15 / 15

愛なんだよなぁ

 ベッドサイドに設けられた丸みを帯びたシンプルな形のルームランプ。その柔らかな光が静かな室内を照らしている。  何度目か分からなくなるほど吐精した後、裸のまま余韻に浸るようにベッドに横になり、暁義は腕の中の存在を抱きしめた。  大人しく腕の中に収まる壱斗に、暁義は思わず笑みを漏らす。  一応タオルで拭ったとはいえ、体中汗や精液で汚れている。直ぐにでも風呂に入りたいところだが、まだ気だるさの残るこの雰囲気に浸っていたかった。それに、汚れたままの身体も、壱斗との情事の所為だと思うと何故だか洗い流すのが勿体無い。  完全に溺れてしまっているな、と思わず自嘲してしまう。  散々悩んで、喧嘩して、割り切ったつもりでいたのに、結局はこうして壱斗の傍を選んでしまうのだ。  恋に溺れるとはよく言ったものだと、先人には恐れ入る。  情事後の倦怠感に虚ろ虚ろとしていると、急に壱斗はベッドの下に手を伸ばし、ゴソゴソと何かを漁り始めた。 「どうかしたのか?」 「うーん?」  ハッキリしない返事をし、振り返ることなくいまだその手は漁り続けている。  暁義はそれを不審に思い、壱斗の上に覆いかぶさるようにして覗き込んだ。 「あった!」  暗いベッド下から引き出されたのは小さな箱。少し埃を被ったそれは、アイボリー色の包みに包まれ、金色のリボンが飾り付けてある。  その埃をサッと拭い、壱斗が暁義の手の平に載せた。 「これ、アキにあげようと思ってたんだ」  そう言って壱斗がはにかんだ笑顔を見せる。  暁義は突然のプレゼントに驚き、目をパチクリとさせた。 「何で…」 「ちょっと、恥ずかしいんだけど…」  そこまで口にすると、壱斗は隠れたいのか甘えたいのか、どちらとも取れる動作で暁義の胸に顔を埋めてくる。 「付き合って一周年記念のプレゼント……あの日アキが見たっていう女の子。本当、ただの友達で、いい店知ってるって言うから連れて行ってもらってたんだ…ごめん、本当のこと言えなくて」 「壱斗…」  暁義が名前を呟くと壱斗は顔を上げ、少し潤んだ瞳を見せた。  それから辛そうな笑顔を作って見せる。 「アキを驚かせたかっただけだったのに、あんなことになるなんて思ってなくて……すっごい後悔した。バカな事したって…俺ってホント、意地っ張りで、バカで、ごめん」  そうだったのか、と一言漏らし、暁義は壱斗の少し長めの髪を梳いた。優しく撫でるように。  今更ながらだが、あの時浮気だと思ったのは勘違いだったのだと分かり、あの時の喧嘩や憤り、感じた不安は何だったのか……と思わずにいられないが、暁義もまた自分の言動に後悔を感じる。  何も知らず…いや、知ろうとせぬまま勝手な思い込みで壱斗を責め、その想いを踏みにじった。それなのに浅ましくも、またこうして腕の中に戻ってきてくれたことが嬉しくて仕方がない。  情けなく感じてしまうのは仕方がないのかも知れない。  周囲から同情されることも、多いかったかも知れない。  でもそれは、単なる虚勢でも意地でもなく、ただ、壱斗の全てを受け入れ切れていなかったと言うだけのことだった。  好きという感情に対し、同等の感情が応えるとは言い切れない。それは正しく今回の件に言える事なのかもしれないが、暁義の壱斗に対する感情と、壱斗の暁義に対する感情。それは物差しで測って比べることが出来るものではないし、目に見えるものでもない。  しかし暁義は一方的に自分の感情以上のものが壱斗の中にあると思っていなかったし、考えもしていなかったかもしれない。  先に好きになったのは自分で、告白したのも自分。壱斗はただそれに応えてくれているだけ…そんな気持ちを捨てられずにいて、気付く事すら出来ずにいた。  しかしこうして子供っぽくはあるが、意外な壱斗の愛情の深さに漸く気づき、心が歓喜に沸く。  こんなにも想ってくれている。  愛情を向けてくれている。  目に見えないはずの想いを、目に見える形で表してくれている。  それはただただ、心を揺さぶってくるばかりで、どんな負の感情ですら忘却出来るほどの体現だった。 「開けていい?」  訊ねると壱斗は大きく頷いた。  金色のリボンを解き、包装紙を剥がす。包みを取るとしっかりとした箱が姿を見せ、その箱を開ける。  その中には手の平に収まるサイズのベルベット調の入れ物が入っていた。  まるで女性に送るそれを思わせるものに、柄にもなくドキドキと高鳴る胸を沈めようと一息吐き、少し固めの入れ物を微かに震える手でゆっくりと開いた。 「……指輪」  入れ物の中央の溝に収められているそれは、白金の輝きを見せ、緩く湾曲を描いたデザイン。それが二つ並んで入っていた。その一つを抜き取り、二本の指で光に翳す。反射した光が指輪を更に煌めかせ、特別感が増していく。  ふと中を見ると、小さな文字らしきものが見えた。  そこには刻まれていたのは、ありきたりにも思える二人の名前――。 「これ…」  まるで永遠を誓う為のそれに似たシンプルなデザインと褪せることのないよう刻まれた“Ichito to Akiyoshi”という文字が、本当に今から永遠を誓うのではないかと思ってしまう。  暁義は内々から湧き上がるあまりの感動に、その喜びを言葉にすることも、ましてや身体で表現することも出来ずにいた。  気持ちだけがふわふわとしていて、まるで夢を見ているのではと疑ってしまいたくなる。 「俺さ……実は高校の時からアキのこと好きだったんだ。まさか同じ気持ちでいてくれるなんて思いもしなかったから絶対言えなかったんだけど。だから付き合えるなんて考えもしてなかったから、せめて大学くらい同じとこ行きたくて……アキから告白されたときは、本当に嬉しかった! でも恥ずかしさとか、自分が言いたくても言えなかったのに、あんな風に言っちゃうとこなんかカッコイイのに、そこがなんかまた憎くも思えて、素直に言えなかった…」  そこまで告げると、壱斗は照れくさそうに鼻を掻いた。  今まで知ることのなかった壱斗の気持ちに、暁義の胸は更に熱くなる。 「壱斗…」 「今まで、いっぱいごめん……俺なりに一年目の記念日にけじめ付けようと思ってさ…これから俺は、嘉瀬暁義一筋ですって。早いかなとも思ったんだけど、どうしてもアキは俺のものだって証も欲しくって……正直、俺がアキだけのものになるって言うよりも、アキが俺だけのものになって欲しい。ねぇ、俺のものになって。アキ」  普段からは想像もつかないほど、健気な表情を見せる壱斗。  そんな壱斗を見て、暁義は首を横に振れるはずがなかった。  全てを受け入れてやりたい。  今までの壱斗の行いも、その不器用な想いも、これから先の想いも全て…。  視線を壱斗から指輪へと移し、手にした指輪を自分の薬指へと通す。 「言っとくけど、俺がお前のものって事は、お前も俺のものだからな。大体、こんな高そうな物どうやって買ったんだよ」  照れくささと嬉しさを隠すように態と嘆息を吐きながらも、暁義は笑顔を抑えられなかった。だが素直に喜ぶのも気恥ずかしい。 「ちょっと、夜、バイトして」  だから別れる前、どんなに遅くても帰ると言っていたのか、と暁義は何となく合点がいった。  確かに普通のバイトで稼いで直ぐ買えるようなものじゃない。だが、せめてバイトだと一言言ってくれれば在らぬ疑いを持たずにすんだのに…そう思ってしまうが、壱斗なりに喜ばせようと考えてしてくれたことを咎めることは出来ない。 「壱斗、手」  そう言って壱斗の手を取り、もう一つの指輪をその指へと通す。通し終えるとその指にキスを送った。 「これで、壱斗は俺のもの」 「アキっ!」  壱斗が頬を染めながら、喜びの声を上げる。  らしくもない演出をしてしまったと思いながらも、壱斗が喜んでいるのを見て、偶にはこんなくさい演出もいいかと暁義は照れ笑いを浮かべた。  指を飾る細いリングを眺めては破顔する壱斗。 「好きだ」  その微笑ましい光景に、暁義はギュッと壱斗を抱きしめた。  ぎゅうぎゅうと何度も抱きしめる。  何度抱きしめても抱きしめ足りない。  それほど壱斗への気持ちが溢れていた。 「…アキ、もう飲み会行くなよ」  きつく抱きしめる腕の中、唐突に壱斗が口を開く。その内容も慮外で、暁義は純粋に驚いた。 「…ああ」  暁義は壱斗がどこからそんなことを思ったのか分からなかったが、短く返事を返した。  元々断る理由がなくて顔を出していただけで、壱斗が戻ってきた今、断るれっきとした理由がある。  それにこれからは、飲み会に行く時間があれば、出来るだけ壱斗と一緒にいたいと思っていた。 「もし、どうしても行くときは俺も一緒に行くから」  思わずぷっと吹いてしまいながらも暁義は、ああ、と頷く。 「あと、女の子と二人っきりも禁止」 「ああ」 「合コンなんて、以ての外」 「ああ」 「あと……元カノとは、絶対、連絡取らないで…」 「…ああ」  暁義は途切れ途切れに紡がれた言葉に、壱斗が何故こんなことを言い始めたのかが分かった気がした。  清香に対する不安は、まだ消えていない。  今更ながら、そんなことに気がついた。  そして、どうすればその不安を少しでも消すことが出来るだろうかと思考を巡らせる。 「ちょ、さっきから、ああ。ああ。って、本当に話聞いてんの?」  考え込んでしまったのを不満に思ったのか、ぷうっと頬を膨らませ、覗き込むように顔を近づけてくる壱斗。  こんな愛らしい表情も出来たのかと、その仕草の可愛さに、暁義は思わず頬を緩めた。  片腕を鞄へと伸ばし、慣れた所作で中を手探りする。 「聞いてるよ……ほら、清香の名前、電話帳から消すぞ」  鞄から取り出したスマホを開きポチポチッと操作する。そして、壱斗に画面を向けながら暁義は、フレンド欄にある名方清香の名前をブロックした。  こんなことで消せる不安なんか、本当に微々たるものかも知れない。それでも、何もしないよりはきっと壱斗に安心を与えることが出来るのではないかと暁義は思った。 「アキーーーっ」  勢いよく抱きついてくる壱斗。  抑えきれない感情を伝えるように顔からは笑みが溢れている。 「何だよ」  わざと突慳貪な口調で返しながらも、暁義も思わず笑みが零れる。  壱斗の表情を見て少しでも不安が晴らせたのだと思うと嬉しかった。 「大好きっ」  薄っすらと涙を浮かべながら壱斗がキスをする。  壱斗の表情を見ればその言葉に嘘や偽りなんてないことは直ぐに分かった。  本当に好いてくれている。  純粋にそう感じることが出来、暁義は嬉しかった。  これからも壱斗を好きでいていいんだ。  素直にそう想い続けられることが嬉しかった。 「分かってるよ。お前こそ、浮気すんなよ」 「大丈夫! 俺、アキしか愛せないから」  屈託のない笑顔でくさい台詞を言う壱斗に、暁義は思わず吹き出してしまう。  散々そのことで困らせてきたのに、まるでそれすらなかったことのように純な笑顔。 「何か、言い方軽いよなぁ」  壱斗の気持ちを分かっていてもつい意地悪な感情が口をついて出てしまう。 「信用しろよぉ。毎日連絡するし。俺、アキの言うことなら何でも聞くよ」  拗ねながらも壱斗は自分なりに思いつく限りの誠意を表そうとしている。  もう暁義以外考えられない、と。  そんな拙ささえ残るような壱斗の幼い愛情表現に暁義の心も自然と素直になっていく。 「ふーん…なら、一緒に住むか」 「いいよ……って、ええ!?」  付けたばかりの指輪を見つめながら聞き流すように一度頷いた後、壱斗は驚きの声を上げた。  思いもよらなかったのだろう。口も目も大きく開いている。 「ふっ…お前こそ話聞いてないじゃん」  壱斗の反応に暁義は思わず噴き出した。  人の空返事を疑っておいて、自分もしっかり呆けて空返事で返している。 「き…聞いてる。聞いてるっ! 住む! アキと一緒に住みたい! いいの!?」  驚きながらも目を輝かせる壱斗に暁義の頬も緩みっぱなしになる。  自分が惚れた相手はこんなにも純粋で、素直で、愛らしい人だった。 張り巡らせていた虚勢を外せばこんなにも互いが素直に慣れて、思った事も、思っていた事もつらつらと口から出ていき、その先に幸福という存在があることを教えてくれる。 「ああ」 「っやったぁ! アキと同棲だ! やばい、嬉しいかもっ」  飛び起きるようにベッドの上に座り、はしゃぐ壱斗。そんな壱斗を思わず可愛いと思う。 「それで…俺の為にメシ、作ってくれよ」 「作る! 毎日作る! だから、毎日帰ってきてね」  まるで新妻のように小首を傾げて、お願いという名のルールを強いているように思えるが、家に帰ると壱斗の笑顔と手料理が待っているというだけで、それはやはり純粋なお願いとして脳が処理してしまう。 「ああ」  連絡を躊躇することも、いつ返るとも分からないメッセージを待つこともない。  こんなに嬉しいことはないだろう。  想像しただけでワクワクとドキドキが胸を占めていく。 「毎朝起きたら隣にアキがいて、アキが起きる前に俺は朝食の準備するんだ。で、準備が出来たらアキを起こして」 「うん」 「で、お弁当なんかも作ったりして」 「愛情いっぱい込めろよ」 「もちろん! で、家を出る前は絶対行ってきますのちゅうね! うわぁ…何か、想像しただけで興奮してきた」  もう二人で暮らしたときのことを考え始める壱斗の言葉を聞くと、暁義にもその様子が容易に想像できた。  これからのそんな甘い生活も喧嘩して泣く日々も、全部が二人の思い出で、宝物になっていくだろう。  今まで嫉妬で怒り、不安で押しつぶされそうになって涙を流した過去の全てを含め、見える未来に暁義は幸せを感じた。 「焦んなって…とりあえず、今度一緒に部屋探しに行こうぜ」 「…っうん!」  嬉しそうな笑顔を浮かべ、壱斗は早くも住む部屋の間取りを考え始めた。  気が早いと思いつつも嬉しいと思う気持ちは一緒で、正直なところ、内心暁義も浮かれていた。 「どうせ寝る時は一緒だから、1LDKでも俺は十分かな。あと、大学に近い方がいいけど、アキのバイト先が遠くなるのは嫌だよね。一緒の時間も減っちゃうし」  まるでちょこまかと動く小動物のような仕草であれはこう、これはこうとシュミレーションする姿は微笑ましいとしか言いようがない。  暁義はこんな壱斗の仕草一つ一つに惚れたのだと改めて感じた。  小悪魔的な仕草で魅了し、心を掴んで放さない。  態と派手な態度と言動を見せるのに、本当は純粋で一途。  そんな壱斗を理解できず、初めは裏切られた気分だったが、本当の壱斗を知るにつれ、惹かれて、惚れて、好きになって…。ああ、そうか――。暁義は内心一人で納得した。 「壱斗…俺、壱斗のこと好きじゃなかった」 「え…」  刹那、壱斗の表情が固まる。 「好きじゃなくて――」  言葉と共に、その唇へチュッと触れる。 「愛なんだよなぁ……壱斗、愛してる」  好きなんて感情はもう超えてしまっていた。  ただ好きだと感じていたものは子どもでも表現できる単純で明快なもので、それ以外の嫉妬、不安、不満…それら全てを受容し包み込めるほどの恋情が募れば、それはもう、好きなんかじゃ表せないくらいの――愛情。  打ちのめされたような表情のまま、暁義の言葉を何度も反芻した後、強張っていた壱斗の表情が徐々に緩み始めた。  言葉にならないのか、口を数回パクパクと動かし、その口角がゆるりと上がっていく。  満面の笑みを浮かべ暁義に抱きつき、喜びを全身で表す壱斗。その細くも柔らかくもない壱斗の身体を暁義はきつく抱きしめた。  腕の中にいる。ただそれだけのことが、幸せに感じられた。  またこれからも一緒にいられる。腕の中にいる存在が夢じゃないように、と柄にもなく暁義は祈ってしまった。
ロード中
ロード中

ともだちにシェアしよう!