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4 ふにゃふにゃ
風呂からあがってエナメルバッグを漁ると、入れたはずの寝巻きが入ってなかった。なんという初歩ミス。
それを誠一郎に伝えると、
「俺のスウェットでよければ貸すよ」
そう言われてお言葉に甘えることにする。誠一郎はネイビーのスウェット上下を俺に渡した。渡されると、普段触るのと違う硬さの洗濯物、普段と違う匂い。人のにおいというか人の家のにおいというか、多分洗剤の違いなんだろうけど、自分の服とは何かが絶対的に違っていて、それが俺を緊張させる。
スウェットを着る。首をくぐらせると、あ、誠一郎のにおいだって思う。誠一郎とくっつくとこのにおいがする。
誠一郎のベッドに座って、くんくんと匂いを嗅いでいると、なんだか悪いことをしている気分になる。それも、すごく悪いこと。
すると誠一郎が消え入りそうな声で「嗅ぎすぎ……」と言う。
え、俺そんなに嗅いでた?
慌てて腕に埋めてた鼻を離す。
「いやその、なんか、ほら、普段と違くて。これ、いい匂い。洗剤かな?」
慌てて言う。
「うん、めっちゃいい匂い」
そう言ってなんとなくまた嗅いじゃって、
「もう、恥ずかしいからやめてくれ」
そう言って誠一郎が俺の腕を引っ張った。
「あっ、ごめん」
そして、結構気まずくて沈黙してしまう。
そうしていると、隣に誠一郎が座ってくる。誠一郎もスウェットを着ている。隣に誠一郎が座っていて、まだ体は少しお風呂のほてりが残っている。熱。俺は急にさっき誠一郎とキスしたことを思い出して、体温ががっと上昇した感じがする。恥ずかしい。すごく恥ずかしい。
俺は咄嗟に視線を動かして、部屋の中を見まわした。正面の机。参考書。勉強の形跡。俺は話す。
「そういえば誠一郎って、進路どうするの」
我ながら無難な話題だ。
「うん。進学、かな」
まあ、そりゃそうだろうなぁ。
「大学、決まってる?」
うん、と言って誠一郎は大学名を言った。良い大学だ。話していると、具体的に学部まで決まっているらしい。法学部。
そこまで言って、そうなんだ、弁護士とかになるの? って聞くと、誠一郎は頷いた。
「うん。弁護士になりたい」
そう繰り返す誠一郎の言い方はすごく繊細だった。その言い方で、誠一郎が本気なことが伝わってきた。
「そう、なんだ」
そう思ってちゃんと机を見ると、専門書――というほどではないけど、いくつかそういう関連の本が目についた。
本気なんだ。
誠一郎が、弁護士。
「向いてそう」
「ほんとか?」
「うん。なんか、しっくりくる」
「あは、嬉しいな――」
誠一郎は顔をほころばせて、
「親以外誰にも言ったことないんだ、まだ」
そう言った。
「なんか恥ずかしくてさ。――智志は?」
自分で進路の話題を振っといてなんだけど聞かないで欲しかった。
俺はとりあえず行ける大学に行ってそれから考えようとしか思ってなかった。ちゃんとその後まで考えてる誠一郎のあとだとなおさら言いづらい。でも誤魔化してもしょうがない。だからそのまま伝えた。
「誠一郎みたいにちゃんとしてない」
「そんなことない」
誠一郎の顔には馬鹿にしてる感じは少しもない。
「それでいいと思うよ」
「でも――あ、ってか誠一郎はなんで弁護士になりたいって思ったの。参考にする」
誠一郎は相変わらず言いづらそうにしているので、じっと待っていると、ぽつぽつと話し出す。俺たちが中学くらいの頃にやっていたドラマの影響らしい。ああ、それは俺も見ていた。確か、女性アイドルが主演をしていたドラマだ。
「あれで、すごく良い仕事だなって思った。――そんな理由なんだよ俺だってさ」
それを聞いて俺はそういうきっかけもあるんだなと思った。だったら俺も、あれを見てそうなる可能性だってあったのかな。
「そんなの関係ないよ。だってそれでちゃんと努力してるんだから」
ベッドにそのまま後ろに倒れ込んで仰向けになる。天井が見えた。
誠一郎はすごい。
そういえば、スカイツリーに行った時の誠一郎の言葉を思い出した。
『百年後にはもっと高いの建ててるのかな。すごいよな』
誠一郎はちゃんと未来を見てるんだな。そうだよな。
かっこいい。
やっぱり、かっこいい。
そう思って、なんだかのぼせてるのかなと思う。仰向けから体を横に傾ける。部屋の真ん中に、誠一郎が布団を敷いていた。
あれ。
誠一郎はそのまま言う。
「俺はこっちで寝るからさ。智志はベッドで寝て」
え、そうなの?
俺はベッドに横になったまま誠一郎を見ている。俺はてっきり一緒に寝るものかと思っていた。当然そうするんだと思っていた。隣の布団で誠一郎が寝るのを想像して、思わず言った。
「一緒に寝ようよ」
誠一郎が「え、でも」みたいに言ったから俺は、
「俺は一緒に寝たいよ」
寝転がったままそう言って、やっとちゃんと、言いたいことが言えたなあと思う。言えてよかった。誠一郎はしぱしぱまばたきしていて、多分照れてるんだろう。なんかかわいい。だから俺は「照れんなよぉ」と言って、起き上がって抱きついてみた。誠一郎は口元をふにゃふにゃさせて、完全に照れてる顔だ。かわいい。
こんな誠一郎見たことないや。
俺しか知らない誠一郎のこんな表情。俺にしか言ってない秘密。俺だけに見せてくれたもので、俺はあったかい気持ちになった。
だらだら喋って歯磨きをして、気がつけば深夜の一時だった。
「そろそろ寝ようか」
うん、と返事して布団に入る。誠一郎は立ち上がってスイッチに向かって、
「じゃあ、電気消すぞ」
そう言って部屋が暗くなる。
「あ、まっくら」
「暗すぎかな。カーテン開けようか」
誠一郎がカーテンを開ける。月明かりが注いで、薄暗い部屋、誠一郎の影が近づいて、のそりと布団に入ってくる。当たり前だけど近い。人の気配っていうか人そのものって感じの質量。誠一郎は体が大きいから、とかそういう話じゃない。人が近くにいるんだ。
誠一郎は体を動かしてごく自然に俺を抱きしめてくる。掛け布団ぎりぎりに俺たちは収まっていて、だけど誠一郎がすごくほかほかしてるから、掛け布団なんていらないかもしれない。
「……そういえば」
「ん?」
「この間教えてもらった曲。聴いた」
「お。どうだった」
「なんか、全部かっこよかった」
「やった」
そう言う誠一郎の声色は嬉しそうだ。
こつん、とおでこを当ててきて、近くで「嬉しい」とつぶやく。
「もっと色々紹介してよ。趣味いいって俺の弟も言ってた」
「え、弟さん?」
「うん。この前テレビ見てたらさ」
『剣と鞘』を観ていた時の話をする。
「へえ。弟さんのお墨付きだ」
「うん、そう。お墨付き」
俺たちは笑う。目の前で誠一郎が笑って体が動くのをダイレクトに感じて、その揺れが心地いい。
眠くなってきた。
でも、まだ寝たくない。このまま時間が過ぎなくて、ずっと夜で、ずっとくだらない話をしていたい。実のない会話をずっとしていたい。そして、こいつをずっと近くに感じていたい。もっと、もっと。
あ、それって――。
俺は気づいた。
――なんだ、俺、ちゃんと誠一郎のこと、好きじゃん。
誠一郎は音楽の話を続けている。
ああ、そうか。
好きだ。
俺は誠一郎が好きだ。
好きなんだ。
自分の中でそうやって言葉にすると、まるで水の中にインクが溶けるみたいに自分の中にそれがぶわっと広がっていく。それは爆発的で、圧倒的で。
好き。
俺は誠一郎が好き。
好き。
大好き。
大きな大きな波だ。俺はそのあったかい波に飲み込まれる。どうしよう、息ができないくらいだ。苦しいかもしれない。
「どうした?」
急に黙った俺を誠一郎が見つめている。俺の好きな誠一郎が俺のことを見つめている。部屋は暗くて顔なんてあんまり見えないのに俺にはちゃんとわかる誠一郎が俺を見つめているあの黒くてまるいきれいな目で俺を見つめている。俺はわけがわからなくなってしまう。俺の好きな誠一郎が俺を見ているなんて。
でも別にそれは何も変なことじゃない。だって俺は誠一郎の恋人なんだから。恋人のことが好きなんて、恋人のことを見つめるなんて、当たり前すぎることだ。
――だけどどうしてこんなに動揺しているんだろう。
俺は思わずあふれるように好きだって言いたかったけど、やっぱり恥ずかしくてできなくて眠ったふりをした。眠ったふりしかできなかった。
眠っているふりをしている俺を、誠一郎は優しく抱きしめた。
そんなことをしているうちに俺は本当に寝てしまう。
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