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1-25 紅宮の主

 鳳凰殿を後にした無明(むみょう)を待っていてくれたのは、幼子の姿になっている逢魔(おうま)と、従者の清婉(せいえん)だった。  無明は扉から出る前に、金の糸で描かれた鳳凰と美しい花の模様の赤い羽織を頭から被って、あえてその顔を隠す。  この鳳凰殿は常に誰かが見張っているのだと蓉緋(ゆうひ)が言っていたことと、朱雀の神子となった今、無暗に他の()の一族の者たちに顔を見せることは、身の危険を高めるだけだと理解してのことであった。 「無明様、竜虎(りゅうこ)様たちは市井の福寿(ふくじゅ)堂という所に移りました。蓉緋(ゆうひ)様や花緋(かひ)様のお知り合いの方が店主をしている店らしく、宿も兼ねているとか」 「わかった。じゃあ俺たちはとりあえず珊瑚宮で待機だね、」  白鷺(はくろ)老師たちとの話し合いの結果、一旦、竜虎と白笶(びゃくや)は別行動をすることになったのだ。  朱雀との契約の後、意識を失っている間に遭遇した者たちに、蓉緋と逢魔(おうま)が勝手に作った設定を、無明はそのまま続けることになったのだ。  幼子姿の逢魔は階段を降りてきた無明の横に駆けて来て、その左手を握る。なんだかいつもと雰囲気が違っていて、なにより楽しそうだった。 「俺はあなたの子供っていう設定だから、これが自然でしょ?」 「うん、なんだが不思議な感じだけど、逢魔がそんな風に笑ってると、俺も嬉しい」  そうしていると、本当に親子のようだと清婉(せいえん)は微笑ましくその光景を眺めていたが、鳳凰殿から少し離れた所で、三人の女性たちが路を塞ぐようにどこからか集まって来た。  その身なりから、彼女たちが(こう)宮の宮女(きゅうじょ)たちであることがわかる。  それぞれ薄い桃色、黄色、緑色の上衣下裳を纏い、肩に同じ色の領布(ひれ)を掛けている彼女らは、左手の拳を右手で包み、そのまま両手を左の腰に当て、膝を少しだけ曲げて小さくお辞儀をしてみせた。  女性が拱手礼の代わりにすることがある万福と呼ばれるその挨拶は、とても丁寧で美しく見える。  無明は深く衣を被り直して、見よう見真似で同じように挨拶をしてみせた。逢魔は離れてしまった手の代わりに、無明の黒い上衣の袖を掴み直す。  碧水(へきすい)の地で、白群(びゃくぐん)の宗主の妻である麗寧(れいねい)夫人がくれた上質なその衣は、左右の袖の下の部分にだけ、銀色の糸で描かれた小さな胡蝶が二匹と、山吹の花枝の模様が描かれている。 (宗主サマたちの予想通り、あちらから接触してきたか······)  逢魔は話し合いの場にはいなかったが、白笶から今後の動きを聞いていた。  蓉緋が、あの反対勢力の者たちに適当に付いた嘘によって、今や無明は彼の婚姻相手であり、朱雀の神子でもあるということになっている。  しかも子持ちの若い娘という設定なのだ。 (まあ、そんな滅茶苦茶な設定の嫁候補を、(こう)宮の主が見逃すはずないよね)  宮女のひとりが口を開く。 「朱雀の神子様、主があなた様にご挨拶がしたいとのこと。よろしければ、(こう)宮へ足をお運びいただけませんか?」  ()の一族の者たちの中でも、鳳凰の儀に参加する者以外は、朱雀の神子と交流を持っても問題はないらしい。それがたとえ、彼らの妻であっても、だ。 「ちょうど良かった。()も、(こう)宮の皆様に挨拶をしたいと思っていたんです」  陰になって見えない表情とは裏腹に、にこやかな声で無明は答えた。 (すごい! 無明様、本当に女性のようですっ)  清婉(せいえん)は目を輝かせて、無明の小さな背中を見つめる。立ち姿も凛としていて、なんだか無明であって無明でないようにも見える。 (神子様でもある無明《様を、私がちゃんとお守りしないと!)  逢魔もいるので心配は無用だが、それはあくまで向ってくる者たちにおいて、である。    清婉の役目は、人の悪意や好奇の目から無明を守ること。  自分たち以外は、彼が神子であることも、金虎(きんこ)の公子であることも知らないのだから。 「では、どうぞこちらへ。お子様も、従者の方も一緒に、」  (こう)宮には、暗殺された方の元宗主の複数の妻たちや、まだ幼い子供たちだけでなく、一族の直系の者たちの妻や子供も一緒に生活している。  子供は十歳になるまではこの宮にいても良いとされていて、妻たちは基本的にこの宮で一生を過ごす、のが本来の在り方だが、蓉緋はいつでも好きな時に出て行って構わないと公言している。  その言葉のせいか、逆にほとんどの者たちがそのまま残っているらしい。  故に、敷地も広い。その中でも一番大きく広い宮が、彼女らの主が住まう場所らしく、無明たちは三人の宮女に一定の間隔を置いて付いて行く。  (こう)宮の周りは白い塀で囲まれており、遠くに見える鳳凰殿がずっと高い場所にあるのがわかる。  普通なら宗主の住む場所の近くに建てそうなものだが、どちらかといえば一族の直系の者たちが住む場所に近いようだ。  中庭は整えられており、薄赤く色づいた美しい牡丹の花が咲いている。  装飾の施された繊細な模様が描かれた薄い扉の前で、宮女たちの足が止まった。  (こう)宮のかなり奥の方まで来た。ここが、彼女らの主の宮で間違いないだろう。 「お客様をお連れ致しました」  案内してくれた宮女のひとりが、垂れ下がった御簾の前で声をかける。天井から下がっているその御簾の奥に、ここの主が座しているのがわかる。  顔は良く見えないが、纏っている装飾から位の高い者であることだけは確かであった。  無明は衣の隙間からその様子を窺う。逢魔はまったく興味がないようで、違う方向を見ていた。清婉は緊張しているのか顔が強張って見える。 「お初にお目にかかります。私はこの(こう)宮を任されている、宮の主。名を、姚泉(ようせん)と申します」  言って、無明たちの前に姿を現したのは、薄紫色の上質な上衣下裳を纏った、妖艶な姿の美しい女性だった。

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