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2-18 紅宮の主として

 (こう)宮には、約二年前に暗殺された、元宗主の複数の妻や子たち、すぐにその座を奪われ死罪となった者たちの妻や子、一族の直系の者たちの妻や子も一緒に生活している。  子は十歳になるまで、ここでの生活を約束されており、元宗主の妻や子供たちに対しても、自分たちの好きにするよう、蓉緋(ゆうひ)は宗主になった時に約束していた。  約束、というか「お好きにどうぞ」という興味のなさの方が勝っていたが、女たちは自分たちの意思で、残るか出て行くかを決めることができたのだ。  それは身寄りのない女たち、行く当てのない者たちにとっては悪いことではなく、結果、ほとんどの者たちが残ることとなった。  しかし、当の本人がこの紅宮に足を踏み入れることは、その後一度としてなく、女たちはある意味がっかりしていた。  運良くあの宗主に娶られれば、今以上の良い生活ができるかもしれない!  そんな夢は、皆の中からすぐに消えたが。 「姚泉(ようせん)様、少しよろしいでしょうか?」  姚泉直属の三人の宮女のひとり、薄い桃色の上衣下裳を纏い、肩に同じ色の領布(ひれ)を掛けている女が跪く。その少し後ろには、黄色、緑色の上衣下裳を纏う女たちが控えており、続くように跪いた。 「どうかしたの? 仰々しいわね」  この三人の宮女たちは、紅宮の主である姚泉と、他の宮女や女たちを繋ぐ連絡係のような存在でもあった。彼女らの要望を聞き、解決策を提示してあげるのも、姚泉の仕事のひとつである。 「以前、病で寝たきりになっている娘に、医師を手配していただいた件を憶えておりますか?」 「前置きはいいわ。その娘がどうかしたの?」 「はい、病状が思わしくなく、医師も数日持ち堪えられるかどうか、と」  以前手配した者は、この地で一番優秀な、朱雀宮に仕える医師。それが匙を投げたのだとすれば、もうその娘は助からないだろう。  まだ九歳の娘で、母親は確か暗殺された方の宗主の、数多いる妻のひとり。元々は金華(きんか)の地の、大きな妓楼の踊り子だったはず。 「そう····では一度、その娘と母親のいる宮に足を運びます」  宮女たちはその答えに対して、明るい顔で姚泉を見上げてきた。行ったところで娘の病が治るわけではないが、彼女が赴くという行為自体が励みになるのだ。  紅宮の主。夢月(むげつ)がここに来る前にその座に就いていた者たちは、与えられた地位をただの飾りとして、紅宮を意のままにしていた。  当然、他の女子供たちがどうなろうと知ったことではなく、自分とその周りの取り巻きたちだけが、優雅な生活を送っていたのだ。  しかしいつの頃からか、その立場が一変した。姚泉の前、そのさらに前の代から変わったと、宮女たちはよく聞かされていた。  今のように紅宮の中の人間関係がよくなかった頃の、話。若い宮女たちは知らないが、その頃の宮女たちの扱いも、酷いものだったという。 (確か、その娘の病は心臓の病だったはず。人間は個体によって寿命が違うけど、まだ幼い娘が命を落とすのは、歯痒いわね)  しかし、どうにもならないことはある。病気、寿命、予期せぬ事故。  どうにかできないこともないが、時期的に"今"ではない。 (可哀想だけど、予期せぬことでも起きない限り、私にはどうすることもできないわ)  まだ幼い娘の顔色は青白く、横で看病している母親も疲れ切っていた。そ、と肩に手を置いて、姚泉は「あまり無理をしては駄目よ」と声をかける。  大勢いる女たちのひとりでしかない自分に、そんな言葉をかけてくれた主に対して、女は涙ぐみながら頷いた。 「姚泉様、この子は生まれた時から身体が弱くて····当時の宗主様は子ができた途端、私のことなど視界にすら入れてくれませんでした。でも、この子がいてくれたから、私は、どんな時も寂しくはなかったんです····っ」  女はぽろぽろと零れ出した涙を止めることができず、両手で顔を覆った。  そんな様子を見て、姚泉は自分が人間だった頃のことを、ふと思い出していた。  両親は生まれた時からおらず、妓楼の前に捨てられていたらしい。親と呼べる者は妓楼の姐さんたちだけだったが、彼女らも各々事情を抱えていた。  それをずっと見てきたし、自分もまた、生まれついての奇妙な眼のせいで、心から信じられる者などいなかった。  宮を後にして、姚泉は外で待っていた宮女たちに目で合図を送る。  薄紫色の上質な上衣下裳を翻して、姚泉は凛とした姿で前を行く。宮女たちはお互いの顔を見て頷きながら、その後ろに続いた。 「姚泉様の言う通りに、待っている間、豊緋(ほうひ)様含め他の者たちの邸に、文を届けさせました。他にご命令があれば、なんなりと」 「鳳凰の儀は明日。あなたたちも私の傍で控えていなくてはならないから、今日はゆっくり休んで明日に備えなさい」  鳳凰舞に始まり、鳳凰の儀は長丁場となるだろう。こちらに流れてきた情報では、あの忠犬のような護衛の花緋(かひ)が、蓉緋と訣別したとか。 (まあ、どうせ芝居でしょうけど。考えたわね····こちら側の者たちを、花緋が倒す、という台本かしら?それとも、本気で狙うつもりとか?それはそれで楽しいわね、)  無明との約束。 「これ以上、誰も殺さない、殺させないで」  あの言葉。  その意味も。 (······この鳳凰の儀が終わったら、私は、)  まだはっきりと決めたわけではないが、無明のために力を使うのも悪くない。紅宮はもう自分がいなくとも問題ないだろう。皆があの場所を守って行けばいい。その土台はこの数十年で作り上げた。  姚泉という皮は、特に効果的だった。多くの人を心酔させる資質や雰囲気を、元々持っていたから。  姚泉、否、夢月は、目を細めて口元を緩めた。  そして思い出していた。  あの森の中で、助けてくれた鬼の事を。そのすぐ後、ひとでなくなった時の事を。

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