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出会い
幼い頃からテニスをしていた暁義は、中学では県大会出場も果たした。
チームメイトに恵まれず全国大会出場こそ逃したが、偶然その時の試合を見たという高校のコーチから声をかけてもらい、その学校への進学することになった。
進学した先はテニスではそこそこ有名な高校だったが、男子校だったため周りは当然男ばかり。
テニス特待という立場もあって入学と同時に恋愛は諦めた。諦めたと言うよりは、純粋にテニスに集中したかったからだが。その学校で暁義は同じテニス特待の壱斗と出会う。
中学時代の壱斗は既に有名人だった。
同じ県内に凄く上手い奴がいる――そう聞いた暁義は一度だけ授業をサボり、壱斗の試合を見に行った。ボールに対する反応が早いのは当然ながら、コントロールも上手く、かつ、ボールを追いかける姿勢はまさに熱血。しかし熱くなりすぎるわけではなく、相手の動きを見ながら空いている場所に的確にボールを打ち込む。
暁義はその姿に直ぐに魅せられ、惹き込まれた。だから高校の入学式で見かけたときは心底喜びを感じ、人見知りする暁義にしては珍しく、少しでも近づければと思ったのだ。
「えー。こんなに練習するんですか? もうちょっと休憩しましょうよ」
だが、部活が始まり一緒に練習が出来ると思ったのも束の間。口を開けば文句ばかりで、壱斗はろくに練習しようともしない。
暁義は一緒に練習を重ねる中で、実は呆れるほど身勝手でいい加減な性格だと感じていた。同じ年で全国を経験しているという壱斗に密かに抱いていた憧れは当然の如く打ち砕かれ、憧憬の念はあっと言う間に軽蔑に変わっていった。
運動特待の生徒には珍しいことではなかったが、授業中は殆ど寝ているか酷いときには授業にすら出席せずサボっていて、テニスに関しても、先輩相手に手を抜いているのが見て分かるほど。
お調子者な面もあり、良く言えば誰にでも気軽に接する明るい性格かも知れないが、暁義はノリが軽くて不真面目な奴だとすっかり幻滅してしまった。
「くそっ! どうしてあんな奴!」
どうして壱斗なんかに憧れていたのか。暁義は悔しくて仕方なかった。
――夏の大会前。その日は監督が用事で不在だったため、三年生を中心に自主練習を行っていた。
しかしその日は例年にない猛暑で、暑さで殆どの部員はだらけてしまい、練習にも身が入らない。当然のようにコート内に壱斗の姿はなく、またどこかでサボっているのだろうと部員全員が思っていた。
暁義も同様に思っていて、壱斗のいないテニスコートを不思議にすら思わなかった。
練習が終わり帰ろうと荷物をまとめている時、暁義は教室に忘れ物をしていたことを思い出した。
取りに行こうと近道である校舎裏を通ったとき、壁に何かがぶつかる音を耳にした。それは規則正しく、一定の間隔で聞こえてくる。
その音を辿るように校舎裏の一部陰になっている場所を覗き見た。そこには一人黙々と壁打ちをする壱斗の姿があって…。
ひたすら何時間も壁打ちをしていたのだろう。推測するに容易い程、壁にはボールの跡が付いていた。
よく見れば今通ってきた校舎裏の壁にもボールの跡が付いている。それは延々と横に広がっていた。
一体誰がこの跡を、とも思ったが、そんな考えは一瞬で飛んでいった。
壱斗しかいない。
しかも壱斗のコントロールの良さを表すように、その跡は壁の中心部に集まっていた。
それを見て暁義は悟った。
個人練習ばかりで身勝手なのは変わらないかもしれないが、決して不真面目でやる気がないわけじゃない――何の努力もしていない訳じゃなかったのだと。
「一人で練習して、意味あんの?」
気づけば暁義は、嫌っていたはずの壱斗へと話しかけていた。
「え…っと、嘉瀬、だっけ?」
この時、壱人が名前を覚えていた事に驚いたことを覚えている。
話したこともなければ、近づこうとすらしていなかったのに。だから驚いたと同時に、それが何だか嬉しかった。
その日以来、暁義は壱斗と一緒に練習するようになり、クラスでもよく話しかけるようになっていった。
元々同じテニスプレーヤーとして壱斗に憧れていたこともあり、心を開くのにそう時間は掛からなかったように思う。
仲良くなるにつれいつしか親友という立場になり、気がつけば、壱斗が自分にしか見せない表情を嬉しく感じたり、ふとした瞬間に見せる仕草にドキリとときめいたりし始めた。
その感情が何なのか直ぐに分かったが、暁義はその気持ちを認めるのが怖かった。
この気持ちを認めたとして、一体どうなるというのか。男女のように容易に想いを受け入れてもらえるようなものではない。男同士なのだ。このまま親友という立場を保つ方が二人にとっていいのではないか。
しかし暁義の中での想いは膨らむばかりで、無防備な壱斗にいつか手を出してしまうのではないか…そんな自分が怖かった。
それならばいっそのこと離れてしまった方が楽になれる。そう思い、二年へと進級しクラスが分かれてことを機に、暁義は壱斗と距離を取った。その所為で当然壱人との関係は気まずくなった。胸倉を掴まれ怒鳴られたこともあったし、口を利くことすら避けたため、周囲から一体どうしたのかと何度も聞かれた。
だが本当のことなど言えるはずもなく、暁義はひたすら閉口し続けた。本心を知られるよりはマシだと…。しかしそんな暁義を壱斗は許してくれなかった。
「アキ、ちょっと来い」
二週間ほど経った日の放課後、今までサボることのなかった自主練をサボってまで呼び出された屋上。春と呼ぶには日差しが強く、肌がジリジリと焼ける。
「アキ、俺が何かしたならはっきり言えよ」
言われて向き合う顔。
まともに見たのはいつ振りだろうか?そう思えるほどに暁義は懐かしく感じた。
「アキっ!」
暁義が何も答えないでいると、壱斗がイラついた様子を見せる。
「壱斗は……何も悪くない」
「だったら! 何で避けるんだよっ!」
暁義は何も言えずにまた閉口してしまう。
お前を見るとドキドキする、触れたくなる…そう言ってしまえば楽なのかもしれないが、そんな感情、男同士で言われても気持ちが悪いだけだ。
暁義自身、こんな感情を持ってしまったことに罪悪感で吐き気がするのに、そんな目で見られていると壱斗が知れば、必ず軽蔑するに決まっている。
そう思うと、尚更言えるはずがなかった。
「お前……俺のこと、そんなに嫌いなのかよ…」
「……違う」
暁義は小さく呟いた。それだけは違うと。
壱斗のことを初めこそは嫌っていたが、知れば知るほどに、気づけば困るほど惹かれていた。
“嫌いだ”なんて嘘でも言えないほどに……好きで仕方がない。
仕方がないんだ、好きで。
言えるはずのない本心が、胸の中に湧き上がってはきつく締め付けた。
ただ、好きなだけなのだ。
「っ、だったら…」
よく見れば壱斗のまぁるい瞳に薄っすらと涙を浮かんでいる。
好きなのに…好きなはずなのに、傷つけてしまった。
自分の感情を一度受け入れると、なんて酷いことをしてしまったんだ、と罪悪感が暁義の心にジワリと滲む。
だが本心を明かすことは出来ない。
せめて…せめて今まで通り友達であり続けることが出来れば、壱斗はまた笑ってくれるだろうか。
勝手に疚しい感情を持ってしまったのだから、これ以上壱斗を傷つけることがあっていいはずがない。自分が我慢すれば丸く収まる話だ。
暁義は自身にそう言い聞かせた。
「壱斗……ごめん」
これはこんな感情を持ってしまったことへの謝罪。決して口に出して言うことは出来ないけど。
「あー……最近スランプで、さ……っ壱斗の傍に居るのが辛くて…ごめん」
半分本当で、半分嘘。
自分でもよくこんな嘘をスラスラと…と思わなくもないが、壱斗への想いを告白するよりもマシだと思った。
ただ、そばに居ることだけでも叶うならば――そんな感情が心の奥でちらついた。
「そ、そっか…何か、ごめんな。変に責めたりして」
そう言って壱斗は恥ずかしそうに頬を赤らめたが、暁義の心中はやはり複雑だった。
「壱斗、部活行くぞ」
「あ、待って! アキ」
それから、やはり無防備な壱斗に戸惑うこともあったが、以前のような仲に戻れたことを嬉しくもあった。常に壱斗の隣にいる自分。友達の中では一番壱斗の近くにいることが出来た。
恋人になれればと思ったこともあったが、徐々に見えてくる現実に、男同士でそんな高望みは出来ないのだと知ると、そんな感情が湧く度に今まで通り壱斗にとって一番の友達でいられれば十分だと、暁義は自分に言い聞かせていた。
三年の冬、卒業を意識するまでは――。
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