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もうひとりの容疑者

「千乃、今日幡仲教授の講義って中止だろ。また刑事が来てるからだろーな」  中庭のベンチで本を読んでいた千乃の側へ、メロンパンを頬張りながら悠介が近付いて来た。 「らしいね。みんなあれこれ言ってるけど。講義中止も急に決まったみたいだし。でも、先生に何があったんだろうな……」 「警察が頻繁に大学に来るってことは、先生が事件に絡んでるんじゃないのか」 「事件! そんな、幡仲先生に限ってないよ。きっと……」 「だよな……」 「うん、きっと何かの勘違いだ」  今日も幡仲の元へ来たのは藤永と伏見だった。  來田が嫌疑をかけられたのと同じ理由で幡仲のもとに来たのだと、嫌でも千乃は分かってしまう。  藤永と互いの気持ちを自覚した日に、二人は特別な関係になった。だからと言って、捜査のことをあれこれ聞けるわけない。  尊敬する教授のことだから知りたいとは思うけれど、立場を利用して藤永に聞くことはやっちゃいけない。それに例え千乃が聞いたとしても、藤永は來田と親しい人間には絶対に話さない。   「──にしても、何も分からないまま講義だけが中止になるのもなあ。予定が立てれない」 「だね。今日は五限があるから帰るわけにもいかないしさ」 「あーそれいっちゃんダルいよな。スパッと午後からなくなれば遊びにでも行くか、バイトにいけるものをなあー」 「ほんと、ほんと。でも、まあこうやって眞秀に借りてた本を読む時間ができたけどさ。これ、あいつに早く返えせそうだ」  本を掲げて苦笑すると、悠介が嬉しそうな、でも寂しそうな顔を向けて来た。 「相変わらず仲良いな、親友君と。俺、ちょっと妬いちゃうわ」  あっという間にメロンパンを平らげた悠介が、拗ねたような口調で本を覗き込んでくる。 「悠介は俺の親友じゃないのか」  本を閉じると、千乃は大袈裟に悲しむ素振りをして見せた。 「え、あれ? 俺も親友か。いや、そっか、そっか。俺も親友……か」  漢字二文字の言葉に特別な意味を感じたのか、本気で照れ臭そうにする悠介を見て、千乃は肩を揺すって笑った。 「悠介ってかわいいやつ。最高だな」 「お前な、俺をからかって楽しむなっ」 「アッハハ、ごめん、ごめん。悠介は四限あるんだろ」 「ああ、お陰様でなっ」  まだ少しふてくされる親友の頬に、千乃はさっき買っておいた缶コーヒーをそっと押し付けてみた。 「熱っ──くない……。おー、温ったかーい。何、くれんの?」 「うん、やる。それ飲んで四限がんばれ」 「おーさんきゅう。やっぱ持つべきものは親友だな」 「ブフッ。現金なやつ」 「当たり前だ。俺は簡単にモノで釣られる人間なのだ」  選挙カーから手を振る政治家みたいな素振りで去って行く親友を尻目に、千乃は複雑な感情を胸中に敷き詰めていた。  來田の件にイヴの死。そこに尊敬する教授もこの事件に関わっているのかもしれない。そして事件を捜査するのが、大好きで、大切な人。  様々な感情が直面して、カレイドスコープのように混ざって重なり、模様を変えていく。  不安が心を重くさせ、でもその反面、藤永への心配も絶えない。  未だ解決してない事件が、ようやく手にしかけた幸せを消し去ろうとしている気がする。  見えない存在の気配が息を潜めているように思え、背中が粟立つのを気付かないよう千乃は本へと視線を落とした。

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