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二十五、揺るがぬ誓いと、秘めた想い
遠い昔、共に誓い合った夢。
怖いものは何もなかった。迷いも、憂いもなく、ただ真っすぐに進んで行けばそれでよかった。神と名の付く者として、すべきことはひとつ。
「私は、この地に生きるすべての者を救うために、この力を使いたい」
尸迦 は真面目な顔で、まるでそれが当たり前のことで、出来ないはずがないと自負していた。天界の頂点に立つことを定められた彼のその強い意志は、少しも揺らぐことはない。
「では私は、私の大切な友たちのために、この力を揮おう」
鷹藍 は、大それたことを平気で口にする尸迦 の横で口元を緩めた。彼は常に自分のためではなく、他の誰かのためにその力を揮っている。
「君は、どうしたい? どんな神になりたいんだ?」
尸迦 が首だけ向けて櫻花 に訊ねてくる。
「私は······、」
そんなふたりの背中を見つめ、櫻花 は何かを考えるような仕草をしながら首を傾げる。尸迦 も、鷹藍 もすでに天界では知らない者がいないというくらい、有名な神であった。
世話になっている師が同じ、というだけで親しくしてもらっている身である自分には、ふたりのような壮大な目標などあるはずもない。
花神である櫻花 は、争いを好まず、できることなら笑って過ごしたいと思っている。配下も数人程度で、堂もまだ与えられていない。
しかしその力は、春や夏に、穀物、鳥、花、木などの万物に生長を齎す特別なもの。いつも笑顔で優しく穏やかな櫻花 という存在は、未だ神々が統括されていないこの天界で、常に争いの中に身を置くふたりにとっては、唯一安らげる場所であった。
そんなふたりの間に、後ろから勢いよく飛び込むように突進してきて、櫻花 の腕がそれぞれに絡められる。突然の行為に驚いて、尸迦 は左を、鷹藍 は右をそれぞれ向く。眼が合うふたりの少し下に、櫻花 のお団子頭があった。
櫻花 は見下ろしてくるふたりを大きな琥珀色の瞳で見上げ、ふふっと嬉しそうに笑みを浮かべる。
「私、ふたりのことが大好きです!」
「は?」
「うん?」
ふたりはほぼ同時に首を傾げた。
そんな惚けているふたりをよそに、間に挟まって絡めた両腕をきゅっと強く抱いて、櫻花 は花でも咲いたような美しい笑みを見せる。
「だから私は、この手の届く場所、この腕に抱えられるものを守ります! だって尸迦 を守れたら、あなたの衆生 を救うという夢も守れるし、鷹藍 を守れたら、大切な友のために存分に戦えるでしょう?」
そう言って、ね? 良い考えだと思いませんか? と訊ねてくる。
その言葉に、ふたりは櫻花 を見下ろしたまま固まっていたが、沈黙を破るように、
「それで? 争いを嫌う君が、どうやって私たちを守るんだ?」
言って、尸迦 が揶揄うように笑った。
本当は絡められた腕と一緒に、胸の奥がじんわりとあたたかくて、その感情を誤魔化すためにそんな言葉を紡ぐしかなかったのだが····。
「うーん。言われてみれば確かにそうですね······どうしましょう?」
その問いに対して櫻花 は、本気で頭を抱えて悩み始めてしまう。
「君は変わらずに、ずっとそのままでいてくれれば、私はいいと思うが?」
鷹藍 は尸迦 が今どんな気持ちでいるのかを察して、自分の右腕に絡められた櫻花 の細い左腕に手を置いた。
「······まあ、そうだな。君はそのままで、いい。余計なことは考えずに、いつもその笑みを私たちに見せてくれれば、それでいい」
顔を背けて右手で口元を覆い、尸迦 も呟く。
「ではお言葉に甘えて、そうすることにします」
櫻花 が遠慮なく今のようにくっついてくるのとは逆に、尸迦 はその手に触れることすら、いつも躊躇ってしまう。
今だって、絡められたままの腕に意識がいき、まったく落ち着かないのだ。
そういう意味では、鷹藍 は知己として自然に触れることができ、しかし友としての一線を越える気はなかった。だからこそ、尸迦 には同情している。
櫻花 はそんな彼の気持ちに、一生気付くことはないのだ。
******
その数十年後、永きに亘る天界の神々の争いに、終止符が打たれた。
尸迦 は天上の最高神である天帝として、その座に就く。
鷹藍 は戦いの最中にその身が穢れ、天界から離れて蓬莱山に身を寄せた。
櫻花 は、九十九人の花の精を統括する花神として、蓬莱山に建てられた百花堂の主となり、呼ばれた時だけ天界へ昇るという日々を送る。
三人で集まることはほとんどなくなってしまったが、同じ蓬莱山にいる櫻花 と鷹藍 はよく逢っているようだった。
そして天帝となった尸迦 がふたりに個人的に逢う機会は、殆どなくなってしまった。
ある日、天界の上部で開かれた宴の席で舞う、櫻花 の姿を目にした。自分に気付いて、笑みを向けてくれるその気遣いに、あの頃の想いが込み上げてくる。
その感情に蓋をして、数多いる神のひとりとして見つめるしかない。
"衆生 を守り、この地を守り、天界を統べるのが使命"
一枚の花びらがひらりと盃の中で舞い、沈む。
近くにいるはずなのに、今は遠い。伸ばせば手が届くはずなのに、伸ばすことすら叶わない。それは今も昔も同じ。
「尸迦 、」
名を呼ぶ、穏やかで優しい声音。
夢の中でその名を呼ぶ、君に逢った。
「必ず、君の潔白を証明する。そして再び、"花神"として君を天界に迎い入れる。君は、それを望まないかもしれないが」
何度も。
忘れないように、夢の中で君を想う。
名を呼んでもらう。
あの日の誓いが、揺るがないように。
何度も。
何度も。
伸ばした手を、下ろす。
夢の中の君の幻影にさえ触れるのを躊躇う、臆病者の自分。
あの時、君に本当の想いを伝えていたなら、君はこの手を取ってくれたのだろうか? 今も離れずに傍にいてくれたのだろうか? 彼の者によって追放された後、天界に戻って来て欲しいと告げた時、答えは変わっていたのだろうか?
「衆生 を救う? ······私は、君ひとりすら救えていないというのに、」
自分を嘲笑うかのように口元を歪め、天帝は瞼を閉じる。
転がりだした石は、もはや止まることはない。
ずっと、この時を待っていた。
数百年という永い時を経て、今、固く閉ざされていた禁断の扉が、ゆっくりと開き出す――――。
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