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3-23 師父と手合わせ
―――――十五年後。
あの日から長い年月が過ぎた。相も変わらず怪異を鎮める日々だが、五年前から逢魔 も本格的に手伝うようになった。
本当はもっとずっと前からひとりでこっそり(たぶんバレてはいたのだろうが)中級くらいの妖鬼を倒したり、低級の妖者を鎮めたりしていたのだが、 念願の公認での手伝いは十五になってからだった。
幼かった鬼子 も、今となっては立派な青年である。二十歳になった逢魔は、誰もが振り向くような絵に描いたかのような美しい青年に成長し、背も伸び、黎明 と並んでもほとんど差がない。
細くて長い黒髪は後ろで三つ編みにされており、幼い頃に宵藍 に貰った赤い髪紐がその先に蝶々結びで飾られていた。
姮娥 の女宗主が特別に仕立ててくれた右が藍色、左が漆黒と半々になっている衣を纏い、左耳には銀の細長い飾りを付けていて、揺れると微かに音が鳴った。涼し気な金の瞳を恐ろしいと思う者は誰もおらず、それは神子や黎明がいかにこの国の者たちに信用されているかを物語っている。
「師父 、神子はまだ帰ってこないの?」
湖水の都である碧水 は、清々しいほど善人が多く、人の怪異はあまり起こらないが水妖や自然の怪異が多く起こる土地だった。
白群 の真面目な術士たちもそうだが、宗主、公子までもかなりの堅物で、どんな小さな怪異も見逃さないためこちらの仕事がほとんどなく、ここに来てもう何日も暇を持て余していた。
邸のひとつを提供されており、逢魔と黎明はふたりで留守を任されている。神子は朝から各地から集まった宗主たちと話し合いをしており、もうすぐ昼の鐘が鳴る頃になっていた。
師父、と逢魔は十五年前から黎明を呼んでいる。
本当は神子に拝師 の儀式をして生涯の師として教えを請いたかったが、神子の術式は他の一族の者たちとは違うし独特なため、教える術がないという理由で断られた。なので、仕方なく黎明を師父として仰ぐこととなったのだ。
しかしながら黎明の教え方は思いの外上手く、武術の腕はもはや五大一族の公子たちでさえ敵わないほどとなった。ふたり並ぶだけで妖者たちが一目散に逃げてしまうほどだ。
「師父、あんた本当に神子のお願い に忠実だよね。待っててって言われたら、本当にじっとただ待ってるだけなわけ?」
黎明はもう長い時間、姿勢を正して瞑想している。半刻は逢魔も同じようにやっていたがすぐに飽きてしまい、笛を吹いたり寝そべって書物を意味もなく捲ったり、適当に筆で絵を描いたりしていたのだが····。
それさえも飽きてしまい、最後の手段として黎明にちょっかいを出し始めた。師父と仰ぐ者にそんなことをするのは逢魔くらいだろう。そもそも言葉遣いも態度も本来師に対するものではない。
しかし黎明はそれに対してなにか言うこともなく、ただ真面目に自分が教えられることを手を抜くことなく教えてくれる。十五年経っても容姿は変わらず、衰えもまったくない。霊力の強い者は歳をとっても神仙のごとくで、それは黎明も宵藍も同じのようだ。
「しーふー。じゃあせめて稽古をつけてよ。身体を動かしていれば少しは気が紛れる。俺を助けると思って、ね?」
「······まるで大きな子どもだな」
はあ、と嘆息し、やっと黎明が口を開いた。幼い頃は今よりずっと生意気で腹が立つような行動をすることが多かったが、口数は少なくていつも神子の後ろに隠れているような子どもだった。
強くなりたいという気持ちはあって、修練に対しては真面目に取り組み、すぐにその頭角を現す。それがどう転んだのか今となってはこの有様である。その声は無駄に甘く、しかし嫌みのない声。ただ、ひと言ひと言が軽い。なので何を言っても冗談を言っているようにしか聞こえない印象を持つ。
人に好かれる容姿や性格で誰に対してもこんな感じだが、他人に対してのものと自分たちに対してのものはわかりやすく違う。
特に神子に対しては番犬の如くで、興味本位で近づく者を一切寄せ付けない。笑顔で接していても、実のところ心の内は自分たち以外は有象無象だとでも言うように、まったく気にも留めないのだ。
「····では、手合わせでもするか」
「賛成。じゃあ今回の条件は?」
邸の縁側から庭に出て、黎明はその辺りに落ちていた枯れ木を手にして地面に円をふたつ描いた。季節は秋。庭の木々は朱や黄色、紅に染まり、立派で手入れの行き届いた池の中に、銀杏の黄色い葉っぱが浮かんでいる。
「この円から出てはならない」
「いいね。面白そう」
「素手と脚のみ使用可。円から出たら負けだ」
先に右の方の円に入り、黎明は相変わらずの読めない表情でそこに立ち尽くす。ぴょんと片足で円に飛び込むように入ると、逢魔は両手を腰に当てて、笑みの浮かんだ顔で正面を見据えた。
「年寄りには負けないからね」
「そんなものは関係ない」
知ってる、と軽く笑って逢魔は肩を竦めた。黎明は強い。五大一族の中で一番であるだけでなく、神子の華守なのだ。強くないわけがない。
現に未だに一度も勝ったことがなく、悔しいというよりは楽しくて仕方がなかった。
ふたりの間を葉っぱがゆらゆらと舞い落ちる。それが地面に着いた瞬間、ふたりは常人の目には止まらない速さで、それぞれの攻撃を仕掛けたり受け流したりを繰り返す。
逢魔が繰り出す突きや蹴りを、涼しい顔で黎明がすべて受け流してくる。どこを狙っても躱され受け流されてしまうのだ。青みのある灰色の眼は、規則性のない自由奔放な逢魔の攻撃のひとつも見逃さず、呼吸も一定で息ひとつ切らさない。
逢魔もどこを狙っても避けられるとわかっているからか、顔面を迷いもなく手刀で狙ってくる。同じように遠慮なしに黎明も受け流した手でそのまま胸を狙って突き出す。
そんなことを半刻も続け、その少し前に戻って来ていた宵藍は、庭先で遊んでいるふたりを楽しそうに眺めていた。
それに気付いていた黎明が容赦なく逢魔を蹴り、両手を盾にして交差して受けた身体が円から右脚半分押し出されることで、やっと手合わせに終止符が打たれる。
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