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14話(4)
何が腹立つって、もう言ってること全てに! そこまで言われる筋合いはない。それに衣食住提供してやってるって……毎月金払ってますが、何か? そんなこと言うなら、提供しなくて結構だ。
ノートパソコンの入ったキャンパスバッグとショルダーバッグを持ち、勢いよく、進み歩く。皐の家は行けない。結婚を控えている。
となると、自分の家へ帰るしかない。何年振り? うーん、5年くらいは皐の家に居た気がする。となると6年振り? あぁ、そういえば皐が勝手に合鍵作って、1ヶ月に1回手入れしてくれていたなぁ。今もしてくれているのだろうか。
持ち家はある。ただ、1人じゃまともに生活が出来なくて、恋人ができると、同棲を繰り返す。放浪作家だなんて言われても仕方がない。
駅まで辿り着き、タクシーに乗りこみ、行き先を伝える。3日程度離れて過ごし、佐野家へ戻ろう。それだけあれば怒りもおさまるはず。まぁ、別に良いんだけどね。
どうせ書くこと以外、何も出来ないのも事実だし。言ってきたことに対し、色々言いたいことはある。でも、もう、どうでもいい。会いたいとは思わない。まだ、距離は欲しい。
左手に、はまる黒い指輪を眺める。好きじゃなくなった訳ではない。好きだからこそ、言われたくなかった。今だけは外したい、この指輪。そっと指から引き抜き、パンツのポケットに入れる。
「着きましたよ」運転手に言われ、会計を済まし、タクシーを降りる。マンションに着いた。エントランスで黒髪の小さな女性が鞄をひっくり返して何かを探している。
「何してるの」人肌恋しくなり、後ろからぎゅっと抱きしめる。
「弥生? 何故ここにいる」皐が振り返る。
「それはこっちのセリフだと思うけど?」
「それも、そうだな。鍵が見つからなくて、困っていたんだ」こちらを見るなり、安心したように、鞄へ荷物を仕舞い始める。
「これじゃなくて?」自分の足元に落ちているキーケースを拾い、皐へ渡す。
「あぁ、これだ。ありがとう」抱きしめていた腕を離し、散乱した荷物を一緒に仕舞う。
こういうことやるから女の子が好きとか言われるのかな。いいよ、もう好きで。どうせ全性愛 ですから。睦月さんが好きなのに。
カギを差し込み、ロックを解除し中へ入る。皐も当たり前のように着いてくる。
「うちへ来るの?」皐に訊く。
「あぁ、そうだよ。あそこは私の秘密基地だからね」口元に笑みを浮かべた。
部屋に入ると分かる。手入れされている。埃は積もってないし、ゴミもない。皐がずっと維持してくれていたのだろう。私が最後、家を出た時は、服は脱ぎ捨て、食べたものは放置し、床には本と原稿が散らばり、とても人を呼べる状態ではなかった。
「手入れ、ありがとう」鞄を椅子の上に置く。
「どう致しまして」皐は床に鞄を置いた。キッチンへ向かい。戸棚を開ける。
「何か飲むか? 弥生」紅茶を取り出し、お湯を沸かす。
「紅茶しか飲む気ないくせに」キッチンへ行き、食器棚からティーセットを取り出し、キッチンカウンターへ置く。
「そんなことはないよ」ティーポットにお湯を入れ、カップへ注いでいく。
はぁ。何かあると皐に行き着いている気がする。紅茶が入っているティーカップを持ち、ソファ前のコーヒーテーブルに置いた。
「ここに居るということはケンカでもしたのか?」蛇腹になった原稿を片手に紅茶を飲みながら如月へ訊く。
「そうだね。まだ睦月さんは精神的に幼いから。距離を置きたくなる時もある」紅茶に口をつけ、皐の持っている原稿を覗き、目を通す。私の原稿ではないな。
「そうか。私は気後れしてしまったよ。結婚に。湊は歳の割には、しっかりしている」紅茶をテーブルに置き、原稿を如月に押し付ける。
「……弥生はもし私と結婚することになって、私が両親への挨拶をしたくないって言ったらどうする?」真っ直ぐこちらを見つめてくる。何突然……。
「しないよ。必要あるの? 挨拶とか」常識性を問われても困る。
「あはははっ!!」普段あまり声を出して笑ったりすることはない皐が笑い出し、驚く。
「変なこと言った?」むしろ余計なことを言った説。
「私と同じことを言った。面白いね、弥生は」皐は質問を続ける。
「買った指輪が要らなくなったらどうする?」何この質問。ふと、皐の薬指を見る。指輪はしていない。神谷はしていた気がする。
「付けない。不要なら売った方がいい」飲んでいたティーカップをテーブルに置く。
「私が式を挙げたくないと言ったらどうする?」なんかこわい。
「え、挙げない」式とか今時要るのだろうか。
「今更結婚をやめたいと言ったら?」これは……答えたら何か影響があるのでは?
「……私は……別に独身貴族で構わないので……。ただ、進めている結婚を愛している人にやめたいと言われたら、やめるかもしれない。お互いが愛しているなら、結婚という形にこだわらないで、事実婚はアリだと思っている」どうせ私は睦月さんとは結婚できない。その辺は寛容なつもりだ。
「弥生、結婚しよう」ぇえ……。
「弥生が結婚したいって言ったら、すぐ湊と別れるのに」皐は如月の手から原稿を取り、シワを伸ばし、再び紅茶を飲む。
本当に? 結婚したいと言ったら、別れるつもりなのか? 私への気持ちは消え失せ、神谷へ気持ちが移ったと思っていた。まだ私のことを愛しているというのか? 気持ちが残っているのなら、手放したくはない。
隠されていた嫉妬の欠片が心の奥からこちらを覗く。
「何言ってるの。神谷さんと結婚するんでしょ」醜い気持ちを抑えながら、頭を優しく撫で、なだめる。
「湊とは価値観が合わない」目を閉じ、如月の肩にもたれかかる。
「所詮、他人なんだから、全く同じ価値観は無理でしょ」
皐も苦しいんだな。悩んでることは違うが、以前は感じられなかった、葛藤する人間らしさを感じ、愛おしく思える。
性別、セクシュアルマイノリティ問わず、好きになった人が好き。
likeとloveの混同。皐へ感じるとても複雑で歪んだ気持ち。睦月との距離。指輪が外れたことで想いの抑制が効かなくなる。もう、夜遅い。深夜が気分を高揚させ、理性を狂わせる。
「皐、なんで結婚するの? 嫌ならやめれば。私のことを愛してるんじゃなかったの?」あぁ、なんて醜い嫉妬。皐をソファに押し倒し、問う。皐の手からティーカップが落ち、静かに割れた。
ぱりん。
割れる音と共に自分の中で眠る、抑え付けていた汚い感情が目を覚ます。皐が私へ執着しているように、私もまた、皐に執着しているのだ。
「私だけを愛し、生涯独身を貫くんじゃないの?」見つめていると飲み込まれてしまいそうな漆黒の瞳を見る。
「私を捨て、あの男と付き合っておいて、今更何を言っている。弥生」薄く笑い、如月の頬に触れる。
「それはそれ、これはこれ」触れた手をそのまま握る。
「ねぇ煽ったの? 私のことを」握った手を口元まで運び、手の甲に口付けする。
「さぁ? どうだろうね」皐は溢れてしたたる紅茶の水滴を人差し指と中指で取り、自分の頬に付け、ゆっくり伸ばし、妖しく笑う。最艶だ。
「結婚なんてしないで、一生私だけを愛してよ。皐」頬につけられた紅茶の滴を舌で優しく拭き取る。
「……私が愛したところで、お前が愛するのは、あの男に変わりはないだろう?」皐は何かを確かめるように訊く。
「そうだね、私からは愛さない。体を重ねることもない。それでも、想い焦がれて私だけを愛し続け、手に入らない愛を、ずっと捧げてよ」皐の髪に指を通し、梳かすように撫でる。
「理不尽過ぎやしないか、弥生。だが私は弥生からの真っ直ぐな愛は要らない、それでいい」ふ。皐の口元が緩む。
「……湊は常識に囚われる。やっぱりこれぐらいの愛を表現してくれないと私には物足りないよ」歪んだ笑顔を如月に向ける。
「私の前で他の男の話をしないでよ。皐はずっと私のモノだ。誰にも皐の気持ちは渡さない」あぁ、私の可愛い皐。皐の頬に自分の頬を当てる。
「歪んでいるな、弥生は。何色でも染まりやすい|睦月 の前では隠しておいた方がいい」皐は続ける。
「悪いが、事実婚程度はするよ、弥生。私は| 死ねばいいと言った湊 の狂気が見てみたい」足の裏で、如月の膨らんだところを押す。
「ちょ……何して……やめて」押し殺していた歪んだ愛を吐き出したせいで昂っている。
「たってるなぁって。お互い恋人がいるからセックスは出来ないからなぁ。マスターベーションのし合いでもする?」ぇえ~~。
「んーー……久しく1人でしてないから抜けないと思う……」もうやり方忘れた……。
「いいよ、口でしてあげよう」如月は皐の上から降り、ソファに座った。
「……じゃあ、扇情的に色欲を求めながら艶やかに乱れてシて?」皐はソファから降り、如月の前にしゃがむ。
「難しい要求だな。出来なくはない」
真っ当には愛さない、けど、愛して欲しい。愛している、けど、純真に愛されたくはいない。私たちを蝕み、ずっと縛っているもの。お互い恋人が出来、一瞬薄れたかと思ったが、その捻じ曲がった絆は消えはしない。
2人の時間を積み重ねれば、積み重ねる程、関係は歪み、深く、深く、結びつく。愛するから、愛される。歪 な愛の絆。
身に纏うもの全てを乱し、心までも熔 かす婀娜やかなマスターベーションと口戯が目の前に繰り広げられる。
「ーーーーっ」女性の口に出すのは失礼な気がして、避けているが、今日はこれも一興。
全てが終わると失われた理性が戻り、冷静になる。心の中に潜む黒く醜い魔物はひっそりと姿を消した。
「皐、ごめん。結婚して大丈夫だから!!」肩を掴み、揺する。
「ほんと、ごめん。変なことやらせた。き、気持ち……よ、良かったけど……ぁあああぁあ!!」自己嫌悪で頭を押さえる。
「さっきとは別人格だな」皐は乱れた服を直し始める。
「ねぇ、弥生」
「今日の言葉に嘘偽りはないのか?」真っ直ぐお互いを見つめ合う。
「ないけど、何か?」上から見下すような笑みを浮かべる。
「あぁ、結構、結構。安心したよ、弥生」
無邪気に笑う皐の笑顔。その目の奥に愛への狂気が垣間見えた気がした。
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