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「……話は、それだけで?」
俺は立ち上がった。衣服についた砂を落としつつ、長兄を見つめた。
わずかに狼狽えた様子を見せる長兄。もしかしたら、俺に素っ気なくあしらわれることが予想外だったのかもしれない。家にいた頃の俺は、ずっと言いなりだったから。
「お前……」
「俺をどうしようが、あの人に迷惑はかけないから。……あの人に迷惑をかけるくらいなら、俺は死んだほうがいい」
長兄の目をしっかりと見つめて、言葉を口にした。長兄の口が一瞬だけぽかんと開く。
が、すぐに表情を引き締めた。けど、先ほどみたいに強気な様子はない。
「ユーグ、お前は馬鹿なんだな」
「……は?」
吐き捨てられた言葉に今度は俺がぽかんとする番だった。
……この人にだけは馬鹿だなんて言われたくない。
「命を投げ捨ててでも、その男に迷惑をかけたくないってか」
「……だったら、なんだって言うんだよ」
「いや、頭の中がお花畑だなって思っただけだよ」
明らかに馬鹿にしている態度だった。それが気に障ったけど、特になにかを返すつもりもない。
火に油を注ぐ結果になることは、明らかだったから。
「まぁ、どっちでもいいか」
長兄がつぶやいた。そして、自身の懐に手を入れる。出てきたのは、いかにも切れ味がよさそうなナイフ。
「助けてやろうかと思ったが、やめだな」
「……なに?」
「お前を拉致してこいって、依頼があってな」
ナイフの切っ先を俺に向けて、長兄が笑った。なんだろうか。回りくどいというべきなのか。
(はじめから狙いはこっちだったんだろうな)
もしくは、面倒なことを省きたいから、俺を使ってルーにお金を要求しようとしたのか。どちらにしても、犯罪であることに間違いはない。
「誰からの依頼?」
「そんなの言えるわけがないだろ」
俺の首筋に長兄がナイフの切っ先を当てた。ツーッとナイフが俺の皮膚を切る。だが、これくらい大したことじゃない。
今までいたぶられてきた傷の痛みの、十分の一にも満たない。
「というわけだ。殺されたくなかったら、ついてこい」
長兄の言葉を聞いて、俺は瞬時に思考を動かす。
そもそも、長兄にはいざとなったときに殺すような度胸はないはずだ。……多少逆らっても問題ない。
(でも、協力者がいるんじゃないか?)
そうだ。長兄に俺を拉致するようにと依頼した人物がいる。つまり、敵は長兄だけじゃない。
相手が数人がかりだと、逃げ切るのは難しい……かもしれない。が、ここで易々と殺されたり、拉致されるのはもっと嫌だ。
(別に死んでもいい。ただ、ルーともう一度会って話がしたいんだ)
となると、この場で殺されるわけにはいかない。思考がぐるぐると回って、なんかめちゃくちゃになっていく。
頭の中で矛盾する思いが交錯する中、顔を上げて長兄を見つめた。嫌味なほどに美しい男の顔を見て、口を開く。
「――俺、あんたに殺されるのは嫌だな」
俺の言葉を聞いた長兄が、目を真ん丸にした。やっぱり俺は、この男に下に見られている。
「自分の死に場所くらい、自分で選ぶ。……死ぬのなら、あの人の側が良い」
小さくつぶやき、俺は長兄の腹に肘を打ち込んだ。
一瞬長兄の身体がふらついたのを見て、足を前に動かしていく。
「――待てっ!」
後ろから長兄が追いかけてくるのがよくわかった。体格も足の速さも、あっちのほうが上だ。
(逃げ切るには、人ごみに紛れるしかない――!)
正直、無関係な人を巻き込むのは嫌だ。けど、この長兄は変なところで臆病だから。
俺の勘が正しかったら、この人は無関係な人を巻き込む勇気なんてない。
全力で足を前に、前に動かす。路地を抜けて、人通りの多いほうへと向かった。
(あと、少しっ――!)
長兄の手が伸びてくるのがわかった。……咄嗟に目を瞑った。
が、それよりも先に誰かが俺の手首をつかんで、勢いよく引き寄せる。
気が付けば、俺は誰かの腕の中にすっぽりと収まっていた。
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