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1-18 もう、迷わない

 老陽(ろうよう)無明(むみょう)の額に左の手の平を翳すと、途端、無明(むみょう)の足元から螺旋を描くように、緋色の炎が身体を包み込む。  それは見た目に反して少しの熱もなく、無明は頭の先まで螺旋の炎に包まれても平気だった。炎の隙間から、老陽の朱色の瞳と眼が合った。 「神子、君なら必ず、この契約を成し遂げられるだろう」  その言葉を最後に、無明の意識は途絶えた。  逢魔(おうま)は炎の中で眠る無明を見つめていた。玄武、白虎、そして朱雀の契約が果たされることになるだろう。 (無明は何かを隠してる······あの時、少陰(しょういん)姐さんはどうして教えてくれなかった?)  そう言えば、太陰(たいいん)も、神子が自分から望んで契約をすることが必要不可欠だと言っていた。四神(みんな)は自分が知らないことを知っていて、それは契約が関係している? (老陽兄さんはああ見えて馬鹿ではないから、そういうことに関しては完全に誤魔化すだろうし、)  老陽と眼が合って、逢魔は肩を竦める。 「逢魔、今生の神子は、以前の神子以上に賑やかしくて可愛らしいね。でも、やはり神子だね、」 「そうでしょう? だから、嫌われたくないでしょ。お願いだから、最後まで気を抜かずに頑張ってね、」  ふたりの会話を蓉緋(ゆうひ)は黙って聞いていた。 (······光焔(うち)の守り神は、どうやら色々と問題があるようだ)  蓉緋は契約が始まった直後、堂の方へと移動していた。  これが、四神の契約。あの中で一体何が起こっているのか。 (疑っていたわけではないが、本当に、君は、神子なんだな、)  そんなひとに、婚姻を申し込んだ自分は馬鹿なのかもしれない。  はじめから、無理なことも知っていた。それでもここにいる間くらいは、傍にいて欲しいと思ってしまったのだ。子供の我が儘だと笑われるだろうが、それでも。 (奴らの好きにはさせない。この地は、()の一族は、俺が変えるとあの日に決めた。まだそれは完全には成してはいない。だから、鳳凰の儀は必ずやり遂げる)  蓉緋は拳を握りしめ、ひとり、改めてその決意を固めるのだった。 ******  炎に包まれた後、無明の意識は別の場所に飛んでいた。次にその翡翠の瞳を開けた時、そこは真っ白な空間だった。  目の前には、神子、宵藍(しょうらん)がいた。  長い髪の毛は背中に垂らしたままで、その左右のひと房ずつを赤い髪紐で編み込んでひとつに纏め、後ろで軽く結っている。  白い神子装束を纏った少年は、無明と瓜二つで、もし同じ髪形で同じ衣を纏っていたら、どちらがどちらか区別が付かないだろう。  白虎の契約の時は、始まりの神子だけだったが、今回は宵藍ひとりのようだ。  ここは、記憶が集約された場所。  神子たちが残した、空間。 「今、君は何回目の契約かな? 順番はあんまり考えていなかったら、私たちが残している記憶に戸惑っていないと良いんだけれど。でもね、太陰(たいいん)の所には一番に行くってなんとなくわかったよ?」  相変わらず一方的な会話で、それは本人が言っているように、あくまでこれが記憶の残像であることがわかる。こちらからの質問には何ひとつ答えてはもらえない。 「君は私が経験していないことを、経験しなくちゃならないかもしれない。始まりの神子が言っていた。私たちがひとつになって、いつか生まれるだろう君は、魂と身体、どちらも完全な神子なんだって。だから、四神との契約をすべて終えてしまえば、不死の身体となる。それが君にとって良いことかどうか、私にはなんとも言えない」  無明は目の前にいる、自分と同じ顔で同じ声の宵藍に、眼を細めた。困ったように笑うその表情が、物語っている。  それが、けして楽な道のりではないことを。  記憶を持ったまま、魂の輪廻を繰り返す神子であった、宵藍。白銀髪になっても老いることなく生き続けていた、始まりの神子。 「神子として、この国を守るのが君の使命であり、宿命。これは、変えられない事実。いつか、その悲しみに負けてしまうこともあるかもしれない。でもね、みんながいてくれる。四神も、逢魔(おうま)も、それに、彼もきっと······」  だけど、と宵藍は小さく笑みを零す。 「君がそれを苦と思うなら、止めたらいいって思うよ。だって、みんな、君のことを好きだったでしょう? そんな君が、幸せになれない未来なんて、誰も望まないよ」 「········え、」  無明はここに来て初めて言葉を発する。それは、思わず出た声だった。そんなことを言われるなんて、思ってもみなかったから。  そう言えば碧水(へきすい)の地で、白笶(びゃくや)が言っていた。頭の中で太陰(たいいん)の声がずっと聞こえていて。どうしたらいいかと訊ねた時、 『応えなくともいい』  と、言った。あれは、今思えば、自分が神子だと知っていながら、応えなくてもいいと言ってくれていたのだ。 『君が、応えたくなかったら応えなければいい。応えようと思ったなったらば、応えればいい』  そう言って、自分の意思で決めていいと言ってくれたのだ。後で聞いた話だが、白笶は神子としての自分ではなく、無明として生きて欲しいと思ってくれていたのだという。 「大丈夫。俺は、神子として、生きていくよ」  届くはずのない言葉だと知っていたけれど、宵藍は静かに笑っていた。  もう、迷わない。  無明は宵藍が翳した手と同じ位置に手を重ねる。  真っ白なセカイは、眩しい光に覆われ、このセカイを壊していく。耳元で聞こえてきた声に、眼を細める。 「うん、ありがとう」  無明はゆっくりと瞼を開いた。    

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