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3-20 選択

 朝になり、村から一番近い位置にいた術士たちに男を引き渡し、男は姮娥(こうが)の一族が管理する罪人を収監する洞に連れて行かれることになった。  怪異は鎮められ、裁かれるべき者も暴かれた。宵藍(しょうらん)たちは夜が明ける頃に再び女の墓へ行き血陣(けつじん)を清め、本来の墓の状態に戻してやる。最後にうっすらと土の上に積もった雪を掃い、供物を供えた。  黎明(れいめい)は宵藍の肩に手を添え並んで歩く。飛んで行っても良かったのだが、ゆっくり帰ろうと言われたのでそれに従った。少し霞がかった朝焼けに瞼を細める。  辺りは肌寒く、宵藍の肌が白磁の陶器のように透き通って見えた。もう少しで村が見えるだろう距離で足を止めて、翡翠の瞳が見上げてきた。 「相談があるんだけど、」 「あの幼子のことか?」  なんとなく、だが。黎明は訊ねる。目下、残った問題はひとつだった。あの金眼の幼子をこのまま村に置いてはおけない。 「姉上に頼んでみるが····鬼子(おにご)を一族で保護するのは難しいかもしれない」  他の一族や術士たちの目もあるし、なにより今まで前例がない。姮娥の一族は代々女宗主で、現宗主は黎明の六つ上の姉である暁明(きょうめい)が担っている。 「だからね、私たちが一緒に連れて行くのはどうかなと思って」 「それは、同意できない」  神子を危険に晒すようなものだ。鬼子は陰の気を引き寄せる。つまり妖者や妖鬼、妖獣までも引き寄せるかもしれない。いくら自分たちが力を持っていても、万が一ということもある。 「もし、君とあの幼子のどちらかを救わなくてならなくなったら。君が望まなくても、俺は迷うことなく君を選ぶ」  そうなればやはり傷付くのは宵藍なのだ。それに、この旅は幼子には過酷すぎる。 「けれど····もう決めているんだろう?」  呆れているわけでも、諦めているわけでもなく。むしろ尊敬している。一度決めてしまったら、もう、どうしたって動かないのだ。 「ごめんね、いつも」 「本当にいいんだな? 俺は一度止めたからな?」  うん、と宵藍は小さく笑った。それはどこかほっとしたような表情で、黎明はもう何も言うまいと心に決めた。  視界の先に村が見える。吐く息はお互い白く、繋いだ手は冷たかった。自分たちが付けた足跡を辿るように、ふたりはゆっくりと歩を進めた。 ******  宿に戻ると店主と幼子が出迎えてくれた。朝餉には早い時間帯だったので、幼子の今後についての話をして、自分たちが責任をもって引き取ると約束した。その上で身なりを整えるべく、まずは風呂に入れてやろうということになった。  店主が自慢していた温泉は、竹を縦に隙間なく括って作られた囲いの中にある露天風呂で、周りを囲む歪な石は黒っぽく乳白色の温泉が特徴的だった。頭や身体を洗ってやり、汚れをしっかり落としてあげると、ぼさぼさで固くなっていた髪の毛もなんとか通常の柔らかさを取り戻した。 「よし、いい感じになったよ」  幼子と宵藍はそれぞれ低い木の椅子に座り、前を向いて並んでいる。今は大人しく洗われているが、最初は恥ずかしがってイヤイヤと首を振っていた。そのこともあって、すっかり綺麗になった幼子の姿に思わず嬉しくなったようだ。  宵藍は後ろに立つ黎明の方をそのまま見上げて、満足げに笑みを浮かべた。単衣(ひとえぎぬ)の腕を捲り、紐で括って落ちないようにしているが、所々飛沫(しぶき)で濡れていた。  髪の毛もいつもはひと房しか結んでいないが、今は頭の天辺で赤い紐で結び、さらにお団子にして纏めていた。その姿だけ見れば幼子を風呂に入れる若い母親のようだ。  黎明はそのまま後ろにひっくり返らないように、じっと壁の如く佇み見守っている。 「衣は店主の息子さんのお下がりがあるそうだから、都に着くまではそれを纏うといい、」  どうやらこの宿の料理を任されているのが、店主の息子だったらしい。怪異も治まったので、都の実家に戻している息子の嫁と子どもたちや、暇を出していた者たちを近いうちに呼び戻すと言っていた。  脱衣所で身体を拭き、用意してくれていた臙脂色の衣を着付ける。膝を付いて幼子の髪の毛を布で拭きながら、宵藍は目を細め優しい笑みを浮かべた。 「あとできちんと整えてあげるからね?」  首を傾げて幼子はぱちぱちと瞬きをする。前髪がかなり長く鼻の辺りまであり、後ろや横の長さも疎らだった。 「黎明、この子に先に朝餉を食べさせてくれるように店主に頼んでくれる?」 「すでに手配している」  抑揚のない声でふたりを見下ろして返答する。 「ありがとう。じゃあ綺麗になった君を見てもらいに行こうか、」  立ち上がり、長い前髪に触れてとりあえず真ん中で分けて耳に掛けてあげる。小さな手を繋ぎ、宵藍は奥の方へと歩いて行った。黎明はその後ろ姿を無言でついて行く。 (神子は家族をもたないから、その反動だろうか)  最初の神子が後に光架(こうか)の民と呼ばれるはじまりの子を産んで以降、伴侶をもつことも、子どもをつくることもなかったとされている。その理由は本人以外誰も知ることはないし、語られることもなかった。故に、黎明が問うこともない。 「これはこれは。見違えましたよ。十年後が楽しみですね」  姿も衣も綺麗になった幼子の頭を皺くちゃの大きな手で撫でて、店主は笑う。食堂の一角の机に用意した朝餉の前に誘導し、後はふたりでゆっくりどうぞと促す。 「じゃあまた後でね、」  手を振って食堂を後にすると、再び露天風呂の方へと足を向ける。渡り廊下を並んで歩きながら、黎明の左腕に自分の腕を絡めると、ふふっと笑った。 「楽しそうだな、」 「うん! 楽しみっ」  黎明は思っていた反応と違っていたため、首を傾げる。幼子との時間に対して、言ったつもりだったが、なぜか現在進行形である。 「君とふたりで温泉なんて、楽しみしかないよ」  弾むように歩き出した宵藍に、黎明は胸の辺りがどくんと高鳴るのを感じた。表情に出てしまうほどのその感情の騒めきに、口元を覆いながらバレないように横を向いた。 (····不意打ちだ)  それは自分だけに向けられたもの。  気付かぬうちに幼子に嫉妬していたのだ。子どもみたいなその独占欲が恥ずかしい。  その笑顔がどこまでも愛おしい。  宵藍だけが、自分のセカイに彩りを与えてくれる。このまま永遠に傍にいられたら、どんなに幸せだろう。  しかし自分がひとである限り、いつかは終わってしまう時間。ふと考えてしまうそんな不安さえ今は目を瞑って。  君がいる。  それだけが自分のすべてなのだと。

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