55 / 102

14話(5)

 ーー翌日  いつもより早く目が覚める。寝つきが悪く、寝不足感は否めない。布団から起き上がり、玄関を見に行く。如月の靴はない。はぁ。いや、うん。俺が悪かった。いくらなんでもあんなこと言うべきではなかった。それしか思い浮かばない。  スマホを開き、如月のやり取りの画面を開く。送った内容、全て既読無視。返事が来ないから、鬼のようにメールを送る。自分でも分かる、最早、メンヘラ。 【どこにいるの?】既読。 【なんで出て行くの?】既読。 【いつ帰ってくるの?】既読。 【誰といるの?】既読。 【1人なの?】既読。 【今日は帰ってくるの?】既読。 【まだ怒ってるの?】既読。 【話し合いたいんだけど】既読。 【さびしい】既読。 【如月返事ちょうだい】既読。 【電話していい?】既読。  送った全てのメールに既読がつく。返事は来ない。でも、今既読がつくってことはスマホを見ている。電話してみよう。通話のボタンを押す。 『はい』繋がった。出てくれた。 「……話し合いたいから、帰ってきて」ごめんの一言が出てこない。 『……メール、うざい。少し放っておいて。そのうち帰るから』うざい……。声が冷たい。 「そのうちっていつ? 今日? 明日? 明後日? ねぇ、今どこにいるの? ねぇ1人なの? それとも誰かと」ツーツー。切れた。あう~~。  うざいか。え、うざいの? 俺、うざいの? そうなの? だって、だって~~、仕方ないじゃあ~~ん。まぁ声聞けただけ良しとするか。とりあえず、朝のルーティンを行おう。  ーーーーーーーーーーーー  ーーーーーーーー  ーーーー  ーー経理課、オフィス 「神谷、おはよう」椅子に座っている神谷に声を掛ける。 「あぁ……おはよう」どこか上の空だ。 「何かあった? 大丈夫?」ぶっちゃけ、他人のことを気にかける余裕はない。 「まぁ……皐が出て行っちゃった……」ん?  皐も家出している? 今までの経験則から直ぐに勘づく。2人は絶対に一緒にいる! 「神谷、あのね。如月も家出中なの。どこ行ったか知らない?」皐への嫉妬で顔が歪む。 「知らんがな~~。あ、でも如月さんって自分の家あるんでしょ。帰ったんじゃないの」神谷は机に伏せ、ため息をついた。 「え? 家あるの?」初耳だ。家あるなら、いちゃつけるじゃん! 「恋人に対して無関心すぎでしょ。前も思ったけど、佐野ってさ、如月さんのことあんまり知らないよね」机に伏せながら神谷はスマホに映る皐の写真を眺める。 「そんなことは……」神谷は少し考えて、口を開いた。 「……行ってみれば家。家わかるよ、僕。皐のことつけてたから偶然だったけど」何か考えるような目つきでこちらを見る。 「皐さんもそこに居るんじゃないの? 一緒に行こうよ」1人じゃ不安だ。 「行かない。僕が行くと、多分如月さんに会えないよ。1人で行ってきて」神谷は住所をメールで送った。  1人でいくのは嫌だな。皐と一緒に居るのかもと思うと、余計に行きたくない。見たくないものを目の当たりにしそうで、怖い。ケンカしたままでもいい。一目、顔が見たい。少し、顔を見たら帰ればいい。早く、仕事終われ。  * 「おはよう、弥生。久しぶりに同じ布団で一緒に寝たね?」皐はにんまりと笑う。 「ひとつしかないからぁ~~。ソファで寝たくないですし」ソファに座り、脚を組む。膝の上にクッションを置き、ノートパソコンをその上に重ねて、執筆を始める。あ、割ったティーカップ片付けてなかった。まぁいっか。 「私は仕事へ行くよ。あまり部屋を汚してはいけないよ」鞄を片手に皐は玄関を出た。 「はいはい、いってらっしゃい」  朝から睦月からのたくさんのメールで疲労感。返す気も起こらず、全て既読して済ませた。挙句、追い討ちのような電話。若い女の子と付き合っているような錯覚に陥り、げっそりする。 「はぁ。集中出来ない。お腹すいた」  ノートパソコンを閉じ、コーヒーテーブルに置く。とりあえず着替えよう。紅茶で汚れたシャツを脱ぎ、ソファに掛ける。仕事部屋のクローゼットから着替えを取り出し、居間へ戻る。  テーパードパンツから、テーパードパンツに履き替える。脱いだものはとりあえず床に捨て、キッチンへ行く。冷蔵庫を開けても、何もない。睦月さんの朝ごはんが食べたい。う~~ん。  まぁいっかぁ、食べなくても。  あぁ、そうだ、原稿を印刷しようと思ったんだ。仕事部屋へ行き、スマホからデータを送り、印刷を始める。途中から紙が出てこなくなる。紙詰まりだ。 「えぇ~~どうやるの? これ」  表示された手順に沿って、コピー機を開けていく。奥の方で蛇腹状の紙が詰まっている。手を入れても、うまく取れない。 「直せない……後で皐に直してもらおう」  途中まで印刷した原稿と紙詰まりでビリビリに破れた紙を持ち、居間へ行く。  中途半端に印刷したなぁ。直ってから最初から印刷し直そう。手に持っている全ての紙を宙へ放り投げる。 「シャワーでも浴びよう」  下着以外の全ての服を脱ぎ、床に落とす。もう一度仕事部屋へ行き、着替えを一式取り出し、浴室へいく。  先ほど感じた疲れはシャワーと一緒に流せた気がする。着替えを済ませ、バスタオルで頭を拭きながら、キッチンへ行き、水分を補給する。 「あーー本読もうかな」  コップをキッチンカウンターへ置き、書斎へ向かう。歩いている途中で頭に掛けていたバスタオルが落ちる。まぁいいや。  茶系統でまとめたシックな書斎。壁一面の本棚は、魅惑そのもの。気になる本を手に取り、心ゆくまま静かに読み耽る。  如月弥生、久し振りの自堕落な生活。  ーーーーーーーーーーーー  ーーーーーーーー  ーーーー  *  仕事が終わり、急いで、教えてもらった住所へ向かう。神谷からは『19時までに行け』とアドバイスをもらった。何故19時? 時間はギリギリだ。  駅からマップを頼りに歩いていく。この辺らしい。目の前には高層マンション。ぇえ? 中入れないじゃん。あの人絶対外でないでしょ。 「どうやって中入るの!!!」  エントランス付近を彷徨(うろつ)く。人の出入りはない。途方に暮れ、エントランス前でしゃがみ込む。  はぁ。会えると思ったのに。顔を合わせても、嫌な顔をされ、ケンカになるだけかもしれない。それでもいいから会いたかった。  たった1日だけ離れた時間。  如月をそばに感じていないと不安になる。不安を解消したくて、衝動的に行動してしまう。そんな俺に対して如月はきっと付き合いきれなくなっている。  分かっている。今この不安を抱え、我慢していれば、時間が解決してくれることも。でも、どんな状況でも繋がっていたい。この会えない時間が、如月と俺の関係を終わらせてしまうのではないかという不安の(ひず)み。  自分が壊れてしまいそうなくらい如月が好きで仕方がない。 「何故ここにいる」皐はしゃがみ込む睦月に声を掛けた。 「あ……」思うように声が出ない。やっぱり皐と居たのか、という悲しみ。 「謀ったな、湊。私がこいつと2人になったら、身を引き、引き合わせると思ったか。良い度胸だ。あいつの計略に免じて、助けてやろう」皐は薄く笑い、持っている買い物袋を睦月に渡した。 「何これ……?」買い物袋を受け取る。 「仲直りの魔法だ」中を見ると、2人分の夕飯が作れそうな食材が入っていた。 「あとこれ。部屋のカギだ。合鍵のスペアだ」どんだけカギ持ってるの。 「12階の角部屋だよ、睦月」初めて名前を呼ばれた気がする。皐は更に続ける。 「卯月は預かる。1日ゆっくり過ごすといい。私は人が良いな」あははと声に出し、笑い、皐は軽く手を振り、帰って行った。 「ありがとう……」聞こえなかったかもしれない。また会った時、伝え直そう。エントランスへ向かい、鍵を差し込み開錠する。エレベーターで12階へ。角部屋まで足を進め、鍵を差す。ドアを引き、中へ入った。 「おかえり、皐」脱力感のあるいつもの如月の声。声の聞こえた方へ向かう。ソファに腰掛け、気怠げな表情で執筆する如月の前に立った。  如月は執筆する手を止め、睦月を見た。無言の見つめ合いに、胸が詰まる。頭では、一言『ごめん』と言えばいいと分かっているのに言葉が出ない。情けない。 「…………俺のことまだ好き?」なんて愚かで浅はかな質問なんだろう。 「……嫌いになるとでも思った?」その言葉に安堵して、目が潤む。自然に次の言葉が出た。 「ごめん……」  それ以上の言葉はもう要らない。引き寄せられるようにお互い、顔を近づける。顔を少し傾け、唇を重ねる。唇が軽く触れる程度の優しいキス。薄目を開けて、如月を見る。穏やかに微笑まれ、舌先で上唇をぺろりと舐められた。 「あけて」  如月は立ち上がり両手で睦月の顔を挟み、唇を密着させる。言われた通り、口を少し開く。入ってくる舌を優しく包み込み歓迎する。舌の挿入と包み込みを、顔を傾け交互に何度も繰り返す。舌の密着度に愛を感じ、離れがたくなる。 「ーーはぁ……」ゆっくりと呼吸を整える。 「ごめんね?」如月は人差し指を軽く曲げ、唇に当て、クスッと笑う。 「絶対悪いと思ってないでしょ」キスの余韻で頬が熱い。如月の顔が近づき、耳元で止まる。 「そんなことないですよ。お風呂、入る?」蜜のように甘い声と吐息が耳に響く。 「ーー……うん」心臓が早鐘を打った。  なんだか安心してしまい、ふと周りに視線を移す。なんだ、この部屋は。如月しか目に入っていなくて、全然気付かなかった。きたない。物凄く汚い!! 汚部屋!! 「ーー痛っ」何かを踏んだ。陶器の破片。危な! 「大丈夫ですか?」如月は平然とソファに座る。乾いた紅茶で汚れたソファ。足元には割れたティーカップが放置されている。 「え、そこ座るの?」普段、家事をしているせいか、部屋が汚くて落ち着かない。 「え? ダメですか?」ノートパソコンを手に取り、執筆を始めようとする。 (風呂、洗ってないだろうなぁ……)  ねぇ、如月。もしかして、俺の風呂洗い待ちだったりする? まぁ、そうだわね。こういうのは俺担当だもんね。えぇ、やりますとも!! この汚部屋、綺麗にしてみせましょう!!  鞄をテーブルの上に置く。ワイシャツのボタンを2つ開け、指の関節を鳴らし、気合いを入れた。  

ともだちにシェアしよう!