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6 ゆらゆら

 誠一郎が横に揺れてリズムをとっているのが視界の端に見える。俺は画面の字幕を追いかけてマイクを握って歌いながらそれを見ている。ゆらゆら揺れている誠一郎の顔まではよくわからない。  春休み――四月になる直前、三年になる前の力試しの練習試合で俺たちのチームは負けてしまって、誠一郎は随分と落ち込んでいた。だから俺は今日、勝手に誠一郎の地元まで来て、誠一郎の家の近くでメッセージを送った。 「ほら、次、誠一郎の番」  歌い終わった俺は誠一郎にマイクを渡す。実際、今まで三曲連続で俺が歌っていたので、そろそろ疲れてしまった。 「……うん」  誠一郎は受け取って、曲を入れるとマイクをしっかり握って歌い出した。  いきなりバラードかよ。  しかもこれ、失恋の曲だろ。  そう思ったけど、黙っておく。きっと今はそういう気分なんだろう。そのうち、明るい曲も歌ってくれるだろうし。  画面の歌詞を追いながら、誠一郎の歌を聞く。こいつ歌もうまいのな。ずるいなあ。なんて思いながら、こっそり誠一郎を見る。少しは気が紛れたみたいだった。  誠一郎と付き合いだして半年が経った。俺はちゃんと誠一郎が好きだってわかったけど、でも、結局あんまり好きだって言えてない。それに、ちゃんと恋人らしくできてるかも不安だった。誠一郎の歌う失恋ソングを聴きながらそんなことをぼんやり考えていると、曲が終わった。 「智志」  呼ばれて振り返る。 「ありがとな」  誠一郎が笑った。俺はその笑顔が嬉しくて、でも恥ずかしくて、 「何がだよ」  そう答えてしまう。答えて、すっと視線を落としてしまう。  こんなことばかりしている。  誠一郎はこうやって、ちゃんと伝えてくれるのに。  視線の先のスマホの画面が通知で点灯して、確認すると宗田からのメッセージだった。  ――やばい  と一言。  追加でメッセージ。  ――ムードの作り方がわかんないw  ああ、そういえば。この前相談されていた。 「今度あいつが家に来るんだ。やっぱセックスするべきかな」  そんなことを言われたっけ。宗田は随分彼女と順調みたいで、逐一俺に進捗を報告してきた。デートした、手を握った、キスをした、みたいな感じで。俺はお前の上司じゃねえぞって言ったけど、たぶん誰かに自慢したいんだろう。  それを聞くとなんだか複雑な気分になってしまうのは、自分達と比較してしまうから、なのか。  俺たちが順調なのかそうでないのか、よくわからない。付き合って半年。付き合い始めたタイミングは宗田とほぼ一緒。そういえば、手を握ったり、キスしたり、してなくはないけど、あんまりしていない。セックスの話は一回も出たことない。  ――順調なのか、わからない。  男同士だから、なのかな。  こういう関係の場合は何を参考にしたらいいのか、わからない。普通のカップルならああするべきこうするべきっていっぱい出てくるけど、俺が検索しても出てくるのはなんだか俺の経験している今の恋愛の実感と違った話が多くて。  いまだに『なんだか仲がすごくいい友達みたいだ』って思うことがあって、多分それって、俺たちが男同士だからだ。キスだってしてなくはないし、俺は誠一郎のことが絶対に好きだってもう言えるけど、もともと別に男が好きだったわけじゃないからっていうのもあるかもしれない。  そういえば、誠一郎はどうだったんだろうか。誠一郎は、もともと男の人が好きなんだろうか。  聞いたことがない。  気にはなっていたけど、なんとなく聞けてない。  とにかく、それよりも。  宗田のメッセージが、俺の中の何かにこだまして、変な感じになる。  カラオケ、個室、人の目なし。  誠一郎は次の曲を歌っている。マイクを持っていない右手はなんとなくって感じで机に置かれていて、握ろうかなって思うけど、でも、今日は誠一郎を励ましたいから集まってて、だったらそれってちょっと違うのかもと思う。そういうのじゃないだろ、今日は。  それでも、俺は腰を浮かせて体を少し誠一郎に寄せる。誠一郎がこちらを見てああ絶対不自然だったって恥ずかしい。でも、じゃあ、もう、いいだろ。そう開き直って、ゆっくりゆっくり誠一郎の方に手を動かす。  誠一郎が、ひゅっと、しかし力強く俺の手を掴んだ。  そのタイミングで曲が終わって、誠一郎がこちらを見る。カラオケで予約がないときに流れる、最近のヒット曲の紹介の動画が流れている。 「曲、入れないの」  そう訊かれた。  なんだかチャンスかもしれない、握った手の感触にそう思って訊いていた。 「あの、さ」 「ん?」 「誠一郎はさ、その、……そういうことは、……したくないの」  視界の端の方でスマホが光っている。多分宗田からのメッセージだ。 「そういうこと?」 「いや、その、……」  言い淀んでいる俺に、誠一郎があっと何かに気づいて、 「ああ、ああ、そういうこと、そういうことね!」  そう慌てる。  誠一郎は握っていた手を離して、両手で顔を覆い隠した。 「なんだよ急にぃー、恥ずかしいだろぉー」  そう言う。 「ごめ」「したいよ」 「え」 「したいよ、そういうこと」  指の間の誠一郎の顔は真っ赤だ。自分で聞いといてなんだけど、俺も恥ずかしかった。申し訳ない。誠一郎にこんなことを言わせて俺は罪深い男だ。 「でも」  気を取り直した誠一郎はテーブルに肘をついて、顔の前で手を組み合わせて言う。 「高校卒業したら、かな。まずは大会と、それから受験」  俺は、それを聞いてがっかりしなかった。 「それでも、いい?」  誠一郎が俺に尋ねる。 「うん。それでいい。それがいい」 「よかった」  そこにはちゃんと未来があった。  すごく誠一郎らしい。  そして、その未来に俺がいることが嬉しい。  とはいえ、慣れない話題だったのでお互いにさすがに恥ずかしくて、今までで一番くらい気まずい感じになってしまう。  俺は二人のコップが空になっていることに気づいて、手に取って「飲み物汲んでくる」と言って立ち上がった。 「あ、ああ、ありがと。ウーロン茶で」 「わかった」  俺は逃げるように部屋を出て、ドリンクバーの機械のあるエレベータ前へ向かって歩いた。 「先輩?」  そう声がかかった。振り返ると鹿島田がいた。  げ。 「すごい偶然。なんでこんなとこ――」  俺の頭が珍しく急速で回転して理解する。そうだ誠一郎と鹿島田は昔同じチームだったんだから地元も近いんだ、あーやらかした。だからってなんでこんな偶然、とにかく誤魔化さないと、一人で来てるって言おう――と思ってそもそも俺がここのカラオケに一人で来る理由がないし両手にコップを持ってるし。二人で来てますって言ってるようなもんだった。 「誰と来てるんです?」 「だぁ、誰だっていいだろっ」  そう言いながら俺は誠一郎のリクエストのウーロン茶を注ぐ。どっちが誠一郎のコップだっけ。とにかくすぐに汲んで逃げ出そう。俺の飲み物はもう適当にボタンを押して何かをじゃばじゃば注いで、 「じゃ! カラオケ楽しめよ!」  そう言って個室に向かって歩き出すと、鹿島田が後ろをついてきた。  こいつ、まじかよ……。 「野球部の人ですか?」  後ろから声をかけてくる。まじでなんなんだこいつ。俺は両手になみなみ注がれたコップを持ってるせいで払いのけることさえできない。どこか違う部屋に飛び込もうかとも思ったけど、そんなことをしても多分こいつは誤魔化されないだろう。  もう、ほんとに、もう。  諦めの境地に達した俺は観念して部屋に向かった。  ご丁寧に両手の塞がる俺の代わりに鹿島田が扉を開ける。 「どうぞ」  どうぞじゃねぇーよ。  中に入ると、鹿島田が後ろから部屋を覗き込む。 「あっ、キャプテン!」  誠一郎が驚いて視線を向けて、「え、航基?」というと、鹿島田は、 「ちわっす。あッしたー!」  それだけ言っていなくなった。  ――あいつまじでなんなんだよ!  俺はコップを置いて誠一郎に言う。 「ごめん、なんか勝手についてきちゃって」  その時、結構俺は動揺していた。たぶん誠一郎は俺たちの関係をみんなに秘密にしたいんだろうなって思ってたから。それは付き合ってるということだけじゃなくて、そもそも俺たちが親しい、こと自体を。 「ごめん」 「大丈夫だよ、気にすんなって」 「でも……」 「大丈夫大丈夫。飲み物ありがとな」  そう言ってコップに手を伸ばす。 「次、俺でいい?」  誠一郎はそう言いながらリモコンに手を伸ばした。その感じは全然気にしてなさそうだ。  大丈夫、なのかな。  誠一郎が入れた曲はアップテンポな曲で、見た感じ、ずいぶん元気が出たようだった。  テーブルに置いたスマホに新着メッセージ。 『鹿島田航基:お邪魔してすみませんでした笑』  ――あいつ、ほんとふざけてるな。           * 「結局できんかったぁ」  翌日部室で宗田がしょげた感じで言う。  だから報告はいらないって。とは言わず、 「そうかあ」  そう答える俺に宗田は、 「なんか馬鹿正直にセックスしようよって言っちゃって。どん引かれたっぽい」  心当たりがあるな。  あ、そうかもしかして、誠一郎も……ってちょっと不安になったけど、いや、でも。リアクションを思い出して、うん、大丈夫だよなと言い聞かせる。  着替え終わってグラウンドに向かう途中、後ろから鹿島田。 「昨日は、すいませんっした」  絶対に反省してない謝罪だ。 「楽しいデートの邪魔しちゃって」  心臓が止まるかと思った。頭だけがぎゅるぎゅる回ってなんて言おうバレちゃったのか否定しないとああでも否定するのも違うのかてかそもそもこんなの冗談だろって思って、 「ばか」  としか言えない。それだけ言ってなんとか言葉を引っ張り出す。 「せめてもうちょい申し訳なさそうにしろ」 「あ、ばれました?」  こいつは悪びれない。そのまま言う。 「二人って仲良かったんですね」  その言葉に、俺の中の何かが逆撫でされたみたいな感じがする。 「そう、だよ」  思っているより弱々しい声になった。鹿島田はそれに気づかず、 「なんか、意外です。あんまり部活でも喋ってないし」 「そう、か? そうでもないよ」 「二人ってどんな話するんですか? なんか、あんま想像できない」  ゆっくり、俺の歩きが減速して、それに気づいた鹿島田も立ち止まる。 「先輩?」  俺は足元に申し訳なさそうに生えた雑草を見て思う。  ――まあ、そりゃあ、そうか。  そう、見えるか。

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