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3-4 金虎の第二公子

 ひと月前。紅鏡(こうきょう)の地。  先月で十九歳になった虎宇(こう)。五人いる宗主の子の中で唯一、父である飛虎(ひこ)に容姿が似ている第二公子。武芸に秀でている事もあり、見た目は細身だが日々の修練で鍛えられた身体と、高身長、鋭い目付きが特徴的で、弟や妹からは間違いなく嫌われているのだが、意外にも周りの術士たちからは尊敬されている。  宗主になるためにさまざまな努力をし、母である姜燈(きょうひ)に叩き込まれた公子としての意識の高さ、金虎(きんこ)の一族であることに誇りをもって生きている。その性格故に、弱い者や努力を怠る者に対して見下すふしがあり、特に無明(むみょう)に対して過剰に反応することが度々あった。  それは自分が血の滲むような努力をし、公子として術士として日々務めているというのに、無明が頭がおかしいのを良いことに、いつもふざけているようにしか見えず、それがますます虎宇を苛立たせる原因なのだった。  金虎の一族が纏う、袖と裾に朱と金の糸で複雑な紋様が描かれた白い衣を羽織り、長い黒髪を頭の天辺でお団子にし、余った分は背中に垂らしている。切れ長の紫苑色の眼は父に似ており、その顔に笑顔が浮かぶことはない。 「虎宇様、そろそろ時間です」 「わかっている」  第一公子、第二公子には専属の護衛がおり、いずれも術士としても優秀な者がその役目を担っている。羽織を几帳面に整え、こちらを見上げて小さな笑みを浮かべた自分よりも頭ひとつ分は背の低い彼は、ふたつ上の二十一歳。いつも平静で穏やかな表情の青年なのだが、その武芸の腕は自分に次ぐほどの実力者でもある。  従者は黒を纏うのがこの一族の決まりだが、公子付の護衛が纏うものは特別で、黒を基調としているのは同じだが、襟首に近い上の方に太陽のような白い模様が描かれた衣を纏っている。  色素の薄い紫苑色の瞳。名を(てん)といった。薄茶色の長い髪の毛を上の部分半分だけ結い、他は背中に垂らしている。白い髪紐には銀の糸で刺繍がされており、彼の容貌の美しさに合わさってさらに優雅さが増して見えた。  第一公子である虎珀(こはく)の所に仕える(るい)という名の護衛は、優秀ではあるが無礼な奴で、絶対に自分とは合わないだろうといつも思う。あの、なにかを企んでいるような含みのある物言いも気に食わなかった。それに比べ、天は気が利き、なにも言わなくても意図を汲んで動いてくれるし、他の者たちと違って遠慮せず助言もしてくれる。  虎宇がこの邸で心を許せる、数少ない存在でもあった。 「この時期に呼び出されたということは、やっぱり金華(きんか)の仙術大会のことでしょうか。私も何度か参加させていただきましたが、あれは本当に良い経験になります」 「白冰(あいつ)が参加しない仙術大会なんて、勝っても意味がない」 「今年はどうでしょう。まあ、 白冰(はくひょう)公子は参加しないでしょうけど、白笶(びゃくや)公子は参加資格はありますよね?」 「あいつはそういうの興味ないだろ。あれ以来一度も参加していない」  白群の第一、第二公子は群を抜いており、誰も彼らには敵わなかった。今でもその順位は変わっておらず、虎宇はいつまでも三位のままなのだ。 「俺も今年は参加しない」 「そうですか、残念です」  歩きながら、他愛のない話を交わす。  いつまでも自分が参加枠をひとつ奪っていては、他の術士たちが育たない。虎宇は自身の修練をこなしつつ、他の術士たちの修練をみている。宗主である飛虎(ひこ)や術士でもあった姜燈が去年までやっていたことを、虎宇が引き継いだのだった。それは飛虎の意向で、虎宇も望んだことだった。  廊下を歩いていると、唐突に宗主付きの従者が目の前に現われ、虎宇に向かって拱手礼をしてきた。 (いつも思うが、この爺さん、只者じゃないな····)  本邸はとても広く、知らない者はもちろん、来て間もない従者は必ず迷う。それくらい部屋の数も多く、入り組んだ廊下やわざと迷わせるための工夫がされてある。同じような通路がいくつもあって、そのどれかは行き止まりだったりするのだ。  宗主や本妻である姜燈の部屋に関しては、お付きの従者しか解らないようになっている。公子たちでさえも、ひとりで訪れることはない。呼ばれるか、予め約束をして、従者に案内してもらうのが規則となっているのだ。  目の前の背の低い高齢の従者。気配もなく現れた老巧な従者に、虎宇は動揺を見せないように振る舞う。内心は驚かされて心臓がばくばくしていた。 「こちらへ。宗主がお待ちです。お付きの者も共にと、許可はいただいております」  虎宇と天はお互い顔を見合わせて頷き、すでに歩き出している老人の後ろを見失わないように早足で追う。あの老人、本当に老人だよな? と虎宇は眼を細める。残像を残すようにすぅっと前を行く老人。長い衣のせいで足元が隠れていることもあり、ますます幽霊かなにかに思えてきた。  しばらく薄暗い廊下を右へ左へと曲がり、ふたりはやっと扉の前に導かれる。老人はそれ以上先には行く気はないようで、虎宇は自ら扉に手をかけた。 「来たか。そこに座るといい」  威厳のある眼差しで、飛虎の低い声が響く。低い文机に広げていた書を畳み、視線だけで虎宇を座るように促す。正面に用意された円座に座り、天はその後ろに控えるように床に直接座った。 「ふたりを呼んだのは、他でもない、今年の仙術大会のこと。それからもうひとつ、重要なことを伝えるためだ」  飛虎はいつも以上に生真面目な表情で、深刻そうに言葉を紡ぐ。虎宇はそれに対して少なからず疑問を抱き、天はただ静かに状況を見守っていた。 「今回の仙術大会の代表者の選出と、その指導をお前に任せたいと思う」 「····俺に? 父上の代理として、ですか?」  本来、代表者の選出は宗主が行うことになっている。その代理を自分に任せる、と飛虎は言っているのだ。その意味に、虎宇は思わず怪訝そうに眉を顰めた。 「虎宇、いずれお前に宗主の座を譲ろうと思っている。もちろん、すぐにとは言わない。私になにかあった時、不要な争いが起こるのを防ぐためだ。そのことを肝に銘じ、今後とも精進して欲しいと思っている。お前は少し冷静さに欠けることがあるから、そこは天がうまく制御し支えて欲しい」 「····父上、なにかあったのですか?」  虎宇は率直に疑問を口にした。今まで宗主になるためと母に教え込まれてきたが、急にその道が確かになったことを喜ぶどころか、寧ろ不安の方が強くなる。  まるで、自身になにか起こるとでも言いたげで。 「竜虎も今回の仙術大会に参加させる。残りの四人はお前に任せたぞ」  正直、竜虎にはまだ早い気がする。いや、そんなことよりも。 「父上、ちゃんと説明してください」 「お前は、無明をどう見る?」 「は? あの()れも····あいつのことがなにか関係あるんですか?」  話を逸らされ、飛虎がこれ以上詮索されたくないのだろうということはわかった。わかったが、なぜあの痴れ者の話になる? 「····あいつは、いつもふざけたことばかりする。頭が悪いふり、なにもできないふり、痴れ者のふり。あいつは嘘ばかりで、俺は嫌いです」  偽ることなく虎宇ははっきりと言う。  気付いていた。あの姿は嘘で、偽物だと。だからこそ腹が立つ。苛立つ。 「それでいい。お前はやはり宗主に相応しい」  飛虎はそう言って優しく眼を細めた。その表情は幼い頃に何度か見た父の顔で、久しく見ることがなかったもの。虎宇はそれ以上なにも言えず、説明もなく受け入れるしかないことを知る。  いったい、なにが起こっているのか。  それを知るのは、もう少し後のこと。

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