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第5章:家族 2
「ゆーりにいに、らんにいに、肩まで浸かって100秒数えないと出てきちゃダメだからね!」
「分かった分かった。ありがとう、香恋」
母とお風呂に入ってほかほかになった香恋がタオルで髪の毛を拭きながら、由利と藍にそう指示してくる小さい妹。子供でもない成人した大の大人が二人で入ろうとしているのに止めない両親もおかしいし、妹の前で強く出れない由利も可哀想で苦笑する。香恋によって由利も藍も浴室にぐいぐいと押し込まれ、ぴしゃりとドアを閉められた。
「兄さんが出てくるまで待ってるよ」
「え?」
「さすがに、そんな死ぬほど嫌そうな顔されたらこっちも可哀想になるし」
「でも…」
「兄さんが出てくる頃には香恋も寝てるだろうから。父さんたちも僕らが一緒に入るとは思ってないでしょ」
「……」
今日この場に二人で帰ってきてくれたことだけでも、由利は相当頑張ってくれたと思うのだ。だからせめて入浴だけでも伸び伸びしてもらおうと思ったのだが、藍の言葉が本当かどうか怪しんでいるらしい。多分、由利が入浴中に入っていくと思っているのだろう。自分がやったことだけれど、由利からの信頼が地に落ちているなとこれまでの行いを悔やんだ。
「じゃあ、僕が先に入る。それなら安心できる?」
「……別に、警戒してるわけじゃない、けど…」
「あはは、そんな態度で警戒してませんは無理があるよ」
「……藍のせいだけど」
「確かに。じゃあ先に僕が入るけど、それでいいよね?」
「うん…ありがとう」
まさか由利の口から感謝の言葉が出るとは、相当疲弊していたのだろう。脱衣所の壁にもたれながら座り込む由利の頭を思わずくしゃりと撫でると、驚いた由利がバッと顔を上げた。
「な、な、お前!俺になにした!?」
「なにって、ごめん。頭撫でた」
「お前って本当たち悪い……」
由利がため息をつきながら、体育座りをした腕と足の間に顔を埋める。顔を埋める瞬間、彼の耳が赤く染まっているのを見てほくそ笑んだ。臆病な兄はすぐに身を隠して逃げてしまうので、たまには飴と鞭を使い分けないといけない。そんな面倒くさいところも由利の可愛いところだなと、香恋から言われた通り湯船に浸かって100秒数えながら考えていた。
「兄さん、次いいよ」
藍が入浴している間疲れて眠ってしまったのか分からないが顔を突っ伏したままの由利に話しかけると、彼はゆっくりと顔を上げる。額には袖の跡がついて赤くなっていて、今や世界からも名前が知られているイケメンモデルとは思えないほど抜けた姿にくすりと小さく笑った。
「お風呂入れそう?眠いなら明日の朝シャワー浴びたら?」
「んん……いい、今入る…」
「入るなら気をつけて」
「うん……って…!」
「ん?」
「なんて格好してんだよ!」
「は?」
由利の顔が瞬く間に赤く染まっていくので藍は困惑した。彼が突然、なにを照れてしまったのか分からなかったからだ。なんて格好と言われたので、上半身裸のことを言われたのだろう。でも今更なにを照れる必要があるのか。由利の家でも何度か見ているだろうに、何も知らない少女のように藍の体を見るのは恥ずかしいらしい。まぁ、由利が正気を保っている時にあまり見たことがないので仕方がないだろう。
「風呂上がりなんだからこれくらいの格好、普通でしょ。男同士なのになにを照れてんの、兄さん」
「いや、だって……」
「………意識してんだ?僕の裸見てなにか想像した?」
「ちがっ、なにも想像してない!」
「ふうん。ま、別にいいけど。入るなら早く入ったら?」
あまり実家の中で攻めてやるのも可哀想だという、少しばかりの良心が残っている。だから今の由利に執着せずに髪の毛を拭いていると、服を脱いでいる由利と鏡越しに目が合った。由利はモデルなので傷ひとつない綺麗な体が目に入って、どくんっと心臓が跳ねた。
由利はオメガではないけれど、アルファの藍を刺激する『何か』がある。彼のフェロモンなんて今まで感じたこともないし反応することもないのだが、それよりもずっと深いところで運命が繋がっているような気がするのだ。
まぁ、由利がアルファなのに好きになってしまった自分を正当化するための綺麗事なのだけれど。
「……あんまりこっち見んな」
「あぁ、うん、ごめん……」
恥ずかしそうに俯きながら浴室に入っていく由利を見て、馬鹿みたいに興奮した。まるであの頃、由利にバレずに彼の体を盗み見ていた中学生の頃を思い出す。偶然を装って脱衣所で鉢合わせた時、舐めるような目で見つめていたのに、まだ『仲のいい兄弟』だと思っていた由利はそのことになにも気づいてなかった。藍を可愛い弟だと思っていた純粋な由利の体を目に焼き付けては『ネタ』として覚えていたものだ。
ここが多分実家だからだろう。あの頃のヒヤヒヤ感や緊張感を思い出し、藍は洗面台に手をついてため息をついた。そしてこのままでは由利との約束を破って浴室に侵入してしまいそうなので、急いで髪の毛を乾かして脱衣所を出た。
「藍、香恋のわがままで災難だったな。由利くんは?」
「入れ替わりで入った。さすがに成人してる男が二人で入るのはね」
「そうなると思った。それで?由利くんに迷惑かけてないか?」
母は香恋を寝かせに行ったらしく、リビングには晩酌中の父が残っていた。由利はまだまだ出てこないと思うのでその間、父と一緒に少しだけ酒を飲むことにした。
「兄さんが出てきたらもう部屋に行くから少しだけ」
「お前たちは本当に仲がいいんだな。父さんも安心したよ」
「……いい兄さんだよ。椿…|麗《れい》とも上手く仕事してくれてる」
「麗と由利くんが?そうか……」
藍葉椿こと、本名は藍葉麗。藍の実の妹であり由利と同じモデルの麗はあの初回の撮影の後も、シリーズ化された特集のため何度か由利と撮影をしていた。藍の実の妹だと分かった状態で撮影に臨んでくれた由利は態度を変えずに麗に接してくれているのだ。
「最初は伝えてなくて僕の彼女だと勘違いしたみたいだけど、二人とも上手くやってくれてる」
「それならよかった。実は父さんもCamelliaを買っててな」
「そうなの?」
「由利くんが専属だって聞いてついな。カメラマンは藍だし。子供たちが出てるなんて夢みたいだよ。咲良さんと一緒に楽しみにしてるからな、毎月」
「兄さんも嬉しいと思うよ」
由利は両親が見ていると知ったら多少恥ずかしいかもしれないが、それでも嬉しいことに変わりはないだろう。
「藍が撮る由利くんはいいな」
「え?」
「由利くんは昔からかっこよかったけど、やっぱり兄弟だからかいいところを引き出すのが上手いな、藍は」
「そうかな……」
「あぁ。二人が一緒にした仕事を見られて父さんは嬉しいよ」
そりゃあ、そうだ。
由利をどんな風に撮ったら一番綺麗に映るか、どんな構図だと由利が一番かっこよく見えるか、会えない間もずっと研究していた。カメラマンを目指そうと思ってからは特にそんなことばかりを考えていて、由利を撮影したいからファッション誌に手を出しようなものだ。
今までずっと広告を専門にしていたのは、ファッション誌のカメラマンとして一番最初に撮るなら由利だけと決めていたから。実質カメラマンとして最初に撮影したのは麗のオーディション写真だったのだが、妹のなので数には入らないだろう。
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