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第32話

「伊織ー! おっはよー!」  バタバタと玄関で靴を脱いで、短い廊下を進む。持っていたバックパックと斜めがけのバックを床に放り投げて、半円に盛り上がったベッドにダイブする。 「ぅっ……、重っ……、降りろって」 「早く起きろよぉー! 今日休みだろ? って、うわぁっ!」  文句を言う伊織からかけ布団を無理矢理剥ぎ取ったら、グイと引き寄せられた。 「そうだよ。休み。だから、もうちょい、ゆっくりでいいだろ?」 「そう、だけど……」  朝七時。  休みの日ならだらだらしていてもおかしくはない時間。  わかってはいるのだけれど、仕方がないと思う。  伊織に好きだと言って、遊び半分の交際が本物になった。それから一か月くらいたったとき、伊織が『休み合わせて旅行でも行く?』と言ったから、二人で休みを合わせて、出かける予定を立てた。  伊織は大学生だし、雄大はフリーターだ。雄大はおおめに払ってもいいと言ったけれど、そういうのは嫌だと伊織に言われて、二人で半分ずつ出し合えるようにと一泊旅行をすることにした。行先は、遊園地とサファリパーク、ついでに少し移動すれば温泉もあるところ。  伊織とはずっと一緒にいるけれど、二人きりで旅行に行くのは初めてなのだ。 「家出るの、九時って言っただろ?」  まだ早いだろうと言って伊織が布団を手繰り寄せる。 「……オレだけ、なのかよ。旅行、楽しみにしてたのに」  雄大だけが楽しみにしていたのか、と思って伊織の胸元に顔を埋めて、雄大はぼそりと言った。  伊織と約束してから今日まで、ずっと楽しみにしていたのだ。電車の時間、泊まる場所、目的地に着くまでのルートを何度も見て、伊織と何をしようかと考えていた。それなのに、伊織は何も思わなかったのだろうかと思うと、少し寂しくなった。 「んなわけないだろ」 「だったら、なんで……、んっ……」  ぎゅうと腕の中に取り込まれたかと思ったら、伊織が言った。 「……雄大が同じになってくれたんだって、味わってんだよ」 「はぁ? 何?」  抱きしめてくる伊織の胸元を押して顔を上げる。間近にある伊織と目が合った。 「旅行、楽しみにしてたんだ?」  早く家に乗り込んでくるほど、旅行を楽しみにしていたのかと聞かれて、「当たり前だろ!」と言ったら、伊織が信じられないほど柔らかい笑みを浮かべた。 「なあ、雄大。俺のこと好き?」  甘ったるい、掠れた声で伊織が言う。  至近距離で、見たことないような顔で笑って、そんなことを聞くのは半側だろう。そうは思うが、嘘はつけない。  普通の友達みたいに、一緒に遊びに行くときとは違う、周りがキラキラしてしまいそうなむずかゆい特有の空気。相手を愛おしいと思うときの、愛でるような、すべてを認めるみたいな、不思議な感覚。  仲の良い友達では、絶対に感じないものが、伊織から溢れ出ている。 (くっそ、ずるい……)  むくりと起き上がって、雄大は言った。 「っ、楽しみにしてたのに、伊織は違うのかよ⁉」  恥ずかしくて、悔しくて、大きな声を出したら、伊織もベッドから起き上がった。 「どうしたんだよ? 用意するから、ちょっと待って」  額に口づけてきた伊織がベッドから出ていく。あれよあれよという間に出かける準備をした伊織が、ベッドに戻ってきた。 「あのさ、俺だって、めちゃくちゃ楽しみだったんだって」 「ま……、ほ、本当?」  自分だけではなかったのだ、とほっとしていたら、伊織がバックパックを肩にかけた。 「うん。雄大、ほら、行くぞ」 「ちょ、待って。伊織!」  バタバタと床に置いていた荷物を掴む。玄関前で待っていてくれた伊織に、「置いていくなよ」と言って、くしゃくしゃになっていた身なりを整える。 「ははっ。置いてくわけないだろ?」 「だけどさあ……」  ぶつくさと言って、伊織の手を掴む。  近くにいて、何でも許してくれて、バカげた遊びにも付き合ってくれて、で、エッチした。 「忘れ物ないか?」  鍵を閉めようとした伊織が言う。真横に立つ伊織を見て、雄大は言った。 「……ある」  伊織の服をグイと引っ張って口づける。 「行ってきます、のチュー」 「はぁ⁉ 何?」  らしくないことをしたのかもしれない。けれど、どうしても、伊織にキスしたくなった。  不意打ちで唇を合わせたら、伊織の顔が染まった。 (可愛い……)  伊織の変化をしっかりと目に焼きつけて、口元が緩む。 「ふはっ……、伊織、不意打ち弱いの?」 「うるせぇ! っ……、雄大、何だよ、その顔!」 (オレ、伊織が好きだ……) 「べっつにー。何でも。つか、早く行こうぜ!」 「わかってるって」  伊織がエレベーターのボタンを押す。しばらくして、エレベーターがとまって、開いた。  友達のときには気づかなかった。特別なもの。  うずうずしたり、痛くなったり、モヤモヤしたり。騒がしくて、落ち着かない。けれど、内側が熱くなって、頭の中が全部伊織になる。 (ああ、オレ……) 「……なあ、伊織」 「ん?」 「オレさ、伊織が好き」 伊織といると楽しい、そう言ったら、伊織が「俺も」と言った。 「じゃなくてさ! その……」  音が鳴って、エレベーターが開いた。 「ん? 何?」  伊織が振り返る。 (ずっる……)  じっと見つめてくる伊織の目が、『続きは?』と促してくる。エレベーターからかけ出て、雄大は伊織の手を掴んだ。 「……ほんと、好きだから」  言った声は、情けないほど小さかった。  聞こえなかったかも、と思って伊織の手を強く引く。 「伊織!」 「うわっ……、何だよ?」  バランスを崩しそうになった伊織が、振り向く。やっぱり、聞こえていなかったらしい。 「オレ、伊織が好きだ!」 「っ……、そっか」  じっと目を見て言ったら、伊織が目を開いて、ちょっと俯いて、ゴクンと喉を鳴らして、そして、顔を上げた。 「……つか、声でけえよ! びっくりすんだろ?」  好きだと伝えるのは照れくさいけれど、友達の空気は心地いい。エッチの時は、気持ちよくて、恥ずかしくて、でも、もっとと思ってしまう。  伊織が友達以上になったら、思っていたよりもずっと、ワクワクすることが多くて、楽しみが増えた気がした。 「ハハッ、ごめん。なんか、言いたくなって」  ケラケラと笑ったら、伊織の手が腰に回ってきた。 」  歩き出した伊織の隣を歩く。  ずっと友達だったのに、たった一言で気持ちが誘導される。伊織の手を掴んでいてる手のひらが、湿ってきて、気持ち悪いと思われないかな、なんて、らしくないことを考えてしまう。  けれど、これは雄大が伊織を好きだから、なのだろう。  大好きだ。  どうして今まで気づかなかったのかわからないけれど、雄大は確かに今、伊織を好きだと思っている。 「ん、もうっ……」  ぢゅぅ、と唇を吸われて、離れた瞬間、伊織に文句を言う。マンションのエントランスを歩いている最中だったからだ。 「雄大。俺も好きだ」 (ずっる……)  まっすぐに目を見てきた伊織に言われて、息が吸えなくなる。一秒ほど止まっていた呼吸を再開して雄大は伊織を見た。 「……知ってる」 「知ってるって、お前なあ……」 「早く、行こう。電車送れる」 「ああ、そうだな」 「あ、電車乗る前、パン買いたい!」 「パン? 朝飯か? なら……」 END

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