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3-3 お手伝い

 出立のための準備や使わせてもらった珊瑚宮の掃除や後片付けなど、清婉(せいえん)はひとり忙しく動き回っていた。市井(しせい)で新調した包丁を荷物の中に入れ、無明(むみょう)竜虎(りゅうこ)の荷物を整理し、ひと息ついていた頃。 「ただいま~」  例の如く、花窓の外から明るい声が響く。花窓の外、その先にある欄干にしゃがんだまま右手を振っているその姿に、清婉は真っ青になる。この珊瑚宮の外には狭いが囲むように縁側があり、さらにその外側にぐるりと赤い欄干が建てられているのだ。  そもそもこの宮が建てられている場所もかなり高い場所なため、高い所が苦手な清婉はそちら側には絶対に行かないようにしていた。前にも同じやり取りをしてそれを知ってるはずの逢魔(おうま)は、楽し気にこちらの反応を待っているようだった。 「あ、あぶないですから! 早く降りてください、逢魔様っ」 「大丈夫だって。俺、ひとじゃないし。鬼神(きしん)だし」  細身で右が藍色、左が漆黒の半々になっている衣を纏い、美しく細い黒髪は後ろで三つ編みにしていて、その先を赤い髪紐で結って背に垂らしている。左耳の銀の細長い飾りが揺れるたびに涼やかな音が鳴った。  二十代前半くらいの若い青年の姿をしていて、その声はどこか含みがあるが甘く心地好い。金色の瞳は初めは少し怖かったが、今では綺麗だとさえ思う。特級の妖鬼、狼煙(ろうえん)の通り名を持つ彼は、鬼神という精霊の類らしい。 「あなたは大丈夫でも、私は無理なんですっ」 「そうなの? 何事も経験じゃない? ほら、立っても平気だし? こうしたらもっと楽しいよ?」 「ひぃぃいっ⁉ なにしてるんですかっ!」  細い欄干の上にすくっと立ち上がり、逢魔は揶揄うようにその場でぴょんぴょんと飛んでみせた。どうやら清婉の反応が面白すぎて、調子に乗ってしまったようだ。  最後に欄干から飛び降りると、ふっと口元を緩めて花窓の縁に手を付いて、内側で真っ青な顔をしている清婉を見つめ、くつくつと喉で笑って頬杖を付いた。 「ホント、面白いよね~、清婉って」 「····本当に意地悪ですよね、逢魔様って」  大声で叫びすぎたのか、どっと疲れた表情で清婉がその場にしゃがみ込む。  冗談だとしても本当に止めて欲しい。こっちは一般人で、ただの従者なのだ。 「そういえば、今日はいつもの姿なんですね。なんだか久々な気も」 「うん? だってもう必要ないでしょ? まあ、無明が望めばどんな姿にもなるけど。子供の姿でも狼の姿でも、なんなら女性の姿にもなれるよ?」  清婉は思わず女性の姿に変化した逢魔の姿を想像しかけて、ぶんぶんと首を振った。 「変幻自在なんですね····本当にすごいです」 「まあね。五百年以上生きてるから、大概のことはできるよ。神子の力の影響下にいれば、その眷属はさらに強くなるんだ。守るための力が強くなるのは、好都合」 「逢魔様は、無明様が生まれた時からずっと見守っていたと聞きました。私は····昔の自分が悔やまれます。どうしてあの頃に気付けなかったのか、と」  紅鏡(こうきょう)の地で藍歌(らんか)や無明の従者として働いていた時、()れ者として"頭がちょっとあれな公子"であった主に対して、清婉はなるべく関わらないように自分の仕事をこなしていた。  それが仮の姿で、偽りで、周囲にそう思われるために演じていたこと。  本当の姿を理解しようともしないで、視界にすら入れないようにしていた。 「別にいいんじゃない? 無明はそれ自体を楽しんでたみたいだし。神子だって知った今も、なにも変わらずに清婉が無明の傍にいてくれるの、俺、嬉しいけど」  逢魔は感情の読めないいつもの笑みを浮かべ、落ち込んでいる清婉に向けて言葉を紡ぐ。 「あ····はい。それは、ありがとうございます」  へら、っと照れ笑いをして、清婉は頬を掻く。 「無明が大切なひとは、俺がちゃんと守るよ」 「ふふ。よろしくお願いします」  本来、神と名の付く者に対して、ひとは畏怖したり逆に過剰に信仰したりするだろう。しかしこの清婉という青年は、そういう風にはならないのだという安心感がある。平凡でごく普通の青年。だからこそ、信頼できるのだ。 「手伝うことはある? 俺、今、すごく暇なんだ」 「じゃあ、これで棚や机を拭いてもらえますか?」  わかった、と逢魔は花窓を乗り越えて部屋に入ると、清婉から雑巾を受け取り、鼻歌を歌いながら言われた通りに拭き掃除を始める。鬼神に掃除を頼むという、本来あり得ないことをさせているということにすら気付かない天然さ。それが愉快でたまらない逢魔は、言われた通りにお手伝いを実行する。 (掃除の手伝いなんて、神子や師父(しふ)と一緒に旅をしていた時以来かも)  神子である宵藍はそういう"お願い"をするのがすごく上手かった。その後でたくさん褒めてくれるので、幼い頃の逢魔は素直に喜んでいた。 (無明たちは光架の民を捜すって言ってた。つまり、一時的に二手に分かれるってことだよね?)  もちろん、逢魔は無明について行く。竜虎や清婉にはあのうさん臭い白獅子の虎斗(こと)が付き添うらしい。光焔(こうえん)から金華(きんか)までは数日険しい道を歩く必要がある。森に山に谷と、ひとの足ではなかなか大変な道のりなのだ。  途中までは一緒だが、金華の手前で無明と白笶、そして逢魔は竜虎たちと離れることになる。 (そういえば、仙術大会があるんだっけ? 各地の術士や公子たちが集まるんだよね。烏哭(うこく)のやつらがこの機を見逃すはずはないし、それは無明も危惧していた)  この地ではまったく動きを見せなかった烏哭。連中の目的が四神の契約をさせ、完全な神子になった無明の身体を奪うことだとして。最後の四神である青龍との契約の際に、なにか事を起こすつもりなのだろうか。 (光架の民に確かめたいことって、なんだろう)  無明はなにをしようとしているのだろう。肝心なことはなにも教えてはくれず、まるであの時の宵藍のようだと不安になる。晦冥崗(かいめいこう)で、自らを犠牲にして邪神を封じたあの時のように。  ひとりでなにかを抱え込んでいないか、それだけが心配だった。 (どっちにしても、俺は無明のために動く)  逢魔はひとり、花窓の外の青く澄んだ空に視線を向けた。

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