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三十四、知らぬ間に、巻き込まれていました。

 七、八歳くらいの見た目の幼子の身なりは、お世辞にもこの宴には相応しいとは言えない、上から下まで薄汚れた漆黒の衣を纏っており、その黒髪も赤い瞳を隠すように前髪を垂らしていて、暗くて陰湿な印象を与える。  逆に嫦娥(チャング)は派手な青色の上衣に、銀の糸で描かれた模様の入った紫色の下裳。それから金色の装飾や宝石で首や指を飾っていた。  まるで月と闇のようなそのふたりを避けるように、大きな円ができていたのだった。  そうとは知らずに、櫻花(インホア)はその円の内側に入ってしまっていたため、周りの神仙や精霊たちがざわざわと騒ぎ出す。 「花神(かしん)櫻花(インホア)(わたくし)の道を妨げるとは、なんと恥知らずな。天帝に愛されているからって、調子に乗っているのではなくて?」 「申し訳ございません。嫦娥(チャング)様がいらっしゃるとは知らず、愚かな私をお許しください。天帝にとって、私のような位の低い花神など、数多(あまた)いる配下のひとりとしか思われていないでしょう」  地面に跪き、櫻花(インホア)は深く頭を下げた。実際、嫦娥(チャング)櫻花(インホア)などと比べるには恐れ多いほど、ずっと上の位の神なのだ。  ふん、と嫦娥(チャング)はわざと地面を蹴り、土埃を櫻花(インホア)の顔にかかるように起こすと、そのまま立ち去って行った。  その後ろを慌てた様子で幼子が追う。ちらちらと櫻花(インホア)の方を見ながら何か言いたげだったが、口を開くことすら赦されていないのか、開いた唇を噛み締め、ぎゅっと瞼を閉じて横を通り過ぎていく。  幼子はどうやら嫦娥(チャング)の従者か配下のようだ。  足音が遠のいた後、櫻花(インホア)はふうと顔を上げた。かけられた土埃を適当に袖で拭って、そのまま立ち上がる。  そんな櫻花(インホア)の周りに、あの光景を傍観するしかなかった者たちが、申し訳なさそうな顔をしながら一斉に駆け寄って来た。 「まったく、なんなんだあのひとは。本当に上位の神なのか? 品がなさすぎる」 「花神は皆に好かれているから、気に食わないのだろう。あの者の取り巻き以外は、皆、あの者の態度が苦手だ。先程もちょっとした騒ぎを起こして、西王母様に退席を命じられたのだ。どう考えても自業自得だろう」  口々に彼女の悪口を言い出すので、櫻花(インホア)は困って頬を掻いた。 「私は大丈夫ですよ。ご心配には及びません」  櫻花(インホア)は別に何とも思っていなかった。そもそもいつもの如くぼんやりとしていて、あろうことか彼女の行く道に立ち塞がってしまったのが悪いのだ。 「それにしても、あの言い方はないだろう。君は確かに天帝のお気に入りだが、調子になど乗っていないし、恥知らずでもない」 「私のために言って下さっているなら、もう十分ですよ。さあ、楽しい宴の席ですから、皆さんもどうぞ気を取り直して、」  言って、櫻花(インホア)は少し大げさな素振りでお辞儀をすると、笑顔を見せて去って行った。あのまま留まっていたら、彼ら彼女らは日頃の恨みつらみを話し出すに違いなかった。  はあ、と嘆息して、櫻花(インホア)は疎らになった庭園の先、西王母のいる邸へと辿り着く。酒や花の香りに交じって、蟠桃(ばんとう)の甘い香りが漂ってくる。  神仙たちに囲まれ、静かに笑みを湛えているその者こそ、すべての女仙を支配する最上位の女神。この宴の主催である西王母そのひとであった。 「櫻花(インホア)、来たのね」 「お久しぶりです。本日は宴に招いていただき、ありがとうございました」 「ふふ。皆、あなたの花舞(はなまい)が楽しみで毎回集まって来るのよ? 私もそのひとりなのだけれど」  西王母はその名の通り、おっとりとした穏やかな女性で、話し方も品があり、傍にいるだけで癒される。そんな独特な雰囲気を纏っているひとだった。  なので、そんな彼女が嫦娥(チャング)を退席させたのには、きっと理由があるはずだ。 「表でひと悶着あったようだけれど、大丈夫だった? あのひとは誰にでもああいう感じだから、気にすることはないわ」  すでに耳に届いていたようで、お恥ずかしいと櫻花(インホア)は頬を掻いた。 「すみません。私がぼんやりしてたせいです。あの方は悪くありませんので、お気になさらず」 「あなたは、本当に穏やかで素敵な花神ね。そんなあなただから、皆、あなたを愛してやまない」 「私などには、勿体ないお言葉です。西王母様のお人柄には、誰も敵いませんし、天界広しと言えど、誰もが慕う神は、あなたくらいでしょう」  お互いを褒め合い、最近の近況などを語り合うと、西王母は本来話したかったのだろう、本題を切り出し始めた。 「あなたに話すようなことではないのだけれど、聞いてくれるかしら?」  座って頂戴、と椅子をすすめられ、櫻花(インホア)は西王母が腰を下ろしたのを確認してから、自分も腰掛けた。人払いをして、部屋にはふたりだけになった。 「彼女を退席させた理由は、耳に入っている?」  彼女、とは誰と問わずとも月神、嫦娥(チャング)のことだろう。しかしなぜ自分に聞かせるのかと不思議に思ったが、その理由はすぐに判明する。  主宰である西王母に挨拶をするため、邸に集まっていた神仙の誰かが、嫦娥(チャング)の前で何の気なしに櫻花(インホア)の話をしたのが、騒動のきっかけだったからだ。  自分の知らないところでそんなことが起こっていたとは、露知らず。 「それとは別に、彼女が連れていた者にも問題があって、」 「あの幼子ですか? 赤い瞳の、」 「あれは鬼子(おにご)よ。ただ、普通の鬼子ならば問題はないのだけれど、あの子は違ったわ。あの子は、鬼神(おにがみ)だったのよ」  鬼神(きじん)鬼神(おにがみ)も全く同じ字を使うが、言い方で全く違う存在となる。鬼神(きじん)であれば、天地万物の霊魂あるいは神々を意味するが、それが鬼神(おにがみ)となれば、精霊ではあるが荒々しく恐ろしい神の類となる。 「とにかく、彼女はあなたの事が特に気に入らないみたいなの。なるべく関わらない方が身のためよ。それに······彼女は自分の目的のためなら、なんでもすると聞くわ。あの鬼神(おにがみ)も、きっとそのために連れているのでしょう」  それを聞き、櫻花(インホア)は改めてあの少年を思い出していた。 (······あの子は、そんなに悪いモノには思えなかったのですが、)  確かにあの血のように赤い瞳には驚いたが、大人しそうだった。なにより、荒々しく恐ろしい神にも思えなかったのだ。 (今度会ったら、少しでもいいから話をしてみましょう、)  櫻花(インホア)は西王母の心配をよそに、そんなことをひとり、心の中で思うのだった。

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