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第1話
この日のために、たくさんの準備をしてきた。
好みそうなお店を予約して、何度もデパートに通ってプレゼント選びをして、服もおかしくないように新調して、少しでも楽しんで貰えるように1日の計画を練った。
それから、絶対に『発情期』が被らないように、いつもより『抑制剤』の量を増やして、飲み続けている。その副作用のせいで体調は万全とは言いがたいけど、用意の方は万全だ。
(よし)
気合いを入れて改札を出ると、真正面のベンチに彼が座っているのが見えた。慌てて駆け寄る。
「陽色(ひいろ)くん! あ、ご、ごめんなさい。お待たせして」
陽色くんは読んでいた本を閉じ、立ち上がった。怒ってはないようだ。ちらりと構内の時計を見る。約束の時間にはまだ30分も早い。もしかしたら、僕が時間を勘違いしてたのかもしれない。
「春(はる)さん。僕もさっき着いたばかりだから気にしないで。時間間違えて早く家出ちゃっただけだから」
「あ、そ、そうなんだ。よ、よかった。本当、ご、めん」
落ち着け、落ち着け。言葉、吃(ども)るな。こっそり胸を抑え、深呼吸を繰り返す。変に思われる。恐る恐る、彼の方を見上げれば、首を傾げ微笑んでいた。
「久しぶりだね。少し痩せた?」
「あ、うん。仕事、忙しくて。なかなか家にも帰れてなくて」
「そう。大丈夫? 今日はお休みとってくれてありがとう」
「う、ううん!」
むしろこの日のために頑張ってきたんだ。陽色くんのせっかくの誕生日、他にも祝いたいって人がいるだろうに、せっかく僕にくれたんだから、楽しく過ごしてもらいたい。僕でよかったな、とまではいかなくても、少なくとも不快な思いはしてほしくない。
(今日が終わったら、またしばらく会えそうにないし)
金銭的にも体調的にもガタガタだ。しばらく、家に籠もることになるだろう。回復したら、またバイトして、稼いで、それから、また抑制剤を飲んで、時間調整して……考え始めると憂鬱になった。今はやめておこう。
「春さん、映画まで余裕があるから、店内見て回ろうか」
「あ、うん」
「そうだ、春さんに似合いそうだなって服屋さん見つけたら、そこに行こう」
「え、いや、僕のことは、どうでも」
「行こう」
手を握り、僕を引っ張るようにして、陽色くんは歩き始めた。それだけの行動で、一気に頬が熱くなる。
金色の髪がきれいだな。睫長い。横顔も整ってる。かっこいい。周囲の女の子達の目線が痛い。
「相手の女、腹立つ」
「地味―」
囁くように言われた言葉が耳に届き、思わず顔を伏せる。連れてる僕の容姿がこれだもんな。なおさらだよな。女の子の格好なんかしてないのに、女に見えるらしい顔と細い身体。それなのに、女ではない、中途半端な存在。気持ち悪いよな。
僕は、男で、そしてΩ(オメガ)だ。
***
『初めてできた彼氏』、って、28歳で一応は男の自分が言うと、結構なパワーワードだと思う。しかも相手は歳が6つも下の僕でも知ってる有名な大学の生徒だ。恋愛経験皆無の僕に、この容姿端麗成績優秀な年下の恋人は、ハードルが高い。身分不相応だ。わかっている。
(けど好きなんだ)
初めて告白して、まさか受け入れてもらえるなんて思っていなかったけど、奇跡が起きて、初めて、お付き合いをすることになった。
その日は1日中、浮き足だっていた。働いていても、幸せすぎて、ついつい頬が緩んだ。けど、その夜、発情期が来た。僕は泣きながら自慰にふけった。そして、我に返った。見下ろすと、ベタベタに汚れた貧相な身体があった。
(こんな僕を彼が好きになってくれるわけがない)
部屋の隅でスマートフォンが瞬いている。床を這いながら、それを拾い上げる。陽色くんからの着信履歴が何件か続いていた。
(付き合おうって言ってくれたのに)
初日から音信不通って、最悪だ。
脱水しているからか震える手先で、謝罪と言い訳のメールを打った。『発情期』だなんて言えるわけがないから、嘘ばっかりだ。
(『急に仕事が忙しくなった』、とか、オメガが何言ってるんだろう)
自分で書いておいて、思わず笑ってしまった。
オメガができる仕事なんて高がしれてる。『発情期』なんていう面倒なものがある限り、フルタイムでの仕事は不可能だ。バイトで食いつなぐしかない。そのバイトも、予告なく休むような人間は、すぐにクビを切られる。
(けど、今日は、大丈夫)
財布の中にはもらったばっかりの給料が入っている。
(今日は1日、スマートで大人でしっかりした社会人を演じきる。乗り切ってみせる!)
決意を固め、顔を上げた。
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