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親友
「ゆきー。こっち、こっち」
待ち合わせの改札口から弾む声で手を振る笑顔を見つけ、千乃は白い息を吐きながら側に駆け寄った。
「ごめん、待った?」
「いや、俺もさっき来たとこ。それより俺さぁ、チケット忘れ──」
既に何かをしでかしたことを自覚して焦っているくせに、無邪気さを崩さない藤永眞秀 の目の前に、チケット二枚をチラつかせながら千乃は不敵な笑みを見せた。
「あー、もしかして俺の分っ! 何でゆきが持ってんだよ」
チケットを持つ手を掴まれ、一瞬、ドキッとしたものの、あまりにも恨めしそうな目で見てくるから、「やっぱ予想通り」だったなと、うんうんと頷きながらひとりで納得した。
「何だよ、予想通りって」
頬を膨らませて拗ねているけれど、眞秀のコレは今に始まったことじゃない。
彼の忘れっぽさは高校から変わらない。
卒業した今でも健在なものだから、千乃は今日のように予防線を張ることを怠らないのだ。
「お前の行動は予想通りってことだよ。チケット忘れそうだから、俺に持っててくれって言ったの眞秀だかんな」
「え! まじ? 俺そんなこと言ったっけ」
──自分の言ったことまでも忘れてるのか。ったく、相変わらずだな。
こちらが呆れ顔を見せても、さすがはゆきだなぁと、嬉しそうにチケットを眺めている。
彼の無邪気で天然なところが好きだと、高校生の時は思っていた。
高一の時に眞秀と同じクラスになり、これまで周りにいなかったタイプの存在を初めて知った。
クラスに馴染めなかった千乃にとって、明るくて人の輪の中心にいる眞秀は、近付けば感電するのではと思えるほど危険な相手だった。
屈託のない笑顔、サッカーが上手いこと。誰とでもすぐ打ち解け、友達が多いこと。それら全ては千乃にないもので、憧憬から恋心になる未来を簡単に想像できてしまったからだ。
案の定、席も隣になった状況も相まって、眞秀に対して親友から一足飛びに恋愛の感情を持ってしまった。
嬉しいやから悲しいやらと複雑な心境なったのは、生まれて初めて出来た親友と初恋をいっぺんに知ることになったからだ。
卒業を前に歩む道が違うことが背中を押し、親友のポジションを捨てる覚悟で思いを告げた。だが眞秀から返ってきた答えは意表を付くものだった。
親友関係を象徴し、温かく、思いやりのある眞秀らしい返事をくれた。
天然記念物の男は、自身の回答に深い意味を込めた自覚もなく、純粋に千乃のことを未来永劫、親友枠に入れてくれるのだと含ませた名回答だった。
失恋したことにさえ笑い飛ばせた、清々しい結末にしてくれたと、今でもそう思っている。
「本当、敵わないよな……」
「何、何か言ったか?」
小さく本音を漏らす千乃は、何でもないよと、ひとこと言い放つと、親友の背中を軽く叩いてみた。
「痛って。何だよ、俺の忘れっぽいのは慣れてるだろ、ゆきは」
「はいはい、慣れてますよ。お前の天然っぷりも、ドジっ子なとこもな。高校からだから、俺の中の定量オーバーしてる」
「ドジっ子っ言うなって、いつも言ってるだろ」
知り合って六年も経つ仲は、久しぶりの再会でも隙間をあっと言う間に笑いで埋め尽くすことができる。
あの出来事さえ眞秀に知られなければ、この関係は崩れることはない。もし知られたら優しい眞秀はきっと自身を責めて、千乃のもとを離れてしまうかもしれない。
それに──
──あの人が眞秀に漏らすことはないだろうしな……。
「どうした、ゆき。早く見にいこーぜ。で、その後はひわさ屋な」
「分かってるよ、また釜揚げしらす丼だろ」
物憂い心をかき消してくれる笑顔が向けられ、千乃も親友に笑顔を返した。
今でも友情を継続してくれる眞秀に感謝し、恋心を消して真の親友として向き合えることができた自分に誇りを掲げるよう。
「あったり前だろ。ひわさ屋と言えばしらすだ。ゆきだってまたかき揚げ食うんだろ」
「うん、食うな。しらすのかき揚げは絶品だもん」
「だよなー。今食っとかないと、もうすぐ禁漁になるからさ。この時期逃したら春しらすまで待たないと。あ、でも春のが美味いか」
うーん、どっちだとたわいもないことで頭を悩ませている眞秀に、絵画展がメインなのか、食事しにきたのかを突っ込みを入れたくなった。
眞秀の浮かれようは目に見えて明らかだったけれど、それは千乃も同じだ。
三ヶ月ぶりの再会はやっぱり、懐かしくて嬉しい。
「しらすもいいけど、絵もちゃんと見ろよ。せっかく眞秀の一押し、日本画の巨匠の作品を堪能できるんだし」
「分かってるって。でもゆき、絵画展行くの無理してないか? せっかくお互いの休み合わせてんのに、俺の希望ばっかでさ」
急にしおらしくなる眞秀の顔を覗き込むと、悄気 る眞秀の背中を思いっきり叩いた。
「痛って。暴力反対! ゆき、ちょっと見ない間に暴力的になったぞ」
「眞秀が変な気を使うからだよ。それに知らなかった世界を俺に色々教えてくれたのはお前なんだ。絵もそのひとつ。展示会なんて行ったことなかったし、有名な画家の名前すら知らなかったんだからさ」
「まぁ……」
「それに、眞秀がいくら勧めてくれても興味なかったら、チケット買ってまで行かないよ。俺はしがない苦学生なんだからな」
栗色の前髪をかき上げながら、親友に微笑んだ。
色素の薄い白い頬が冷気の仕業で毛細血管を浮かばせ、薄紅色に染上げていく。それは気を許せる人間にだけ向ける、千乃が生み出す中での最上級の笑顔だった。
「そ……っか。んじゃ、遠慮なくこれからも誘うからな」
「ああ。ってか、お前のが無理なんじゃないのか。医学生なんだから半端なく忙しいだろ。今日だって合わすの苦労しただろ」
「まあな。けど息抜きは必要だろ。お前も勉強の合間に例のバイトやってさ。けど、時給いいからつっても俺はまだ心配だけどなー」
不安要素が拭いきれない顔を、眞秀が向けてくる。千乃は自分のことをこうして気にかけてくれる、それだけでもう十分だなと思った。
「ま、お前がいいなら、いいんだけどさ。ほら、昔の小説に首絞められることが快感で殺してしまった話あったろ」
「ああ、D坂の殺人事件だろ。あんなの、ないないって」
「でも、ゆきって首に敏感だろ。だから──」
「大丈夫だって、眞秀は心配し過ぎ。俺はそこまでの施術を任されてないし。それにマシになったんだ、触られることにもな」
「本当か?」
「ああ。逆に今のバイトの経験が良かったのかもな。お客さんの様子見てると平気になったのかも。仕事の内容だって俺はセラピー専門だから」
「そ……っか。だったら──って、それでも心配だってーの」
美術館の入り口を目指す眞秀が体を反転させ、こっちをジッと見て言ってくるから、嬉しくなって思わず側まで駆け寄っていた。
「サンキュな。でもひとり暮らしだから稼がないとさ。縷紅草って時給いいんだよ」
「まあそうだろうけどさ。……分かった、もう言わない。さ、巨匠の絵を見てしらすだ!」
「だーかーら、メシは絵画展のついでだから」
「そーとも言う!」
跳ねるように言う眞秀が、数メートル先に見えた目的地へと駆け出し、千乃も慌てて追いかけた。
相変わらず可愛いやつ……。きっと大学でもその持ち味で、絶えず周りに人は集まるんだろうなと、見えない相手を羨ましく思った。でもそれはあくまでも親友と言う立ち位置の嫉妬で、眞秀に対する恋愛感情はすっかり過去のものとなっている。
人付き合いが得意ではない千乃にとって、数少ない友達と言っていいほどの大切な存在。けれど、それをも許さないと、身体に刻み込まれた刻印を、今でも忘れてはいない。
失恋の傷は時間の経過と共に消滅し、自然に芽吹いたのは親友と言う唯一無二のポジション。誰に咎められたとしても、眞秀が望んでくれる限り、この場所は譲れない。
「おーい、ゆき早く来いよ」
丸い目を煌めかせ、眞秀が受付前で叫んでいる。無邪気な姿を見ても、今の千乃に心を騒つかせる邪な感情はない。
千乃がゲイだと知っても、眞秀から与えられる友情は揺るがないものだった。それがどれほど嬉しかったか。
「声デカいってば。恥ずいよ、眞秀」
文句をこぼしつつも口元を綻ばせ、入館を待ちきれず手招きする親友のもとへと俊敏に足を運んだ。
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