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第8章:混沌 4
機嫌が悪そうにため息をつく藍の雰囲気に、その場が凍りつく。由利も麗も藍と同じアルファなのだが、彼の圧倒的なオーラにすっかり萎縮してしまった。
由利と麗は本当の兄妹ではないが、客観的に見ると今は二人のほうが兄妹に見えるだろう。獲物に狙われた絶体絶命のハムスターのようにぷるぷる震えながら、二人は身を寄せ合って藍からの圧に耐えていた。
「まさか、兄さんがそんなこと言うなんてね」
「いや、麗さんは女の子だから頼れる人がいないなら危ないなって思ったからで……」
「でもそれは別に由利じゃなくてもよくない?確かにあの人のことは欺けるかもしれないけど、万が一週刊誌に撮られたらどうするの?麗と熱愛が出て傷つくのって僕なんですけど?」
「ら、らん、ごめんってば!もう言わないから機嫌直して」
一生懸命懇願していると、チラリと藍の視線が麗に移る。その途端麗は荷物を持って立ち上がり「用事があったの思い出した!」と言って帰ろうとするのを慌てて引き止めた。
「いやいや、今日なにもないって言ってたよね!?」
「いやいやいや、忘れてただけです!ごめんなさい由利さん!」
「待って待って、せめてタクシーが来るまで部屋の中で待ってようよ、危ないから!」
「大丈夫です!彼氏が近くでご飯食べる予定で、帰りは合流するつもりだったんです!」
「彼氏!?」
お兄ちゃんそんなの聞いてないけど!なんて、実の兄でもないのに口から出そうになった言葉を飲み込んだ。なるほど、由利が一緒にいようと思ったのは麗にとっては余計なお世話だったということか。だとしても、別にそんなに急いで帰らなくても――
慌てて引き止める由利とは裏腹に藍はにっこり笑いながらひらひらと手を振っていて、あっけらかんと「気をつけて」と言うものだからほとほと呆れてしまった。
「……藍!麗さんをあんな風に追い返すなんて失礼だろ!」
「別に僕は何も言ってない。用事があるって言ってたじゃん」
「だから、それは藍の圧が――わぁっ!?」
麗を追い返したことをぷりぷり怒っていると、いきなり抱き上げられて悲鳴を上げた。突然の浮遊感に驚いて藍の首にぎゅっとしがみつくと耳元でくすくす笑う小さな声が聞こえる。からかって遊んでるなと思い首筋にがぶっと噛み付くと、彼は意に反して嬉しそうな反応をするから更にムカついた。
「もう、いきなりなんなんだよ!」
ぼふり、ベッドに体を投げられる。ギシッという鈍い音を立てて藍が覆い被さってきて、唇を奪われた。息継ぎもできないほど性急なキスに窒息してしまいそうで、そんな気分ではないから藍の体を押し返したいのに由利の意思とは反対にどんどん力が抜けた。
「……ゆうりが悪い。麗と一緒にいるとか、軽々しく口にして欲しくない。由利は僕の恋人なのに何であんな意地悪言うの」
「い、意地悪ってわけじゃなくて…本当に、ただの提案だったんだよ。でも恋人である藍のことを考えられなかったのはごめん……俺、本当のお兄ちゃんじゃないのに麗さんのことを守ってあげなくちゃと思って……」
「麗は由利の妹じゃないし、由利が守る義務もない。あいつはあいつで何とかするって……それより僕のほうが狙われてるのに、なんで心配してくれないの?」
藍の言葉にドキッとした。
なんせ思い返してみると藍に突き放された衣都のことや、もし衣都に敵視された場合に麗の身の安全の確保ばかり考えていたのだ。狙われているのは確実に藍なのに、彼がどう思っているのか、何か傷つくかもしれないという考えがなかった自分に驚く。それと同時に、自分はなんて冷たい男なんだと恐ろしくもなった。
「ごめん、藍……俺ひどい恋人だった、よね……」
「麗のことばっかりだし、あの人のことも考えてたでしょ?なんで同情するの、どうせ僕とは結ばれないのに。それとも僕が番になってあげるべきだって思ってる?」
「同情っていうか、番がいないと大変だよなって思っただけで……」
「それを同情って言うんだよ。はぁ、これだから由利は……肝心なところで冷酷になれない。だから僕なんかに付け入れられるんだよ」
避けるならとことん避けなくちゃいけなかったのに、詰めが甘い。
そう言われて反論できないのは心当たりがあるからだ。義理でも兄弟なのだから爛れた関係はやめるべきだと思っていた冷静な自分と、心のどこかで藍とこのまま関係を続けていきたいと思う自分がいた。だから藍の言う通り、彼と再会してから強く拒否できなかったのだ。
「可哀想なゆうり。もう二度と僕から離してもらえないよ?泣いても叫んでも説得しようとしても僕は変わらない。だからあんなオメガに同情するのはやめて、僕とのことだけ考えてよ」
今の由利は『アルファ』として『アルファ』の藍のことが好きだ。衣都のように自分がオメガだったらもっと心のままに、もっと素直に藍のことを求められたのかもしれないけれど、これが自分たちの運命なのだから仕方がない。
藍だって由利をオメガにしたいとは思っているけれど、アルファとしての由利を好きになってくれた。由利だってアルファとしての藍を好きになって、あろうことか彼に抱かれたいと思ったのだ。
それなのにまだオメガになってもいい、という決心ができないのはアルファとしてのプライドか、はたまた――
「藍…この先何があっても、本当に衣都くんと、番にならないよね……?」
もしもビッチングしてオメガになった時、番になりたいと思っていた藍から裏切られるのだけが怖い。
きっとそんなことはないと信じたいけれど、もしも運命の番を選ばれたらどうしたらいいのだろう。もしも由利と番の契約をした後にやっぱり衣都のほうがいいと言われ、一方的に番を解消されたら?
一度番になりアルファから解消されたオメガは、その後もう二度と誰とも番になれず一人で生涯を終えるのだと聞いたことがある。
もしもそうなったとして、きっと由利は一人でも生きていけるけれど、藍に選ばれなかったという気持ちをずっと抱えていくのはものすごく辛いのだ。
「……何を心配してるか分からないけど、絶対にない。今更運命の相手が出てきても、僕が由利を想ってた10年以上には勝てないから」
僕の好きな人は由利だけだよ。
僕が番になりたいのは由利だけ。
そう言って優しく口付けてくれる藍の手をぎゅっと握ると、手のひらから彼の甘い熱が伝わってきて、なんだか安心した。
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