか?俺が聞きたい。
「ここ以外の八雲さんのことは全然知らないけど……ここで優しくできるなら、ここじゃないところでも優しくできます。優しくなかったら、たぶんオレと話してくれないです」
さっきまでの覇気はどこへやら、南はへにゃりと悲しそうに笑う。
その表情を見て察した。
この少年もまた、何か暗いものを抱えているんだ。
ただの元気と明るさが取り柄の少年だと思っていた考えを、俺はここで改めた。
南と会うたび、話すたび、新しい発見がある。
自分の知らなかった一面を引き出してくれる。気づかせてくれる。
そうして俺は、南悠太という人間に惹かれ始めていた。
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