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刑事の仕事
「先輩は幡仲って教授が犯人だと思います?」
幡仲を訪ねてた帰り道、運転する伏見からそう問われ、藤永は「さあな」と返した。
「俺にはどうも違うように思えて。あんな真面目で紳士な人が性行為したあと、人を殺すとは思えないっす。しかも、相手はウリ専ボーイですよ。それだけでも似つかわしくないのに。第一、ホテルを出たあと、教授はその足で京都に行ってます。翌日の学会へ参加するために」
伏見の力説を、藤永は黙って聞いていた。
彼の観察眼から生み出される話しを、聞いてみたかったからかもしれない。
「今回の殺害だって教授には不可能ですよ。事件のあった日は実家に行ってたんですよ。姪っ子さんの結婚式で。無理に決まってるじゃないですか」
信号が赤になると、伏見の熱弁はさらに温度が上昇し、藤永は大人しくそれを傾聴していた。
「けど……人は見かけによらないんですね。立派な職業でもやっぱり男で。それに……その、いわゆるゲイって人なんですから」
「それがどうした。今どき偏見を持った考えだと時代についていけないぞ。──おい、青だ」
古臭い考えを横顔に言い放つと、伏見が前を向いてアクセルを踏みながら、「別に、ジェンダー差別してるわけじゃ……」と、頬を膨らませている。
口を真一文字に結び、無言で運転をする伏見を一瞥したあと、藤永は視線を窓の外に向けた。
これから向かう店には千乃がいる。
大学で再会したときは、本当に驚いた。
しかも、被疑者と同僚だったとは……。
久しぶりに見た彼は、昔と変わらず儚げで美しい青年だった。
仕事とはいえ、千乃に会うかと思うと自分は冷静でいられるかわからない。
「俺を見て怖がるのも、変わってなかったな……」
「え、何か言いました?」
思わずもらした独り言を、耳のいい後輩が拾ってくれる。
その気遣いは今は要らないと思いながら、「いや、何も」と、視線を窓に置いたまま藤永は答えた。
怯える千乃の顔を、窓ガラスに浮かべながら。
手近なコインパーキングに車を駐車し、しばらく歩くと、奥ゆかしげに灯る縷紅草の看板を遠くに捉えた。
自然と早歩きになっていた速度を落としたのは、藤永の後ろを忙しない足取りで追いかけてくる伏見に気付いたからだ。
今の藤永は事件のことより、再び対面する千乃のことで頭がいっぱいだった。
縷紅草の前まで来ると、藤永は後輩に気付かれないよう、こっそりと深呼吸した。
少しだけ緊張している手で木目調のドアを押し開けると、真鍮のベルの音色が優しく迎い入れてくれる。
それが客でも、刑事であっても。
「いらっしゃ──と、これは藤永さんたち……でしたか」
カウンターの奥から顔を出した八束の顔は、あからさまな敵意が見てとれた。
それでも会釈をしてくれたから、藤永も応えるよう「こんばんは」と声をかけた。
すぐ横からは、伏見も笑顔で手をはためかせている。
「この間は來田君がお世話になりました」
営業用の微笑みを向けながら、言葉に刺のある物言いの八束に対し、藤永は悠々たる態度でそれ以上の微笑を返してみる。
「いえ。彼の貴重な時間を潰してしまって申し訳ない」
「……今日は何の用でしょうか? ここに来る必要性はもうないと思ってましたけどね」
涼しい顔で牽制してくる八束を気にも留めず、藤永は店の中を見渡しながら「今日、彼は?」と尋ねてみた。
「來田君は今日、横浜駅の店で勤務中です」
「横浜? おかしいですね。彼は今日、縷紅草 の勤務じゃなかったかな」
前回の任意同行で來田のことはもちろん、両店舗のことも調べ上げていた藤永は、訝しげに八束を睨んだ。
疑われたことで來田を匿おうと、八束が狡猾にシフトを操作したのかと頭によぎる。
「向こうのスタッフが一人病欠になったんで、來田君に行ってもらったんです。こっちの予約は少なかったんでね」
「なるほど……」
「まだ來田君を疑ってるんですか」
あからさまに敵意をぶつけてくる八束を無視し、視線で伏見へ合図を送ると、スマホを片手に伏見が店の外へと出て行った。
「一応確かめさせてもらいますよ。嶺澤さんが嘘を言うとは思ってませんけどね」
「どうぞご自由に。それがあなた方の仕事でしょうから」
直球の嫌味が八束から放たれた。
藤永は疎ましく思われていることもかまわず、ここへ来たもう一つの目的を視線だけで探していた。
「……横浜駅にはこのあと寄らせてもらいますよ。それよりもう一人いるでしょう、スタッフが。彼は?」
「千乃ですか。いますけどって、まさか千乃まで疑ってるんじゃ──」
ずっとカウンターの中で対応していた八束の体が反応し、耐えていた怒りを曝け出すよう藤永の前に立ち塞がってきた。
「嶺澤さん、言ったでしょう、仕事だって。それに形式状のことです。彼にだけ話を聞いてないのも違和感ありますから」
「あなた方は刑事ってだけで、人の心に土足でズカズカ入ってくるんですね。それで相手が傷つこうが何とも思わないんですか」
八束が憤怒しても、藤永は無視を決め込む。
これが刑事というものだと、知らしめるように。
そのとき、奥の部屋から足音が聞こえてきた。
「八束さーん、明日の撮影会に使うカメラどこに置きま──」
張り詰めていた空気を払拭するよう、千乃が姿を現す。
「真……希人さん」
「……千乃」
千乃と目が合う。
けれど、その視線は目を釣り上げている八束へと、すぐに移った。
藤永へと背を向ける位置に立ち、八束の怒りを沈めるよう、彼の腕を掴んでいる。
華奢な背中からは、自分への怯えがひしひしと伝わっているのがわかる。
警察署で千乃を見たとき、まさか縷紅草で働いているとは思わず、どう声をかけるべきか迷った。
刑事の自分が個人的な理由で、態度を変えることはできない。ましてや被疑者と同じ職場だとわかると、ますます親しく声などかけられなかった。
あのとき、情けないことに自分のとった行動は、千乃から目を逸らすことで、平静を保とうとした。
千乃もそれを察したのか、知り合いだと言わず、そのまま帰ってしまった。
今日、ここへ来たのは來田の様子を見るためではあった。だが、それ以上に千乃の顔を見たかった。
今の千乃が、自分のことをどう思っているのかを知りたかった。
職権濫用と言われればそれまでだが、藤永は、どうしても千乃に会いたかった。
「……當川……千乃さん。君にもお話しを伺いた──」
藤永の言葉を遮るよう真鍮のベルが荒々しく鳴り、伏見が慌てた様子で店に駆け込んできた。
緊迫した空気が、ぷつっと切れる。
「先輩! 凶器が見つかったそうです」
「凶器? 麻縄か」
「はい。でもそれが……」
「何だ、いいから言え」
八束や千乃を前に、捜査情報を報告することに躊躇する伏見に、藤永は回答を促した。
「三人目の被害者が見つかった、パールホワイトホテルの従業員が持っていました。詳しくはまだわかってませんが……」
「ホテルの?」
「はい、ロッカーに入っているのを他のスタッフが見つけて、署に連絡してきたそうです」
「そうか。で、その従業員はしょっぴいてんだろうな」
「これからホテルを出て署に向かうそうです」
「わかった、俺たちも戻るぞ」
「はいっ」
藤永は「また来ます」と八束に言い残すと、ドアを開け、店をようとした。
後ろ髪を引かれるよう、一瞬その手を止める。
はっきりと感じる千乃からの視線を、藤永は背中で味わっていた。
今、千乃はどんな顔をしているのか。
『藤永真希人』を憎んでいるのと同じように、自分の仲間を疑う刑事としての藤永も睨みつけているのではないだろうか。
悲劇にも似た気持ちを奮い立たせると、藤永は唇を噛み締めながら店を出た。
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