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1-17 無明のお願い

 無明(むみょう)蓉緋(ゆうひ)岩漿(がんしょう)洞の最奥まで辿り着く。そこには立派な堂が建っていて、入り口近くには結界が張られていた。しかしその結界は無明が近づいた瞬間、すっと消えた。  そして、ほぼ同時に堂の扉が開かれる。 「あ、逢魔(おうま)!」  駆け出そうとした無明の左手を掴み、蓉緋が止める。その行動に、逢魔は眼を細める。自分が知らない間に、無明はまたお友達(・・・)を増やしたようだ。しかも相手は()の一族の宗主。  そして逢魔は知らなかった。宴の席で何があったのかを。 「俺の記憶が正しければ、それ(・・)は渓谷の妖鬼、特級の鬼じゃなかったか?」  あ、と無明は、蓉緋に対して色々と説明不足だったことを今更ながら思い知る。 「なんで特級の鬼がここにいる? そもそもどこから入った?」 「あー······ええっと、」 「それって重要なこと? 俺は宗主でも神子でもないけど、ここに入る資格がある。そういう考えにはならない?」  逢魔はわざとらしくそんなことを言い、不敵な笑みを浮かべた。これではまるで悪の親玉のようだ。無明は手を放してくれない蓉緋の方へと身体を向けて、困った顔で見上げる。 「あのね、逢魔はそういう風にも呼ばれているけど、でも違うんだ。妖鬼じゃなくて、鬼神(きしん)で、俺の、」 「君の、なに?」  少し怖い顔で見下ろしてくる蓉緋に、無明は一度心を落ち着かせ、すぅっと大きく息を吸い込む。  そして、 「俺の、大切なひとだよ!」  ぎゅっと目を瞑って大きな声で言い放った。 「へー。大切なひと、なんだ」  そのやりとりに、逢魔は思わず肩を震わせながら、腹を抱えて笑いを堪える。色々言い方があったろうに、なぜその言葉を選んだのか。 「くく······ははっ······無明、その言い方じゃ、俺、······あなたの想い人みたいになってるよ!」  思い出したらますますおかしくなって、逢魔は堪えきれずに笑い出す。  無明は自分の言った台詞をもう一度思い出して、わあ! となった。 「ああ、ええと、違うよ! 違わないけど! そういう意味じゃなくて、そう意味だけど! ちょっと、逢魔、俺、どうしたらっ」  はー······と息を取り戻して、逢魔は改めて軽くお辞儀をする。 「俺は確かに、あんたたちが勝手に付けた等級では特級の鬼、通り名は狼煙(ろうえん)。ホントならあんたなんかに名前を呼ばれたくもないけど、無明が望むならいくらだって教えてあげる」  生白い肌をしているが、絵に描いたかのような美しい青年の姿をしている目の前の鬼は、含みがあるが嫌みのない軽い口調で言葉を紡ぐ。  腰くらいまでの細くて長い髪を後ろで三つ編みしていて、先の方を赤い髪紐で蝶々結びをしている。  右が藍色、左が漆黒と、半々になっている衣を纏っており、左耳に下がった銀の細長い飾りが、動くとシャランと独特な音を奏でる。  その涼し気な金眼がこちらに向けられた。 「俺の名は逢魔。正真正銘、神子の眷属で、鬼神(きしん)。これでいい?」 「そう! だから、俺の大切なひと、なんだ!」  へへっと無明は照れくさそうに笑って、先程までの困った顔がどこかへ飛んで行く。それに安堵したのか、蓉緋は仕方なく手を解く。ここは神聖な場所なので、あの岩漿(がんしょう)の影響もないようだ。  そんな中、扉の奥からゆっくりと姿を現したのは、この炎帝(えんてい)堂の主、老陽(ろうよう)だった。無明はその姿に、鳳凰(ほうおう)の姿を重ねてしまう。それくらい、その立ち姿は優雅で妖艶だった。  蓉緋にはもちろん見えてはいなかったが、無明の視線が自分と全く違う場所を見ていることには気付いた。 「神子、よく来たな。君をどれだけ心待ちにしていたことか」  老陽は逢魔の横を通り過ぎて、堂からふわりと飛び降りて来た。そして無明の目の前まで来ると、例の如くその場に跪いて拝礼を始めた。 「初めまして、神子。私は、四神、朱雀。名を老陽と······、」 「わー! いいからっ! そういうの、慣れてないんだってばっ」  慌てて無明もその場にしゃがみ込み、その拝礼を止める。  蓉緋には傍から見ていて、無明が急に声を上げて、慌ててしゃがみ込んだようにしか見えない。こうして見ていると、事情を知らなければおかしな光景でしかなかった。  だが、そこにもし本当に朱雀がいるのだとしたら?  空想ではなくて、本当に、存在しているのだとしたら。 「老陽様、俺は無明って言うんだ。これからよろしくね!」  この無明の対応は、問題ないのだろうか······。  蓉緋は途中から感動よりも心配の方が勝って、表情を曇らせる。 「あ、あのね、契約の前にお願いがあるんだ!」 「お願い? 神子の頼みなら、なんなりと」  蓉緋は今更ながら、自分が言ったことを後悔するハメになる。まだ会って少しも時が経っていないというのに、なぜ今それを言おうとしているのか。いや、もう仲良くなったという事なのか?  ぐるぐると思考を混乱させている内に、とうとう無明はそれを口にしてしまう。 「俺以外にも、あなたの姿を見えるようにできる?」 「······そこの者に見えるように、ということだろうか? まあ、見たところ()の宗主のようだから、私はかまわないよ」 「ホント! ありがとう! 良かったね、蓉緋様っ」  言って、無明は蓉緋の袖を引いた。途端に、蓉緋の瞳に、今まで見えなかったものが現れる。それは、想像していた以上の存在で、そのまま勝手に身体が地面に跪いていた。  腕を前で囲い、深く頭を下げ、その神と名の付く存在から眼を逸らす。 「まあそう固くならなくても良い。私はどこかの根暗な誰かと違って、人間は嫌いではないし、むしろ好きな方だ」  立ち上がって、老陽はふっと笑みを浮かべる。その笑みはどこまでも妖艶で、この世の者とは思えない美しさだった。 「そうなんだ! 蓉緋様、お願いが叶って良かったね!」 「······君って、どんな心臓をしているんだ?」 「え? 心臓がどう? うん?」  蓉緋の質問の意味が解らず、無明は笑って誤魔化した。  逢魔はその長いやり取りを、よしよしと頷きながら見ていた。老陽は今のところはなんとか上手くやっているようだった。  そして、ようやくここに来た目的、四神、朱雀との契約が始まる。

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