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第8章:混沌 3

「藍、あんた絶対いつか刺されると思う」 実は、今日は仕事終わりに麗を含めた三人で由利の家で食事をするつもりだったのだ。後ろから衣都が着いてきていないのを念の為に確認してエレベーターに乗り込むと、不意に麗がそんなことを呟いた。 「なんで僕が?」 「いや、だって……ねぇ?由利さん」 「麗さんの言う通りだと思う、俺も」 「兄さんまで?なんで?」 「本気で言ってる?分からないの結構やばいと思うけど……」 藍はきょとんとしているが、それが本気なのか冗談なのか分からない。由利と麗は顔を見合わせてため息をつくと、藍が眉間の皺を深くさせた。 「もしかしてはっきり言ったのがダメだったって話?」 「ダメっていうか、言い方」 「藍って、由利さん以外には基本的に厳しいし冷たいもんね」 「そりゃそうじゃない?兄さんは特別だし、他の人と態度が違うのは当たり前」 「由利さん聞きました!?こいつ本当はこんな性格なんですよ!本当に付き合ってて後悔しませんか!?」 興奮した麗からそう聞かれたが、由利は内心嬉しいと思ってしまったので末期かもしれない。今まで藍が優しいところしか見たことがないので、麗や衣都にするようなぶっきらぼうな物言いもされたことがないのはどうやら自分が藍の特別からだという。 他の人と扱いの差があるのは薄々気づいていたけれど、それがちゃんと由利を『好き』という感情の表れかと思うと胸がきゅんと高鳴る。藍と手を繋ぎたかったが二人の関係を知っていると言っても麗の前ではできず、でも嬉しかったので見えない位置から藍の服の裾をくいっと引っ張った。 「兄さんの気持ちをお前が決めるな、麗。ていうかああいう面倒くさい奴はきっぱり言わないとストーカーになりそうだし」 服の裾を引っ張っていた由利の手をそっと繋いでくれて、藍が着ている上着のポケットに入れられた。サラッとそんなことをするイケメンに育てた覚えはない!なんて、叫びそうになったのをなんとか堪える。空白の期間中に付き合っていた人はいないと言っていたくせに、こんなことを自然とできるなんて一体どこで覚えてきたのだろうか。 そんなことを思いながら俯いていると、ポケットの中で繋いでいた手が少し解かれて指の付け根を撫でられた。突然のことにバッと顔を上げると藍が不思議そうにこちらを見ていて「大丈夫?」と口パクで尋ねてくる。こんな些細なことが引っ掛かっていると言って呆れられたくなくて、こくんとひとつ頷いた。 「そういえば由利さん、本当に鈴香さんと付き合ってたんですか?」 「付き合ってたっていうか……めちゃくちゃしつこく迫られて俺が折れたけど、付き合ってたのは一ヶ月くらいかな」 「それ付き合ってたって言わない!ただの知り合いじゃないですか」 「反論もできません、俺には……でもストーカーになりそうなのは、分かるかも」 「確かに。藍を見つけた時の顔、尋常じゃなかったし……」 無事に家に着いても思い出すのは、衣都の必死な顔だ。 藍を見つけた時の一瞬の安堵した表情と、どうにかして番になりたいという焦り。オメガにとっては死活問題にもなり得る番事情を思うと由利は少し胸が痛んだ。 もしも自分が彼の立場だったら―― 一体どう思うのかなんて想像もできないのは、由利がアルファだからだろうか。 「気をつけるに越したことはないと思う。結構、思い詰めてる感じだったから……」 「"運命の番"なんて馬鹿馬鹿しい。ただの都市伝説なのに」 「ただの都市伝説だけど、藍は発情しちゃったじゃない。私も由利さんもつられたし」 「藍のラットも大分長引いたから、運命の力ってすごいんだなって思ったよ」 「……本当に厄介すぎる。ただの呪いとしか思えないね」 「呪い、かぁ……」 神様から運命が決められているのはロマンチックにも思えるけれど、呪いだと言われたらその可能性もあるかもしれない。あえて藍に聞いてみなくても彼が後者なのは態度と顔でバレバレだ。逆に衣都は前者だと思うけれど。 今回はまだ独身の藍が相手だったからよかった話だが、これが妻子持ちの人が相手ならどうなってしまうのだろう。衣都のように運命に抗えずに待ち伏せまでしてしまい、番になりたいと迫られたら―― そんなことを思うと、運命の番というものは人によっては随分捉え方が違う運命になる。 今の恋人や家族を捨ててまで『運命』と一緒になる人は、この世の中に何人いるのだろう。 「なんにしても、あの人をどうにかしないと。なんとなく、あれで言うことを聞くような人には思えない」 「まぁ、確かに。散々藍が断ってるのに直接会いにくる度胸があるんだもんね……」 「まさかとは思うけど、僕を通して兄さんに近づこうとはしてないよね、あの人」 「え、俺!?」 「あ〜、由利さんと復縁狙いってこと?」 「いや、いやいや、ないないない!だって俺が振られたんだよ?」 「でも迫られたから付き合ったんでしょ?それなら由利狙いも十分あり得るかなって」 「さすがにそれは……」 藍を待ち伏せていた衣都の様子を見れば、彼が由利のことなんて眼中になかったのは分かる。誰がどうみても藍のことしか見ていなかったし、別れて3年も経っている今衣都が由利と復縁したいと思っているなんて可能性として考えてもいなかった。 「まあ、二人とも気をつけるに越したことはないってこと!」 「いや、そう言うお前も危ないと言えば危ないと思うけど」 「なんで私が!?」 「今日僕たちと一緒にいられるの見られてるから。百歩譲って兄さん狙いじゃなかったとしても、アルファの女なら僕の相手になれるしね。そういう意味で狙われる可能性もあるってこと」 「ちょ、ちょっとやめてよ、怖いこと言うの……」 予測不可能な衣都の行動を考えると、ここにいる三人とも逆恨みされるか敵視されるか利用されるか、考えられる可能性は意外と無限にある。ただ一つ確かなことは、衣都は由利と麗には友好的ではなさそうだということ。 最初にスタジオで会った時も運命の番だと分かる前から、由利たちではなくYURIに夢中だったからだ。今日一緒にいたことを踏まえると衣都に敵視されるようになるか、利用されるかのどちらかだろう。麗は特に女性ということもあり、藍の言う通り逆恨みされる可能性もある。 「麗さんって一人暮らし?」 「そうです、仕事を始めてからは」 「しばらく実家のほうがいいかもね、もしかしたら。家族に迷惑が…っていう感じなら頼れる人が側にいてくれるなら別だけど……」 「僕は絶対、麗のお守りなんて嫌だからね?兄さん」 「まだ何も言ってない……」 「ちょっと!その発言、兄としてどーなの!?」 「こういう時だけ僕を兄扱いするな」 藍と麗を一緒に居させたら、それこそ衣都の負の感情が麗に向いてしまうだろう。藍は恋人がいると言っているし、実の兄妹だと公表していない二人は世間からは恋人同士に見られてもおかしくない。衣都がそれを本気にしてしまう可能性だってあるし、由利の提案は麗を守る役目は藍ではないのは確かだ。 「さすがに藍と麗さんを一緒にいさせるわけにいかないだろ。どちらかと言うと俺と麗さんが一緒にいたほうがまだ上手く収まりそうな……」 「………は?」 決定事項ではなく一種の提案として話したことだが、すぐにギラリとした眼光が飛んでくる。その鋭い眼光に貫かれ由利は思わずきゅっと口をつぐんだ。 「……もう一回言ってくれる?兄さん」 「い、い、いや、えっと……」 「由利さんが一緒に居てくれるなら私は大賛成♪」 「ちょっと黙ってて、麗。今兄さんにどういうつもりか聞いてるから」 「だ、だから……俺と藍が一緒にいるより、俺と麗さんが一緒にいたほうが衣都くんにも狙われにくいかな?とか思って、うん……」 「ふうん……」 面白くないです、というようにムスッとした顔をして、機嫌が悪いのを表しているかのようにテーブルをトントンっと指でタップする。だってまさか、たかが一つ提案しただけでこんなに不機嫌になるとは思っていなかったのだ。

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