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第8章:混沌 2
『運命の番』事件から数週間。
人づてに聞いた話だと衣都は藍と番になるつもりがあるようだが、藍にそのつもりが全くないという意思表示をしているので『Camellia』の専属カメラマンの藍を外すわけにはいかず、衣都との契約を切るという話を聞いた。
代わりの人はまた探すとして、コンセプトに合ったアルファかベータのモデルを探してくるそうだ。
だがコンセプトに合ったモデルがすぐに見つかるのなら苦労はしない。一旦は由利と麗の二人で出来る撮影を続けることになり、藍もやっとカメラマンとしての仕事に復帰した。
「ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、こちらこそ……アルファが多い現場にやはりオメガのモデルさんを連れてくるべきではなかったと反省しているよ」
「いえ……要らぬご不便をおかけして申し訳ないです」
「まあ、普通は会っただけでヒートが起こるなんて想像もしてないからなぁ……本当に運命の番なんだね、二人は」
「………僕にそのつもりはないですが」
「分かってる分かってる。そんなに怒らないでくれ」
藍は衣都とは番にならないの一点張りで、衣都のマネージャーを通した食事の誘いも全て断っている。恋人としての由利は藍の揺るがない気持ちが嬉しいと思う反面、もしも自分が衣都の立場だったらどう思ったか考えた。
滅多に出会えることはないという運命の番。出会えることは奇跡だと言われるほど、おとぎ話のような存在なのだ。
お互いを熱く求め合うのがDNAに組み込まれていて、運命の番と結ばれると幸せになれるという。衣都のことを考えると、アルファの由利のせいで引き裂かれた運命だといっても過言ではないのだ。
運命のアルファから拒絶される辛さや痛みは計り知れない。だからそういう意味では、気の毒だなと少しばかり思っていたのだ。
「――YURIさん!少しだけでもいいので話をさせてください!」
まさか、スタジオの外で待ち伏せされているとは藍も思わなかっただろう。今日はたまたま帰るタイミングが同じだったので麗を含めた三人でスタジオから出たのだが、衣都に待ち伏せされていたのだ。
もうあの時みたいに衣都と会っただけで藍が発情しなくなったのは、運命の番を断固拒否する強い心を得たからなのと、強めの抑制剤を服用するようになったから。衣都を前にしても藍は涼しそうな顔をして、帽子の下からじろりと彼を睨んでいた。
「……こう言いたくないんですけど、待ち伏せとかされるのは迷惑です」
「でも、YURIさんが会ってくれないから……!」
「会うわけないでしょう。ていうか僕、あなたと番になるつもりはないって伝えていますよね?」
中途半端に期待させたくないのもあるのか、きっぱりはっきり言い放つ藍に由利のほうがヒヤヒヤした。藍のことが怖いというわけではなく、あまりに強い物言いだと最悪訴えられる可能性があるからだ。衣都に見えない位置で藍の服をくんっと引っ張り「抑えて」と小声で言うと、呆れたようにため息をつかれた。
「初めてお会いした時にもお伝えしたんですが、僕には今お付き合いしている人がいるんです。その人のことがとても大事なので、たとえ運命の番だと言われても僕はあなたとは番になれません」
「運命の番と結ばれたら一生幸せになると言われているのに、僕よりその付き合ってる人を選ぶんですか?」
「そもそも僕はあなたのことを全く知りません。運命の番なんてただ普通の人より少し合うってくらいでしょ……僕にそれ以上を求められても困ります」
藍の言っていることは至極まともだと思うが、衣都は納得できないらしい。オメガに寛容になってきた社会といっても、まだまだオメガ差別が多いのが現状だ。
番のいないオメガは発情期になると誰かれ構わずフェロモンを撒き散らして誘う、という偏見を持たれているので生きづらいところもあるだろう。先日のようにオメガが一人発情しただけで由利を含め身近にいるアルファが三人も誘発された。
実際衣都はひとつの仕事がなくなったわけだし、彼も早いところ番を見つけて安定したい気持ちなのは分かる。そして幸いなことに、遺伝子レベルで相性がいいと言われる運命の番と出会ったのだから尚更、このチャンスを逃したくないのだろう。
「わ、別れてもらうことは、できないですか?」
これ以上話すことはないというように衣都の横を通り過ぎようとする藍の腕を、あろうことか彼はガッと掴みかかってそう言った。衣都が焦る気持ちも分かるし運命の赤い糸の作用はすごいと思うが、藍はそんなに優しい男ではない。
アルファの由利でさえも屈服させてしまうような重厚なフェロモンもすごかったが、衣都のあまりのしつこさに藍の不機嫌オーラは最高潮に達していた。
「……君って、由利さんの元恋人なんだって?」
「え?」
「別れた恋人の前でよく僕を誘えますね」
「そんな、由利さんとは一ヶ月くらいの仲で……!誤解しないでください!恋人同士なんてものじゃなかったですから!」
衣都の説明は合ってはいるのだが、君が今みたいにしつこかったからだろ、とは言わないでおいた。なんせ由利が言うよりも先に藍のほうが爆発しそうな勢いだったからだ。
「は、よく言う……由利さんにもかなりしつこく付き纏ってたって聞きましたけど」
「そ、それは……」
「とにかく、これ以上しつこく会いに来るならこちらもそれなりの対処をしますので」
「ゆ、YURIさん……!」
藍にこっぴどく突き放された衣都は泣いていたが、それ以上着いてくることはなかった。
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