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十六、卵が先か鶏が先か?

 人食い蝶の噂。  それは、元々は"青白く光る蝶"であること。  死体を喰らった蝶は、"赤く光る禍々しい蝶"へと変わるとか。  散った後はひとの形は留めておらず、纏っていた衣と髪の毛、肉のひとつも付いていない白骨だけが残され、地面に転がっていたらしい。  その光景を目にした者たちは、口々に囁く。 「それは人を喰らって赤い蝶となり、夜の空へ群れを成して去って行った」と。 ******  茶屋にて。  げっそりした表情の蒼藍(ツァンラン)とは打って変わって、あんなに不機嫌だった紅藍(ホンラン)は上機嫌になっていた。 「櫻花(インホア)ちゃんたちはどうだった?」  自分たちが得た情報を先に話し、目の前に置かれたお焼きとお茶を両手に紅藍(ホンラン)が訊ねてくる。 「それが······人によって蝶が死体を喰らって飛び去ったと言う方と、魂が蝶になって飛び去ったという、ふたつの見解があるようで。実際に見てみない事にはわからないというのが、私の結論です」 「卵が先か、鶏が先か、ってやつだね」  死体から蝶が生まれたのか、それとも蝶が死体を作ったのか。つまり、"どちらが先なのかがわからない"ということ。 「しかし、どういう条件でそれが起こるのかまではわかりません。この地特有の言い伝えのようなものもあるようですが、」  昔話のような抽象的な話で、そこに史実があるかは定かではない。それがなぜ今になって何度も起こるのか、そこが問題だろう。解決するには、その根源を知る必要がありそうだ。 「結局のところ、そういう怪異が起こっているっていう噂はあるけど、そのどれも噂の域を出ていないのよね」  そもそも皆が口々に「聞いた話では」というのだ。実際に見た者には会えていない。そしてもうひとつ、共通していることがあった。 「その聞いた話の"場所"だけは、同じだったってことくらいかな?」  肖月(シャオユエ)は茶を啜りながら肩を竦める。  それ以上の情報は逆に言えばないのだ。 「強運と幸運の持ち主がふたりもいれば、遭遇する確率も高いんじゃない?」  それくらいふたりの能力は異能で、持って生まれた独特な才能なのだ。 「では、今夜はその噂の墓地で一夜を過ごすことになりそうですね」 「やだこわーい」  棒読みで、紅藍(ホンラン)蒼藍(ツァンラン)の袖を掴んでわざとらしく言う。あはは····と櫻花(インホア)は頬を掻いてそのやり取りを受け流す。 「俺も墓地で一夜は怖いな、」 「ふふ。君でも怖いものがあるんですね、」  冗談だと解っていたが、頬杖を付いてそんなことをいう肖月(シャオユエ)に微笑みかける。ふたりで情報を集めている時も、こんな風に笑わせてくれた。お陰で、あの恥ずかしい気持ちもいつの間にか消え去ってしまったのだ。 「なんだか、櫻花(インホア)ちゃんたち、新婚さんみたいでいいなぁ」  紅藍(ホンラン)がぽつりと呟いたその言葉に、櫻花(インホア)は「ち、違います! 私たちはただの、」とそこまで言って首を傾げる。 「あれ? 私たちって、なんなんでしょう?」  自分で言っておいて、ものすごく不安そうな顔になった櫻花(インホア)を見て、くつくつと肖月(シャオユエ)は机に伏して笑いを堪え、肩を震わせていた。 (ただの主と従者って言えばいいのに、本当に可愛らしいひとだな、)  そして夜の帳が降りた頃、四人は噂の出どころである墓地に足を運んでいた。 ******  燈のひとつもないその禍々しい空気を纏う場所に、ぽつりと火の玉のようなものが浮かんだ。  紅藍(ホンラン)が手を翳して灯したその火は、四人の顔がはっきりと見えるくらいの明るさに留め、その時を待っていた。  しん、という静寂もそうだが、春でも夜はひんやりと肌寒い。それはどこかぞくりとする冷ややかさで、墓地特有の重苦しさも感じられた。  時間だけがどんどん過ぎていく中、その異変は突如起こった。 「······これは、」  盛り土だけの墓地に、青白い光を湛えた蝶の形をしたモノが一頭、何の前触れもなくそこに現れたのだ。  紅藍(ホンラン)がその手に灯していた火を消す。途端、その光はより鮮明に闇夜に浮かびがった。  それは次々に増えていき、気付けばその盛り土を覆い尽くすほどになっていた。 「この蝶は、死体を喰らうために現れたのではなく、残っていた魂が蝶になったと考えるのが正しいようですね」  蒼藍(ツァンラン)は感心するように頷いた。  一説では、死んだひとの魂が蝶の姿になるという言い伝えもあるらしい。まさに目の前で起きていることがそれだろう。青白い光は幻想的で、それが魂の欠片だと言われれば理解できなくもない。  それくらい目の前の光景は美しく、しかしどういう原理なのかはわからない。  大人しかった蝶たちは、びっしりと盛り土を覆い尽くした後、それぞれが不規則に翅をひらりひらりと揺らし始める。  しばらくして、青白く発光する蝶たちが一斉に闇夜の空へと舞い上がった。それはまるで星の海のような光の洪水。群れを成して天高く舞い上がった蝶たちを、四人はただ目で追うことしかできない。 「うん、ひとの魂は美しいんだね。あの蝶は確かにそれと同じだ」  怪異は怪異だが、ひとに害を与えるものではないようだ。どういう因果でそうなっているのかは不明だが、人食い蝶の噂はこれにて解決といっていいだろう。 「死んだひとの魂が美しい蝶になって、闇夜に飛び去って行ったっていう報告でいいのかしら?」 「市井(しせい)の民たちにも、そのように伝えましょう。皆の不安も、これで解消されると良いですね、」  櫻花(インホア)紅藍(ホンラン)を見上げて頷く。 「結論を出すのは、早いかもしれません······死体は盛り土の下に埋まってます。それなのに、どうして蝶が去った後に、髪の毛と骨だけが残っていただなんて噂が流れたんでしょうか?」  蒼藍(ツァンラン)のそのひと言に、安堵したのも束の間、櫻花(インホア)は曇った表情で首を傾げる。 「そう言われると······確かに気になりますね、」 「そう? 単に噂に尾ひれがついただけじゃない?」 「そういえば、噂では人を喰らうと"赤く光る禍々しい蝶"になるんじゃなかった?」  もう終わったこと、と気が抜けていた紅藍(ホンラン)はあまり気にならないようだが、肖月(シャオユエ)は顎に手を当てて、なにか思うところがあるようだ。 「さっきの蝶とは別に、本当の人食い蝶がいるか、あるいは······」  そこまで考えて、肖月(シャオユエ)は眼を細める。  他の三人も同じように気付いたようだ。辺りの空気が一変する。それは重たく淀んだもので、先程までとは全く違うものだった。  そんな中、警戒していた櫻花(インホア)の視界がぐらりと揺らいだのは、本当に瞬きひとつ、まさに一瞬の出来事であった――――――。

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