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12 誠一郎が望んでなくても、俺は

 まず地元の駅で宗田と待ち合わせだった。 「おわ、お前、ちゃんと寝た?」  開口一番そう言われる。 「顔やばいよ。本当に大丈夫か?」  俺は顔をもごもご揉みながら、 「うん、大丈夫、……たぶん」  とだけ答える。  結局、一睡もできなかった。  手紙を読んで、俺ははちきれそうで、ばらばらになりそうで、だけど泣くこともできなかった。  すれ違いなんてないと思っていた。俺が勝手に離れただけだ、そう思っていた。  でも俺たちは、たぶんちゃんとすれ違っていた。  だとしても、それは結局きっと俺のせいで――。 「緊張してる、んだ」  なんとかそう絞り出すと宗田は「なんでお前が緊張するんだよ」と言って笑った。  その通りだ。  新幹線の駅まで向かう。ホーム近くの集合場所に、ぞろぞろと坊主頭・短髪の一団。最後尾にこっそり加わる。 「全員揃ってるかー」  誠一郎の声が聞こえた。俺は呆然と誠一郎を見つめた。  誠一郎はすごく忙しそうに、部員の人数を確認したり、顧問やコーチ、マネージャーと連絡したりしていた。  俺は思う。  誠一郎は遠くにいるんだ。俺からとても遠くにいる。  当たり前だった。  あいつはキャプテンで、俺はただのやる気のない補欠ですらない部員。  これから全国大会で、あいつは俺らのリーダーとして――。  頑張って、とだけでも伝えたかったけど、近づくことにも躊躇する。  俺たちの間に空いた穴。その大きさに躊躇する。  だって、その穴を開けたのは、そしてそれを一生懸命拡げたのは俺なんだから。  誠一郎はあんなに近くにいて、近くに来てくれて、近くにいようとしてくれたのに。  あの手紙だって、ずっと読めていなかった。  もう、いまさら穴は埋まらないんだ。  俺は、自分のしてしまったことの大きさにようやく気がついた。           *  試合前。  球場の裏手で円陣を組む。部員全員の大きな輪の、ちょうど対角線上に誠一郎はいる。  つまり、一番遠いところ。 「気合い入れていくぞ!」  おー!  大きな声を揃えて、レギュラーが裏手から球場へ入っていく。  俺はそれを見送るだけ。中に入ることもできない。  俺はこれから応援席に行って、ひたすら見守るんだ。  初めて、ちゃんと後悔した。  もっと頑張ればよかった。  もっと本気になればよかった。  そうすれば、もっと近くにいられたのに。           *  そして、 「――みんな、本当に頑張った」  監督が言う。部員たちはみんな俯いている。ぽたぽたアスファルトにしずくが落ちていて、汗じゃなくてそれは涙だった。  鹿島田が手首で顔を拭った。こいつは誰よりも泣いていた。俺はぼんやりそれを見ていた。 「今日は、ゆっくり休んで。みんな、本当にお疲れ様」  監督はそう言って言葉を締めくくると、誠一郎のもとに向かった。何かを二人で話している。誠一郎は頷きながらそれを聞いていた。誠一郎は泣いていなかった。監督がぽんと肩を叩いて、誠一郎のもとを離れた。誠一郎は少し視線を上げて、日陰なのに眩しそうに目を細めた。それでも誠一郎は泣かなかった。  俺は思わず歩き出した。頭の中でいろんな声がした。  お前、何のつもりだよ。  もう終わってんだよ。  お前には何もできない、何もできなかっただろ。  なのに今更何をするんだよ?  そんな声が聞こえる。それはきっと正しいとさえ思う。  だけど、だけど。  目の前の誠一郎を見ていたら、俺は我慢ができなかった。  俺に何もできないとしても、俺に何かする資格がなくても、俺は今、あいつのそばにいてやりたいんだ。  それが今の俺の気持ちだ。  俺はそれに正直でいたいんだ。 「誠一郎」  俺は誠一郎に呼びかけた。みんなの前で初めて名前で呼んだ。誠一郎がゆっくりこっちを見た。誠一郎の眉間に皺が寄って、口角がぎゅっと下がった。  誠一郎はきっと泣きたいんだろう。いや、そうじゃなくて。こいつは今ここで泣くべきなんだ。泣くべきだって思った。俺が思った。もし誠一郎が泣く気なんて本当は全然なくても、泣きたいなんて少しも思ってなくても、ここで誠一郎が泣かないと、きっと、じゃないと、――。  誠一郎がぐっと近づいて、俺に抱きついた。「智志」。そう言って、そのまま俺を強く、強く抱きしめる。痛いくらいだ。だから俺も強く誠一郎を抱き返す。そこにいる誠一郎を確認するみたいに。そうすると誠一郎はもっと強く抱き返してきて、俺はその力強さに感動する。そこにある何かに感動する。だから俺も、もっと強く抱き返す。  こんな空気だから抱き合う俺たちを誰も冷やかさない。  誰も俺たちの間の特別なものに気づかない。  誰も気づいてくれない。  だけど、それでもいい。  そう思った。それでもいいと思えた。  だってそれはちゃんとここにあるんだ。誰も見てなくても、誰も知らなくても、誰も気づいてなくても、それはある。  それ以上何も求めない。 「誠一郎、――本当に、お疲れ様」  そう言って誠一郎の頭を撫でた。ぐすっと俺の耳元で誠一郎は鼻をすすった。それから誠一郎は静かに泣いた。何度も何度も鼻をすする。  俺の目からも涙が溢れ出した。  何の涙なのか自分でもよく分からない。誠一郎とのことなのか、この大会のことなのか、それとももっと大きな何かを感じていたからだろうか。  ――俺は結局そのあとさらに百倍くらい泣いてしまって、なんでお前がそんなに泣くんだよ、お前が泣きすぎて逆に涙引っ込んだわとみんなにからかわれた。  夕食兼残念会が終わって、ホテルの自室に戻った。宗田との二人部屋だ。  ベッドに座るとスマホを取り出して、メッセージアプリを開く。下にスクロールして、誠一郎の名前をタップする。  ずいぶん前にやりとりの止まったその画面。何度も誠一郎からメッセージが来ている。それを全部スルーしている。  そんな画面をしばらく見つめて――それをできるだけちゃんと受け止めて――俺は結局誠一郎に電話をかける。隣のベッドで宗田はうつ伏せに寝転んでスマホのゲームをしていた。足先を拍手するみたいにぱちんぱちんとあてている。俺はそれを横目で見て、まあ、もうバレてもいいや、そう思う。  少し間があって、出ないかも、と思う頃に電話が通じた。もしもし、という声。少し不安そう。 「誠一、郎?」  そう呼びかける。宗田がぴくっと反応した気がするけど、気のせい、気のせい。うん、と返事があって、俺は話す。 「今大丈夫? うん。そう、俺も部屋。あの、その、本当にお疲れ様。うん、……それでさ、ちょっと久しぶりに、さ。話そうよ。うん、ちょっと話がしたくて……うん、ありがとう、じゃあ、ロビーで。大丈夫、すぐ降りる」  電話を切ってちらっと宗田を見たけど、相変わらずゲームをしている。 「ちょっと、行ってくる」  スリッパを履き替えて言うと、宗田はスマホを見たまま足のつま先をぷらぷらと振った。 「いってらぁー」  その声を後ろに聞いて部屋を出て、臙脂色のふかふかの廊下を歩いてエレベーターに乗り込む。  着いたロビーは広くて、見回してもまだ誠一郎は来ていないみたいだった。癖でポケットに手を伸ばして、何も入っていなくてスマホを部屋に忘れてきたことに気がついた。取りに戻ろうかなと一瞬思ったけど、それでいいやと思う。エントランスホールのソファの脇に立って、エレベーターの階数表示をじっと見つめていた。右のエレベーターの数字がカウントダウンしている。乗っているのは、多分誠一郎だ。  扉が開いて、本当に誠一郎が降りてくる。一歩一歩、こっちに歩いてくる。誠一郎は片手をあげた。 「おう」  そして俺の前に歩いてきて、沈黙。お互いに視線を合わせられず、でも俺は誠一郎を見て言う。 「散歩、行こうよ」  誠一郎は頷いた。  俺たちは隣を歩いた。外は蒸し暑くて、虫の声がいっぱいする。その声がなんだかよそよそしく感じて、俺たちの夏は終わったんだなと思う。  しばらく、何も話さなかった。無言で歩いて、蒸し暑い空気が俺たちのまわりにまとわりついて、このまま何も言えないかも。そう思った。むしろ、その方がいいかもしれない。そうも思った。でも、でも、  眩しい。  思った瞬間、誠一郎が俺の手を引っ張った。黒い車がクラクションを鳴らして勢いよく俺の脇を通り過ぎた。俺はバランスを崩しかけて誠一郎に倒れかかる。 「あ、ありがとう……」 「うん」  俺は体を離した。大きなクラクションの音がまだ耳に残っていて、それでなんだか意識がはっきりした。ちゃんとしないと。  そのままその場所に立ち止まって、話をする。 「あの、さ」  それでも顔が見れず、誠一郎の胸元を見て話した。ネイビーのシンプルなTシャツの右胸にはスポーツブランドの名前がプリントされている。そこをじっと見て、言った。 「なんか、ごめん。ずっと連絡しなくて。ほんとにごめん。その、……なんていうか……俺、思ったより全然、ていうか、ほんと、なんか……」  うまく言葉がでてこなかった。今日はもう涙なんて出ないと思ったのに、また泣いてしまうかもしれない。  俺はちゃんと伝えたかった。俺は誠一郎のことが好きなんだよって伝えたかった。たぶんもう遅いんだろうけど、それでも、それだけでいいから伝えたかった。  だって、多分、それが伝わってない。  ――当たり前だ、お前は伝えてこなかっただろ?  そうだ、だから、伝えないと。  だけどそれが難しい。  誠一郎が告白してきた日のことを思い出す。あのときの誠一郎の顔。俺も今、あんな顔してるのかな。  誰かに好きって伝えるって大変なんだ。  誠一郎は黙って前に立っている。  ちゃんと言わなきゃ、誠一郎はちゃんと言ってくれたんだから。 「俺、誠一郎のこと、好きだよ」  顔をあげた。誠一郎の顔がにじんで見えなかった。 「ほんとに好きだ、大好きだよ」  涙があふれるぎりぎりの表面張力でとどまって、そのせいで誠一郎の顔が見えない。 「それだけ、伝えたくて」  見えなくてよかったと思った俺はなんて意気地なしなんだろう。  誠一郎の声。 「嫌われたんだと思ってた」  思わず俺は言い返した。 「そんなわけないだろ」  言葉があふれだした。 「俺はお前がちゃんと好きだ。ずっと好きだ。俺は誠一郎の何倍も誠一郎のことが好きで、誠一郎の想像するよりずっと誠一郎が大切で、多分全部吐き出したら誠一郎は俺のことすごいキモいって思うんだ、それくらい、それくらい――俺は――」  ぼろっと涙が溢れて誠一郎の顔が見えた。誠一郎は笑っていた。ちょっと困った感じの笑顔。まだ見たことなかった誠一郎の表情。きっと、もっとあったはずなのに。 「――でも俺、好きすぎて不安になっちゃった」  また涙がにじんで誠一郎が見えなくなる。 「だって俺、誠一郎に何もしてやれてない。誠一郎はいっぱい好きだって言ってくれるのに、俺は全然言えなくて。俺はすげえ幸せなのに、誠一郎を幸せにできてない」  涙がどんどん溢れて誠一郎が全然見えない。 「俺のことなんて、なんで好きなの。俺のどこが好きなの。俺、わかんないよ」 「ばか」  視界が暗くなって、強い力を感じて、抱きしめられたとわかった。 「ばか、お前ほんとにばかだよ」  どんどんあふれる涙をその大きな手で何度も拭ってくれて、大雨みたいにキスしてくる。 「俺はお前が本当に大好きだよ。お前はすごくいろんなことにちゃんと向き合ってて、――だから――俺は――」  誠一郎も泣いてしまった。 「ごめん、俺のせいで」  誠一郎の涙を拭うと、 「ほら、優しい」  と笑って、 「そういうとこ」  そう言って、また強く俺を抱きしめた。 「だから、二度とそんなこと言うな」  車のライトがふわっと俺たちを照らして通り過ぎる。あ、って一瞬思ったけど、そんなのはもうどうでもよかった。  見せつけてやればいい。  恥ずかしくなんてない。  俺の好きが、ようやくきらきらし始める。

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