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1-26 姚泉の思惑

 姚泉(ようせん)は宮女たちを下がらせると、幼子と従者の真ん中にいる朱雀の神子に視線を向ける。御簾から出て姿を見せたのは、相手を探るためでもあったが、目の前の"少女"はその場に躊躇いもなく跪き、こちらに頭を下げてきた。 「申し訳ございません、姚泉様。私はこの(こう)宮に居座るつもりはないのです。蓉緋(ゆうひ)様は婚姻を結ぶとおっしゃいましたが、鳳凰の儀の役目が終われば、この子と共にここから去るつもりなのです。なので、心配は不要です。あなたがその地位を追われることはありません」  現宗主の妻となれば、(こう)宮の権力が一変する。それを知っていてこの娘は先に牽制してきたのだ。  姚泉は「面白い子ね、」と心の中で呟く。 「そんな心配はこちらもしてはいないわ。別にここの主であることに執着はしていないの。それよりも、あなたと話がしたい。若宗主殿とどこで知り合ったのか、とか。その幼子は誰の子なのか、とか」  この幼子が誰の子か。  予想はしているが、それが真実かどうかで今後の動きが変わる。 「蓉緋(ゆうひ)様とはまだ市井におられた時に出逢いました。私は物心ついた時からひとりでしたので、両親の顔も知りません。賊に売られそうになったところを、蓉緋様に助けられました。この子の出自については答えたくありません」  娘は淡々と自分の問いにすべて答えてしまった。姚泉はその何者にも臆する色もない、堂々とした態度にどこか畏怖に似たものを感じた。薄い布地に見事な赤い牡丹の花の刺繍が入った団扇(うちわ)で、自分の表情を悟られないように口元を覆う。 「他に何かございますか? なければ私たちはそろそろ失礼します」 「お待ちなさい。最後にひとつ、お願いを聞いてもらえるかしら?」  跪いていた娘は立ち上がろうとしていた動作を止め、再び膝を付いた。頭から被っている赤い衣の奥で、娘が首を傾げているのがわかる。 「その顔を見せていただける?」  鳳凰の儀に参加することもない姚泉に対して、顔を見せることは禁じられていない。娘がどう動くかじっと観察しながら、その時を待つ。  娘の横で、幼子がこちらを見上げてくる。あの若宗主に似た、人を試すようなその瞳を見て確信する。この幼子は、間違いなく蓉緋の子だろう。  でなければ、あの蓉緋がただの娘に婚姻を申し込む理由などない。宗主になって以来、いくつもの釣書を断っていたのを知っている。  あの者が手籠めにした娘の素顔に興味があったというのもあるが、それを知っておくことでこちらの駒の動きも変わる。 「構いません。鳳凰の儀の習わしが多すぎて、あなたに隠す必要はなかったのを忘れていました。今までの無礼をお許しください」  娘は頭に被せていた衣に両手をかけ、覆っていたものを剥いだ。  そこに在ったのは、想像していた以上に美しい容姿と、大きな瞳。今まで見たことのないその瞳の色に、息を呑む。その翡翠色の瞳は真っすぐにこちらを見上げてきた。  長い黒髪は高い位置で赤い髪紐で結ばれ、赤い衣の下に纏う黒い上等な上衣は、なぜか男物であったが······どう見ても十五、六歳くらいにしか見えない。幼子の母とは思えないくらい、娘の姿は若く美しかった。  姚泉はそれを見下ろしながら、団扇(うちわ)を握っている手とは逆の左手を袖に潜ませる。その奥にあるモノ(・・)を掴み、再び袖から手を出した。娘の美しさに気を取られていたが、本来の目的を思い出す。 「······そいういえば、名前を聞いていなかったわ。なんと呼べば良いかしら?」  娘は再び頭から衣を被り、ゆっくりと立ちあがる。腕を前で囲い、腰を軽く折って頭を下げながら、娘はひと呼吸おいて、ゆっくりと唇を開いた。 「名は······宵藍(しょうらん)、と申します。では、これで失礼いたします」  宵藍、と名乗った娘は、これで最後と言わんばかりに姚泉に背を向けて、幼子の手を取り扉に手をかける。それを見た頼りなさそうな男の従者は、慌てて娘が手をかけた扉を代わりに開けた。  それを止める権利はこちらにはなく、姚泉は団扇を下ろす。三人は開いた扉の先に立ち、そのまま一礼すると、部屋を出て行った。それと入れ替わるように、三人の宮女が姿を現す。 「姚泉様、このまま行かせて良いのです? この宮で幽閉する予定ではなかったのですか?」 「それは止めたわ。どうも一筋縄ではいかない娘のようね。さすが、あの難攻不落の若宗主殿を落としただけはあるわ」  先程名前を聞く前に、娘だけにある(こう)を嗅がせた。今この部屋で焚いている(こう)と対となることで効果を齎すものなのだが、まさか何事もなかったかのように耐えるとは思いもしなかった。  だが、いくらでも方法はある。  姚泉は妖艶な笑みを浮かべ、いつもの調子を取り戻す。あの娘の弱みは、解っている。いつの世も、女の弱点は自分の血肉を分けて生み出した「子」なのだ。あの幼子を盾にすれば、娘もこちらの言うことを聞かざるを得ないだろう。  鳳凰の儀まであとひと月。  まだ十分に時間はある。  宮女たちは主のその表情を目にし、ぞくりと背筋が凍るような感覚を覚えた。それはまるで、ひととは思えないほど美しく妖しげな笑み。この(こう)宮の主が誰であるか、思い知らされる。 「本当に、面白い娘ね。思い通りに事が進まないのは、久しぶりだわ。その隙も与えないなんて、解っていてここに来たのでしょうね」  こちらの誘いに乗ったのは、自分を見定めるためか。それとも、ただ挨拶を交わしに来たのか。いずれにせよ、計画はすでに変更された。 「夕刻になったら、彼らを呼んで来てちょうだい。私は少し奥で休むわ」  予定では、明日、朱雀の神子が花轎(かきょう)に乗る。  本来は、朱雀へ嫁入りするという儀式に則って、舞人に選出される前にこの朱雀宮に集められるのが習わし。  しかし今回はすでに朱雀の神子は決定してしまっているのだが、形だけでも取り繕う必要があったのだろう。  花轎(かきょう)はある意味、檻と同じ。逃げ場はなく、攫うのも容易い。あの娘に今までの者たちのような、選択肢はない。  鳳凰の儀を行う(すべ)を無くせば、今度こそ蓉緋もあの狸も終わりだろう。  姚泉は口の端を歪めて、暗い部屋の奥へと姿を晦ます。  彼女の正体に疑問を持つ者は、この(こう)宮には誰一人としていない。  そう、誰一人として。

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