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第3章 龍は鳴く

     1  白光はなんとか命を取り留めた。  奥さんは捕まった。  白光の家族が続々と面会に来た。  奥さんの家族が様子を見に来た。  俺は、  家族じゃないので病室の外にいた。  何ヶ月か経った。  暖かくなった頃。  白光が退院すると聞いたので病院に行った。  白光の家族がいたので、病室の外で待った。  居た堪れなくて病院の外で待つことにした。  白光が家族と一緒に病院から出てきた。  生きていてくれた。 「龍さん!」白光が隠れていた俺を目ざとく見つけた。「龍さん、俺」  白光の傍にいた女性が俺を見て、白光との間に立った。「私は白光君の里親の胡子栗(エビスリ)と言います。警察官です。私が何を言いたいのかわかりますね?」 「胡子栗さん」白光が言う。 「彼がこうなったのはあなたのせいです」胡子栗さんが言う。「二度と近づかないと約束して下さい」 「胡子栗さん、なんでそんなこと」白光が言う。「俺は、龍さんのことが」 「白光君。まともな頭で考えようよ。うまくいくわけないんだから」 「胡子栗さん。俺はあなたに感謝しています。感謝していることを忘れたことはありません。でも、もう俺は自分のことが自分で決められます。俺は、龍さんと一緒に暮らします」 「なんで反対してるかわかるよね?」 「俺が幸せになれないから? 俺はすでに幸せです」 「白光君。お願い。なんでそんな茨の道を行くの?」 「龍さん、行こう」白光が自分の足で歩いて俺の元に来てくれた。「胡子栗さん、いままでありがとうございました。あとは俺でやります」 「白光君! お願い。やめて。まともな頭で考えてよ」  白兄、と呟く声が二人分、背中に刺さった。  他二人は弟と妹だろうか。あまり似ていない。  白光に手を引っ張られて歩いた。  ずっとずっと歩いた。  公園まで来た。  桜が咲いている。  花見をしている人をやり過ごして、少しでも人の少ない場所へ。  桜が遠くに見える木の下。  白光が足を止めて振り返った。「龍さん、一度もお見舞い来てくれなかったすね」 「悪い。家族以外面会謝絶にされてた」  適当な嘘を吐いた。  どのツラ下げて会いに行く?  勇気がなかっただけだ。 「胡子栗さんでしょうね、そんな意地悪なことするの」白光が遠くを睨みつけた。 「警察官だって?」 「うん、少年課みたいな部署にいたはずです。青少年の非行は見逃せないタイプで」 「じゃあ俺は眼の仇だな」 「理洋子(りょうこ)とは離婚したんで」 「そうか」 「結婚はできないけど、一緒にいてくれますか?」 「本当に俺でいいのか」 「龍さん以外にいません」白光が真っ直ぐに俺を見る。「一緒にいたいんです」  俺がここで付き離したらたぶん、白光はどんな行動に出るかわからない。  一緒にいたいのは俺も同じだ。  でも、ほんとうにそれでいいのだろうか。 「一緒にはいる。でも恋人としてじゃない。白光が自分で自分のことを考えられるまでだ」 「龍さんも子ども扱いするんですね。俺もう三十ですよ」 「先生のところには通うと約束してくれ」 「通ってますよ。入院中は先生から来てくれたし」  桜の花びらが飛んでくる。  生温かい風。 「お前はいま、熱に浮かされた状態なんだ。冷静になったらたぶんわかる」  これが異常な状況だってことが。 「じゃあわかるまで一緒にいていいってことですね?」白光が俺の手を取る。「龍さんの手、大きくてあったかいから好きなんです」  すぐそこで人の気配がして、手を振り払ってしまった。 「こうゆうのは、外ではしないでくれ」 「わかりました。こっそりします」  本当に伝わったのだろうか。  ボロアパートを引き払い、白光が奥さんと住んでた家に引っ越した。  一緒に住むことになった。  白光は世間体とか近所の噂とか一切気にしない。  少しは気にしてほしい。  4月。  新年度になってから、里親の胡子栗さんが会いに来た。  白光のいないところで話をしたいと言われ、居酒屋に移動した。  白光が診察を受ける金曜の夜に。 「仲良くやってくれてますか」胡子栗さんが言う。  半個室な上に、周囲は歓迎会なのか大盛り上がりで声が漏れることはないだろう。 「ええ、まあ。それなりには」  胡子栗さんは、黒い髪を首の後ろでむすんで、眼鏡をかけている。白いブラウスに紺のカーディガン。丈の短いスカートに、黒のストッキング。仕事帰りにそのまま来たのだろうか。 「白光君が幸せなら里親の私は何も言いませんが、私は警察官なので言いたいことはいっぱいあるわけです」  今日は里親としてでなくて警察官として話をしたいということなのだろうか。  胡子栗さんはすでに結構なペースで飲んでいる。 「大丈夫ですか? 早くないですか」水をもらって渡した。 「飲まないと怒りと遣る瀬無さしか溜まって来なくって。なんで白光君はわざわざ苦労する道に行ってしまったのか。白光君を苦労させたら承知しないんですけど」 「それはすでにさせてます。俺の素性とか噂になってるぽくて」  一緒に住むに当たって引っ越ししたほうが良かったのではないだろうか。 「ほら、そうでしょう」胡子栗さんが水を一気飲みしてから言う。「なんでこうなっちゃったんでしょうね。私は止めたのに」 「俺も止めたんですけど」 「止めてくださいよ」 「いや、言って止まるなら止めてます」 「ですよね。人一倍頑固なとこあって」  胡子栗さんがアルコールに頼ってくれているお陰でただ否定されるだけの会にはならなそうだ。  俺も少し飲もうか。 「白光君、笑ってます? 俺、あんまりあの子の心からの笑顔って見たことなくって」  ん?  いま、俺って言った? 「ああ、これ、仕事上の女装なんで。俺、ホントは男です」 「ええ!!?」ビックリしてグラスを落としそうになった。「え?マジで言ってます?」  わからなかった。  てっきり女性だと思ってた。  ということは、この人は里親の“父親”のほうなんだろうか。 「そんなに驚かれると女装のし甲斐がありますね」胡子栗さんがニヤリと笑った。 「あの、笑っているかどうかっていう話ですけど」気を取り直して。「たぶん、俺には気を許してくれてると思います。あれは本気の笑顔だと思ってます」 「じゃあ本当に幸せなのかなぁ」 「だといいんですけど」 「先生からの助言もきちんと守ってくれてるみたいですし。知ってますよ。無闇に身体を重ねないようにしてくれているの」 「ああ、その、はい」  主治医からの言いつけは守っているつもりだったので、それを第三者に知られていることが意外だった。  そうか。あの先生はそもそも胡子栗さんの紹介だった。 「あなたこんなにいい人なのになんでヤクザなんてやってたんですか」胡子栗さんがテーブルに突っ伏しながら言う。そろそろ本当に酔いが回ってきている。 「なんででしょうね」ない指が疼いた。  何かのきっかけで歯車が狂ったのだろう。  いまの状態だってそうだ。何かのきっかけで狂った歯車が、更に何かのきっかけで狂っているに過ぎない。  いつまた別の方向に狂うともわからない。 「あーあ、なんでこんなんになっちゃったかなあ」という呟きの数十秒後に寝息が聞こえてきた。  まずい。ついに眠ってしまった。 「手間を掛けましたね」急に50代中盤くらいの男が胡子栗さんの後ろに立っていた。「私は彼のパートナです。迎えに来ました」  同性のカップル? 「変なことを言ってたら申し訳ない。会計はこちらでしますので」 「あ、いえ、俺も自分の分は払いますので」 「迷惑料です。奢らせてください。急に呼び立ててすみませんでした。それでは」男は、胡子栗を抱き抱えると流れるように会計を済ませて店を出て行ってしまった。  帰ろう。  家に帰ると、白光が待っていた。「おかえりなさい。どこ行ってたんですか」 「いや、君の里親さんに呼ばれて」 「あ、酒臭い。愚痴に付き合ってくれてたんですね。ありがとうございます」  一緒にお風呂に入った。  そういうことはせずに、ただ一緒に入っただけ。 「胡子栗さん、まだ認めてくれてないのかなあ」白光が湯船に浸かりながら呟く。 「白光が笑ってるならいいって、言ってくれたよ」 「ほんと? 俺、笑ってるよね?」  つらいことを我慢しながら笑うのは減ったように思う。  周囲を見ないようにしているのは感じるが。 「白光が元気でいてくれるのが一番だと釘を刺された」 「そこは心配ないんじゃないすかね」  歯磨きをして、一緒のベッドに入った。  そういう雰囲気になるけどそういうことはしない。  先生からの許可が出ない限りは。 「作り笑いは減った、て。先生も言ってくれてるんすよ」白光が言う。  手をつないで眼を瞑る。  こんな日は、  いつまで続くんだろうか。  これは俺が死に際に見ている俺の願望なんじゃないかっていつも思う。  だっていつも夢に見るのは、  俺が罰を受ける姿。  白光を眼の前で失ったあの場面。  繰り返し繰り返し。  ない指がずきずきと痛み、汗びっしょりで眼が覚めることもある。  俺もカウンセリングを受けたほうがいいのかもしれないが、これは治るのだろうか。  これは俺に架せられた罰であり、贖いであり。  白光がそばにいてくれるという最大の欲望のために、あらゆるすべての物を犠牲にした結果だ。 「龍さん? 大丈夫?」  白光を起こしてしまった。  心配ないと言う代わりに頭を撫でた。 「もう、子ども扱いしないで下さいよ」 「白光」 「なんすか」 「ありがとう」 「なんすか、急に」  俺なんかと一緒にいてくれて。  俺は。  このまま幸せになってもいいのだろうか。 エンディング分岐      2A  また冬が来た。  俺が死ぬ夢を見た。  白光が泣いている。  殺したのは誰だ。  俺が、  俺を刺した。  俺が殺した。 「龍さん?」白光が俺の顔をのぞき込んでいる。「うなされてたよ?」  何度夜を超えても悪夢は消えない。  ひどくなっている。  すごく体が冷える。  温かいものが欲しい。  熱が。 「龍さん?」  手を伸ばす。  白光は、俺が触ると熱を持つようになった。  触る。  撫でる。 「どうしたの?龍さん。くすぐったいよ」  服の下の肌に触れる。 「ひゃ、冷たい。冷たいよ、龍さん。なに?」 「こっち来い」  ベッドの上に俺。その上に白光。  寝たまま抱き締めた。 「俺、冷たくない?」 「一緒にいればあったかい」  白光は気づいていない。  俺が抱き締めると熱を持つことに。 「あったかいよ」 「それならいいけど」白光が脱力している。「でも寒いなら温度上げるけど?」 「お前のほうがいい」 「なにそれ」白光がぷ、と吹き出す。「面白い龍さん」  先生からまだ許可は降りない。永遠に降りない気もする。  我慢というより、こうやって熱を交換するのにも慣れてきた。 「龍さん、いま幸せ?」 「幸せっていうのがわからないんだ」 「俺は龍さんと一緒なら幸せだよ?」 「白光は俺のどこがいいんだ」 「え、そうゆうの聞きます?」白光が身をよじった。恥ずかしさを誤魔化そうとしている。 「俺は言ったぞ」 「え、え」白光の発する熱が加速する。  本人は本当に気づいていないのだろうか。 「龍さんの好きなとこ。あの、えっと、俺を人間扱いしてくれたところかな」  思ったより重いのがきてしまった。 「龍さんだけなんです。俺を人間だと思ってくれたの」 「そうか」強く抱き締めた。「悪かった。嫌なこと思い出させて」 「大丈夫。もうそうゆうことしなくてよくなったし、龍さんもいるし」 「俺がそばにいれば、白光は幸せになれるんだな?」 「うん、はい。そうです」  白光の頬が紅潮している。  この距離はなかなかに毒だ。 「一緒にはいる。いるよ。でもずっとかどうか」 「いなくなる予定があるの?」白光が悲しそうな顔をする。 「ないが」 「ならよかった」白光が強く身体を寄せてくる。「龍さん大好き」  抱き締めたまま少し眼を瞑った。  悪夢が襲わない日が来るだろうか。  少し距離をとったほうが。  いや、白光一人を置き去りにはできない。  行くなら一緒か。  どこに?      2B 「龍さん、思い出したことがあるんです」白光がぽつりと言う。「俺が小さかったころの話。止めようとする兄貴たちが殴られて、部屋から出されて。一人になった俺を、龍さんの背中とおんなじ刺青が入った人が暴行するんです。何度も何度も。俺は遠くで見てたから夢かと思ったんですけど、たぶん本当で。その人って」  俺と同じ背中の龍。  思い当たった人間が一人いた。 「俺の親父だったのかなあって」  胃液がせり上がってきた。  白光を引き剥がしてトイレに駆け込む。  今日食べたものがぜんぶ逆流した。  勿体ない。じゃない。そんなことはどうでもいい。  俺と同じ龍の刺青の奴が幼い頃の白光の家に通っていた?  白光を暴行するために? 「龍さん?」白光がトイレのドアをノックする声がした。「大丈夫?」 「ああ、まあな」俺は嘘を言った。  大丈夫のわけがない。  だってその男は、  俺の親父かもしれなくて。  だってそうしたら、  俺と白光は。 「龍さん。そのまま聞いて」白光がドアの向こうで言う。「俺は確かに龍さんに父親を見てる。顔も似てるような気がするし、背中のそれだっておんなじだし。でも、龍さんはあの男とは違う。違う理由で俺と一緒にいてくれてるって思ってる。それは合ってるよね?」  見えてないのに頷いた。  白光は気づいている。  俺と白光の本当の関係に。 「ごめん、こんな話して。しようかどうかずっと迷ってた。しなくていい話だから。でも龍さんには知っててほしかった。そうだと知っても一緒にいてほしいなんてわがままだよね」  見えてないのに首を振った。 「先生の言う通りだよ。俺が龍さんに見てるのは家族愛だ」  ドアを開けて白光を抱き締めた。「俺は家族愛じゃない」 「知ってる」 「愛してるんだ」 「知ってる。龍さんずっとそう言ってくれてたから」白光が腕の中で言う。「応えられないって言うんじゃないんだよ。俺には家族愛以外の愛がわからない。それでも一緒にいてくれる?」  自分の想いが届かなくとわかっていても愛する人と一緒にいられるのか。  白光が突きつけているのはそういうことだ。  答えは決まってる。 「一緒にいる。俺が死ぬまで一緒にいるよ」 「死ぬまでって縁起悪いな」白光が苦笑いする。俺の顔を見るための距離を作った。「龍さん、これからもよろしく」 「幸せも好きも愛も全部俺が教えるから」 「龍さんならそう言ってくれるって思ってた」白光が微笑む。  俺ができること。  せめてこの笑顔を守りぬこう。  白光を悲しませないように。  抱えられないくらいの愛をあげよう。  一緒に、て。  きっと。  そういう意味だと思うから。

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