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3-19 石が転がるように

 ちょうど村へ足を踏み入れようとした時、遠くの方から男の悲鳴が上がった。ふたりは顔を見合わせて頷き、その悲鳴の方へと駆ける。恐怖に慄くような叫び声を聞いても他の民家から誰かが出てくる様子はない。今起こっている一連の怪事件を思えば、恐ろしくて外に出られないのは当然だ。 「陣に反応がある。宿の近くみたい」 「急ごう、」  店主の声ではなかったのでひとまず安堵するが、他の誰であってもこれ以上の犠牲は出してはならない。状況的に最後の生贄が今まさに捧げられようとしているのだろうが、それを防ぐことがふたりの目的でもある。  発動した陣の方へ向かうと、その陣から伸びた白く光る縄のようなものに四肢を拘束された男が、ぎゃあぎゃあと獣のような叫びを上げて陣の上で暴れていた。  宵藍(しょうらん)は懐から符を取り出して、ふぅと息を吹きかけるとその符を陣の方へ放った。符が陣を越えて男の胸元に貼りついた瞬間、首、両腕両足を拘束するように五つの輪が現れ、さらに強く男の身体を締め上げる。 「さあ、出ておいで」  印を結び、優しい笑みを浮かべて宵藍が囁く。男の身体がぐったりと力を失くし、ゆらりと黒い靄が這い出てくる。それとほぼ同時に、禍々しい陰気な気配が辺りを覆い始めた。  陣がひび割れ、拘束していた男の姿に重なって乱れた長い黒髪の女の姿が浮かび上がる。そこに現れたのは、だらりと腕を下げ俯いた状態で佇む女の幽鬼だった。  死装束を纏ったその女は俯いたまま静寂を保っていたが、急に耳を劈くような咆哮を上げて自分の周りの地面を陥没させた。 「ごめんね。その望みを叶えさせることは、できないんだ」  宵藍に向かって来た女は、鋭い爪を立て勢いよく襲い掛かってきた。しかしその爪は黎明(れいめい)が持つ双剣の霊剣、双霜(そうしょう)によって受け止められ、そのまま弾き返される。双霜は通常の霊剣に比べて少し短いが、攻撃と防御の両方に優れているのだ。 『邪魔しないで····あのひとが······もう少しで、』  女は弾かれ、後ろへ不自然に曲がった身体をふらりと起こす。 「諦めて」 『うるさい····っ!』  女の幽鬼は再び宵藍に向かって襲い掛かって来た。後ろに軽くかわして符を数枚宙に投げる。女を囲んだ符は緑色の炎を上げてそのまま霊体だけを包み込むと、乗っ取っていた男の身体から強制的に弾き出された。  男は意識を失ったまま地面に膝を付き、前のめりに倒れる。同時に女は悲痛な声を上げながら同じく地面に倒れ込んだ。 『はあ····はあ·····赦さない! その男を、殺す····殺す、こ····ろ、す····っ』  女は地を這いずりながら倒れている男に手を伸ばすが、遮るように黎明が立ちはだかる。何の感情もないその青みを含んだ灰色の眼は、女をただ見下ろして、それから霊剣を振り翳した。  女の幽鬼は、十字に放たれた重力を帯びた霊剣の刃によって消滅する。悲鳴を上げる間もなく、塵すら残らなかった。黎明は霊剣を消し、倒れている男を見下ろして言い放つ。 「こいつには、相応の報いを受けさせる」  黎明は無言で立ち尽くす宵藍と視線を交わす。まだすべてを解決したわけではない。 「ごめんね······、」  悲し気なその瞳。いつもそうだ。幽鬼だろうが、妖者だろうが、鎮めた後に見せるその表情。まるで全部自分のせいだとでもいうような、そんな自虐的ななにか。 ******  それは、些細な出来事だった。  言い合いになり、感情的に突き飛ばされたその身体が地面に叩きつけられる。  動かなくなった男を揺さぶると、後頭部が血で濡れていた。叩きつけられた地面にたまたまあった石がその男の命を奪ったのだ。  五人の若者は、焦った。殺しの罪は重い。だが小さな村だ誤魔化す方法はいくらでもある。手っ取り早いのは怪異の仕業にしてしまうこと。  若者たちは一度家に戻り、各々鉈や斧を持ち寄ると、息絶えている男の身体を押さえ、首、両腕、両脚をバラバラに切断した。そして切断した部位を震える腕でひとりひとり抱えると、首以外の部位をそれぞれ別の場所に埋めた。  最後に残った首はそのまま竹林に残し、血で濡れた石は掘り起こして川に捨てる。男の顔は驚愕したままの表情を残し、枯れた笹の上に転がっていた。  行方知らずとなった男はこうして怪異の仕業に仕立て上げられる。他の村人たちが術士に相談するかどうか話し合う場所で、呼ぶ必要はないだろうと五人の若者たちは提案を却下した。  真実は五人以外知るはずがなかった。夫を失い気の狂った女が首を吊ったことに関してはさすがに後味が悪く、男たちは墓を掘って埋葬してやることにした。  だが、そこから悪夢が始まった。  関わった者たちが次々に死んでいく。男の復讐か、女の怨念か。ひとりまたひとりと殺される。  しかも自分たちが切断し、埋めた部位と同じ場所を引き千切られて。それは恐怖でしかなかった。目が覚めた時、生き残ったことをほんの一瞬喜び、そして後悔する。すべてが暴かれ、これから自分の罪を問われることになるだろう。  生き残ったのも束の間、若者は姮娥(こうが)の術士に拘束され、二度と村に戻ることは赦されなかった。

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